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(゚-゚)バスに乗って行く場合は、観光案内所で一日乗車券を買うと便利です。各寺でご朱印をいただく(有料)のも楽しい。


■ 京都御所

 言わずと知れたかつて京都が日本国の都であった時代の天皇のご在所。
現在のものは安政2年(1855年)の造営。
御所の内部を拝観するのは、宮内庁に参観申しこみが必要。
もしくは、通常、春と秋とに一般公開されている。

《 みどころ 》 内裏の東側(画像)は天正9(1581)年2月28日に織田信長が馬揃えをした場所。
内裏東側については、御所の外側なので、いつでも見る事ができる。
『森家先代実録』によれば、森長可もこの馬揃に参加している模様(日付けが間違っているものの)。
また、慶長16(1611)年には、森忠政が内裏造営に関わっている。

《 交通 》地下鉄烏丸線 今出川駅から徒歩5分
      もしくは、市バス 烏丸今出川から徒歩5分

 


 聚楽第跡(上京区中立売通)

 関白に就任した豊臣秀吉が京都の邸宅とし、政庁も兼ねた豪邸。天正14(1586)年に着工して、
一年あまりで完成。外装・内装・調度品のすべてが金で塗られていたという。
のちに聚楽第は、甥の豊臣秀次に譲られるが、秀次が謀叛の疑いをかけられて高野山で自刃した
その年の文禄4(1595)年、徹底的に破壊された。

《 みどころ 》 石碑は正親小学校の運動場外の中立売通に面した道路に立っている。
天正16(1588)年に秀吉は後陽成天皇を聚楽第へ招待したが、森忠政も列席し、その折に
「緑さへ年に増りて松かけのふかきや千代の根さし成るらむ
」と詠んでいる。
「聚楽第行幸図」(堺市博物館)を見れば、当時の華やかさが判かる。

《 交通 》 京都駅より市バス50番 智恵光院中立売バス停すぐ



■ 聚楽第外濠(松林寺境内)(上京区智恵光院通出水下ル

松林寺の境内が周辺より一段低くなっているのは、かつてここが聚楽第の南外濠だったことによる。

《 みどころ 》 松林寺北門東に「此付近聚楽第南外濠跡」の石碑がある。



■ 聚楽第・梅雨の井 (上京区下長者町通大宮西入)

 聚楽第の梅雨になるとその水位があがることからその名がついた。

《 みどころ 》 今は、水も枯れ果てて、かつて井戸があった場所は空地になって柵が張られて
しまっている。プレートの矢印の先には何も無かった。

《 交通 》 市バス 堀川下長者原町バス停から徒歩

 


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