鬼武蔵を求めて逆流ツアー

in 新潟→長野→岐阜→愛知
 2006年10月9日(月)〜10月15日(日)
  
領民は我を待つらん
長野(BY:忠政)の巻

消えかかった「森軍 三千」の
文字をサインペンで書き足したい
この気持ち。in高遠
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10月12日(水) 朝から功徳の捕り物帳   
信玄梅(しかもお徳用)
信州は武田の地なのだと
改めて気づかされる地元の
お菓子。


 早起きしてタカアキさんと朝の善光寺へ。ご朱印をいただきに善光寺売店にいくと、売店のかたが慌てて参道を指し、
「ほら、早くあなたがたも、お上人様にお数珠を頂戴して!」
と、私達をすぐに参道へ出るように促した。参道には信者さん達が列をなして座っている。
何のことだかよくわからずに参道の石畳に飛び出すと、私は警備員に取り押さえられた。
えええーーーっ!なんで!!!Σ(゚□゚;
周りの人に「座って!座って!」と言われる。警備員に捕まれてそれどころじゃない〜!!
警備員は私を押さえて参道にしゃがませると、そこへお供の人々とともにお上人さまがしずしずと歩み来て、数珠で私の頭を撫でておいでになった。
何だったのだろう…呆然として売店に戻ると、
「みなさん、お上人さまのお数珠を頂戴するために全国から善光寺へいらっしゃるのですよ。お数珠頂戴があるのは、朝のこの時間だけですからね。」と笑顔で説明してくれたけど、私は人々の眼前で警備員に取り押さえられたショックのほうが大きい。しかし、功徳を得た。
 善光寺本堂で旅のことをお祈りし、本堂地下にある戒壇めぐりを体験した。階段を下りていけば真っ暗闇の回廊が伸びている。この闇の先には錠前があって秘仏のご本尊とつながっているそうで、触れると、死ぬ時に善光寺のご本尊にお迎えにきてもらえる特典付きだとのこと。全く何も見えない暗闇を手探りで進む。前を行くタカアキさんに触れてしまって「ヒッ!」とおののきながら、やがてゴツリと金属のモッコリにたどりつき、それが錠前と知る。
よかった。これで死ぬ時は安泰だ。
 そして再び
千人塚へ。昨日は暗くてわからず、血の色だとびっくりした千人塚だけれど、結局の処、赤かった。
沢山の名前が書いてある。犠牲者の名前だろうか。

善光寺
この本堂の目の前で私は警備員に
捕獲された。
千人塚
森家の悲しい歴史を伝える。

 長野駅でレンタカーを借りる。運転手は私。ナビ担当はタカアキさん(正確に言うと、カーナビを操作する担当)。
今日の史跡めぐりの交通の不便さから、レンタカー作戦を執行することにしたのだ。カーナビ機ついているのに、道に迷って叫びつつ長野市街を抜け、まずは
飯山を目指す。

森長可がこの信濃の地を治めていた時、自らは海津城に入り、家臣らにも知行地を与えている。林長兵衛為忠は知行八千石にて飯山城に入り、各務兵庫元政は知行八千石にて長沼城に入った。今回は、その両城へもまわる。
 途中、リンゴばっかりのアップルロードに遭遇して口中に唾液をためつつ、
千曲川をなぞる道路に突入。クネクネクネクネクネクネ。川縁のガードレールには、いくつも事故の痕跡があってハンドルを握る私は油断できない。
このクネクネで、千曲川がなぜ千曲川と呼ばれるのか、ものすごくよく判った。
そしてたどり着いた
飯山城跡を見学。かっこいい石垣と門構えがあるが、現在の遺構は江戸期に入ってからのものらしい。

飯山城跡
江戸時代の石垣がかっこいい。

 それでも、やっぱり遺構に立つと嬉しい。本丸には今は葵神社が建っていて、鉄製のピンク鳥居のはげまくった塗装を1日がかりで完全にはぎたくなる衝動にかられつつも、じっくり城跡を散策した。途中、石段の上からタカアキさんが滑り落ちているのを見るにつけ、さすがは守りの堅い飯山城よ、と感嘆した。

 次は、
大倉(大蔵)城跡に向けて車を走らせた。
大倉城は車を麓に停めての登山となった。悲劇の城と銘打たれる大倉城。
その悲劇の物語の加害者(悪役)は森長可だ。

大倉城跡
石垣もあったとはかなり本格的な城
だったのね。
大倉城主郭
「落城四百年祭」と…。

  信濃に入った森長可に対抗するために、上杉景勝は信濃の土豪の芋川親正と手を組んで領民たちに一揆を起こさせ長可を襲わせた。その一揆軍の拠点となったのがこの大倉城。長可はお得意の”味方の兵を隠して弱そうに見せる”作戦で敵を油断させ、ついには完膚なきまでに一揆軍を叩きのめしている。この城に立て篭もった者は女子供まで切り殺されたという。
 信濃に入った森長可は、本当に余裕が無かったのだろうと思う。信濃四郡という大きな領土を預かったのは、めでたい事とはいえ、政情が不安定で不穏極まりない世界。失態を演じて織田信長を失望させてはならない。
鬼と言われても容赦無く切り続ける過酷な日々だっただろう。
 この大倉城跡ははじめの見た目よりも奥行きがあった。登りに登ってやっと山頂が見えた、と喜んだら、登り詰めた景色の奥にはまた階段。そしてまた奥行きがあって上に登る階段が出現。ドラクエかっ!しかし、こんなに遺構がきれいに残っている城跡は久々に見た。ようやく本丸跡にたどりつくと、そこには供養塔なんかが並んでいた。

 その次は、ほっとひと安心の
平城。各務兵庫のいた長沼城跡…ほっとひと安心ではなかった。
事前に役所からもらっていた地図を見た時は気づいていなかったものの、実際にその土地を見ると、長沼城の碑はトンデモない処にあるじゃないか。千曲川添いの小高い堤防を登りタカアキさんと一緒に歩いて行く。堤防は車道になっていて、車が、どんどん身体をかすめて去って行く。
「ねぇ…ここって、車だけが走る道だよね…。」
城跡の碑の目印の大きな木にたどり着いて、堤防を下りると、長沼城跡は広大なリンゴ畑のど真ん中!!!
リンゴドロボウじゃないのよ。私達はリンゴドロボウじゃないのよ。とドキドキしながらリンゴ畑に入る。
 長沼城の遺構と思えるものは石碑の周辺だけで、あとは殆ど無かった。ただただ、赤く実ったリンゴが美味しそう。私達はリンゴドロボウじゃないのよ。
 各務兵庫は、後年、森忠政に従って再び信州入りを為し同じ長沼城を与えられたが、この長沼の地で生涯を閉じる。
そして今、ここに、平和なりんご畑が広がる。りんご畑から、ひょっこり兵庫が出てきてくれたらよいのにな。一緒に、ウサギさんリンゴをかじったりしたい。
 長沼城の門扉が山門として残る
妙笑寺に寄り、再び車を走らせる。

 そしてマックのドライブスルーでお昼ご飯を買い、犀川を眺めつつ名高き川中島古戦場へ。 有名な上杉謙信と武田信玄の一騎撃ち像を眺めつつ、後半戦に備え、しばし休憩。

 
 
 そして、ようやく念願の松代入りを果たす。真田宝物館に車を置いて、松代(海津)城へ。森長可と、森忠政が城主となったこの城へ。
松代城
美しく生まれ変わった松代城!!


信長に認められて海津城に入った森長可。
そして懐かしい兄の城、領民は我を憎んで待っていたろう、とこの海津城に入った森忠政。
海津城を「待城」と改め、今の地名の「松代」の元を作ったのも忠政だ。
  前回この城へ来た時は、折悪しく改修工事中で城跡には青いビニルも張られて立入禁止になっており、私は城を目の当たりにしながら金網にすがっておいおいと泣くしかなかった。
 今日、ようやくこの城に立ち入ることができる。待ち望んでようやく…まさに私にとっても待つ城だ。
説明板にはしっかりと、森長可と忠政の名前も刻まれている。
感動とともにお堀の橋を渡った。
 城内には、城の建造物に見立てた博物館があると思っていたのに、私の激しい思いこみだったらしく、実際の城内は空き地になっていて木が沢山植えられていたので、あれっ?と我が目を疑いあたりを見まわした。 夢見過ぎて、城門の向こうには何か楽しいイベントがあるのではないかと思い続けていた…。
 夕焼けが始まっていた。石段に上って見つめる信濃の山々。戦国時代と同じ山々のシルエット。
異郷の地を故郷とするために日々苦心する長可や忠政は、この城にてどのような思いを抱いていたのだろうか___。
  信州は広いけど、実際に行ってみると山ばっかりで使える土地の少ないことにびっくりしたのは、私だけではないはず……。昔はもっと土地土地が山で分断されていただろうし、更に冬は雪深いのだろうから治めるの大変だっただろうな…。しかも領民は反抗するし、上杉景勝はうざいし、長可は信濃四郡をもらっても、当初はまるで喜べる状況ではなかった気がし始めた。


  そして我等は温泉へといそしむ。松代温泉地帯にある古びた加賀井湯温泉武田信玄の隠し湯としても知られるこの温泉。初めてこの温泉を利用すると温泉のご主人に告げると、温泉裏に涌き出る源泉を見せてくれた。源泉を見せた上で、ご主人はタカアキさんの頭をぐいと源泉のケムリに突っ込ませた。飛び跳ねて逃げ出し、せきこむタカアキさん。被害者は一人でよい。とっさに我も逃げようとしたら、私までケムリへ突っ込まれた。鼻をつんざく刺激臭が脳みそを直撃。ビヨヨヨヨヨヨ〜!!!!!
 洗礼が終わってから土色の激しい温泉につかる。長可も、温泉に入っただろうかという想像をめぐらしながら。しかし、ここはひどく古い建物。窓ガラスは割れて(ガラスくらい入れ替えろ)藪蚊の出入りが激しい。油断すると素肌にでっかいのがとまる。壁にはハエタタキも吊るしてある。でも、全裸でハエタタキを持って蚊を追いまわすくらいなら死んだ方がましだ。
  温泉の後は、腰に手を当ててコーヒー牛乳を飲むのが鉄則、武士の本懐である。外の冷たい空気にあたってもまるで湯冷めしそうにないくらいにホカホカの身体。冷たいコーヒー牛乳をのどに通して幸せ気分のところへ再びご主人登場。地図を持ってきて、エノキ発祥地の行き方を教えてくれた。
 エノキには寄らず(ごめんなさい)、ナビの目的地を再び松代(海津)城跡へ設定。しかし、エノキの呪いにより、ナビが正しく作動せずに、全然関係のない山奥へと誘導され、再び道に迷う。
 どうにか夜の松代城跡。期待通りにライトアップされていた。幻想的で、その上愛着もあれば、なんとも美しい。うっとりしながら眺めていた。

 長野駅でレンタカーを返却してJRに乗りこみ、今宵の宿のある松本を目指す。
松本のホテルにチェックインしてから、遅い遅い夕食を食べた。
モスバーガー。昼も、夜もハンバーガーが食事。
われらの旅はつらく楽しく、そして厳しいものなのだ。

10月13日(金) 高遠城キノコ挟み撃ち大作戦。   

 朝4:00起床。早朝に松本を出発して、JRを乗り継ぎ、JRバスを使って高遠に入る。
織田軍の鬼・森長可VS.美しき高遠城主・仁科盛信。
私としては、改めて気合の入る思い入れの深い場所でもある。 
 とりあえず、高遠のコンビニに寄ると、なんとびっくりマツタケが売っていた。高遠はコンビニでマツタケを売るのか!!!Σ(゚□゚;
「高遠産」と書いてあったので、そういうことか…。とだけ思っていたが、よもやこのマツタケが今回の旅のキーワードになろうとは、我々はまだ知る由もなかった。
 高遠城跡をゆっくりと見てまわる。ここで、織田信忠率いる織田軍と、武田勝頼の弟の仁科五郎盛信との間で、激しく悲しい戦いがあった。森軍、やばいほどに大活躍。
 武田恩顧の武将や肉親が次々と武田勝頼を裏切る中、仁科盛信だけは決死の覚悟で織田軍に道を譲らなかった。そして、孤立した高遠城は織田軍に攻撃され、血なまぐさい戦場と化す。
 
高遠城内の新城神社
仁科五郎盛信を祀る。

 森家の文献には、途中から仁科側が降伏を申し出る場面が登場する。それを受けた森長可が、上司の織田信忠にどうしましょうかと進言すると
信忠は「武蔵しだい。」と言ったという。 
そして武蔵こと長可は、やっぱり敵を攻め滅ぼしてしまった。

  途中、森軍の陣所跡織田本隊の陣所跡、ついでに川尻軍の陣所をたどって、高遠町立博物館に行く。高遠城の攻防の展示を見て、売店の書籍を買って、それからタクシーで高遠の奥地にある遠照寺へ向う。
高遠には、長可にまつわる有名なお寺が2つある。
 1つは弘妙寺。森長可が炊き出しを命じたところ、住職が断わったので寺を焼いた(他にも逆らう寺は焼いた)。
もう1つは遠照寺。森長可が炊き出しを命じたところ、ご飯をくれたので、寺は焼かず、お礼に諏訪で強奪してきた(←ここポイント)陣太鼓と鰐口を寺に寄贈した。
 遠照寺でその陣太鼓と鰐口を見せていただいた。
「敵に炊き出しをしてあげたことで、裏切り者として何代もお城出入りを許されなかった時代もございました。」と、お庫裏さん。

 次に訪れる場所が、長可ファンゆえに決心した場所だった。
月蔵山越えをしてみる。」
森長可は、織田信忠と高遠城を挟み撃ちにすべく、わざわざ迂回して月蔵山越えルートで高遠城へと攻め込んだのだった。高遠の奥地で寺々に炊き出しを命じたエピソードは月蔵山越えの前のものである。
 月蔵山を越える______。

月蔵(がつぞう)山の山の端
長可軍はこの山を越えて高遠城に攻め込んだ。
この画像ではわかりにくいけど、山の手前は谷。


  事前に役所に問い合わせても、「登る人がいないからよくわかりません。」と言われた月蔵山越え。
谷合の川辺集落の人に登山口を尋ねたところ、地元でも登る人はほとんどなく、登り口はあっちだ、こっちだ、という話になった。
しかし、我々は運がよかった。キノコ採りの名人との出会いが我々を救った。
「ああ、森軍はこの川辺地区から月蔵山に登ったんだ。」
このキノコマスターの言葉に、我々はどれほど安堵したことだろう。そして名人は我々を山へいれてくれた。山の周囲には鹿避けの鉄柵が張り巡らしてあり、扉を開けないと入れないようになっている。その扉をくぐって、長可がたどった月蔵山を登る。
「この山にはマツタケが生えている。」と、名人が教えてくれた。食べられるキノコを採取しつつ、キノコを説明しながら名人が山案内してくれる。つい、私も足元のキノコを見てしまう。
「あ、これはシイタケですね。」
「シイタケじゃない。毒キノコだよ。」
 名人は我々に是非とも天然のマツタケを見せたいと思ってくださっているようで、一生懸命にマツタケを探していた。もはや、私までもが感化されて心はマツタケ。ああ、兼山の古城山もマツタケが生えているというし、長可の足跡にはマツタケが生えるのか。
山頂までたどり着いたものの、マツタケは発見できなかった。しかし、キノコ採り名人は、手にしていた白いキノコ(虚無僧と呼ばれるキノコ)を全部私たちにくれた。なんて優しいのだ。きっと、森長可を先導してくれたであろう土地の人も、このキノコ採り名人のご先祖に違いない。
 名人も、山の上まで来たのは数10年ぶりだと話していた。険しい山道なのに、齢70過ぎてまったく息切れしていない名人の姿は見事としか言いようが無かった。
 あとは簡単。下るだけだ。名人と山頂で別れて我々はまた2人に戻って、高遠城を目指す。そして下り始めると、行く道がどこにもないことに気づいた。見えるのは足を踏み外すと死ぬであろう急斜面。右も左も急斜面。長らく誰も足を踏み入れた形跡のない行く手。
「な…長可は馬も一緒に山にあがらせたのかな?無理だよね。」
「馬だから山でも大丈夫なんじゃないの?」
そんなこと言っている場合ではなく、我ら、いきなり大ピンチなのだった。
タカアキさんと私。隊を2つに分け(2人しかいない)、滑り落ちそうにない場所を選んで、小刻みにジワジワと山を下りた。ここで、タカアキさんがすべり落ちても助けようがない。どうか、すべり落ちないで。と、自分だけはすべり落ちないことを前提に木々にしがみつくようにして山を下りる。途中、獣の足跡があるし…。
 時折、タカアキさんを振り返ると、しっかり杖を拾ってきている。ふり返るたびに、杖が新しいものにリニューアルされている。
 途中、何度も進むべき進路を迷いながら、時には背骨のように狭い尾根を伝い、時には岩にしがみついてぶら下がるように斜面を越えた。滑り落ちてお尻を打ったりもした。手にしていた袋の中のキノコはもうボロボロ。
ニュースで遭難者の事が言われるたびに、「下ればいいだけなのに、なんで迷うの?」と不思議に思っていたけど、今、まさに我々は遭難者となりつつある。どれだけの時間そうして山をくだっていたことだろうか。沢の音が聞こえはじめ、希望のようなものが見え始めた。

 山中でお地蔵さんを見つけた。ああ、ようやく人の匂いを感じるものに出会った。きっと、ここまでくれば大丈夫。
と、思った矢先に、お地蔵さんがここにあるのは、ここで誰かが亡くなったからじゃないのかという図式が見えてくる。あああ…。しかも、道がないのに「がつぞうコース」の看板が立っている。うう…かつては山登りもさかんだったのだろうね。しかし、一体これからどうやって進めばいいんだ。道がわからず泣きそうになる。

タカアキさん:「ねぇ、さっき言えなかったんだけど。」
うきき:「何?」
タカアキさん:「記念写真撮らない?」
Σ(゚□゚;


  沢には丸太を横倒しにした橋がかかっている。きっとあれがあしり日の本来のコースなのであろう。しかし、あの丸太が腐っていたりしたら、我々は一気に深い沢の岩畳に転落してジャムになる。
道を変えて山を下りた。
そしてついに、夢見るアスファルト道路が木々の向こうに見えたのだ。
やった!!!ついに生還したね!!!
大喜びで足取りを強く前進すると、目の前には鹿避けの鉄柵が張り巡らしてあって抜けられないようになっていた。更に鉄柵の上は容赦なくトゲトゲのハリガネが巻かれている。人間なのに外に出られない。
我々の還るべき場所、生きるべき世界が目の前にあるのに、この柵がそれを阻む。もう引き返す気力も体力もない、本当に泣き出しそうになった。
 どうしよう、どうしよう…。2人で悩んだ末に出した答えは企業秘密。
鉄柵を脱出した我等の眼下には、あるはずの高遠城がなかった。挟み撃ち失敗。
城之介(信忠)さま!!知らないとこに出てしまいました!
どこに出たのだろうと道路の様子を伺うと「ポレポレの丘」と書いてある。
ぽ・・・ぽれぽれ・・・・ポレポレって何(涙)?!
森長可を慕って月蔵山を越え、たどり着いたのが高遠城でなくポレポレ…?バタッ。

 道を進めば、高遠城とは意外とニアミスしていた。織田軍の置き土産の梵鐘(諏訪で掠奪)と、仁科盛信をはじめとする高遠城の戦死者の供養碑のある桂泉院でぐったりとした時を過ごした。
もう、歩けない。今日の宿の人に車でお迎えに来てもらった。
「これ…どうすればいいのでしょうか。」と車の中で名人にもらったキノコを差し出す。
何でキノコ(しかもボロボロ)を持ってるのか首をかしげられつつも「夕食に使いましょう。」と快く引き受けてくださった。
 今日のお宿は「分校館」。この一帯には、分校館と弘妙寺しか家がない。長可に燃やされた弘妙寺にお参りをして、日没にも長可を思う。
 分校館での夕食は、囲炉裏を囲んでの感動的なものだった。私達のほかにももう1組ご夫婦の宿泊客がいて、一緒に語らい、楽しいひとときを過ごした。昼ご飯を食べていなかったので、囲炉裏で焼いた魚が格別に美味しい。キノコ料理も珍味。キノコ採り名人、ありがとう。長可アニキ、ありがとう!!!
それからもひっきりなしにウドンや信州ソバが出てきて、もう食べられない状態。

  タカアキさんがお風呂タイムの間に、外に出てみる。弘妙寺が長可に燃やされた時に、仏を避難させた「仏畑」という場所に足を進めるが、私の視線は満点の星空に釘付け。こんなに降るような星空を眺めるのは何年ぶりだろうか。感動していると、四本足の獣に遭遇した。カモシカ?暗がりなのでよくわからないが、犬より大きい。向こうがじっとこっちを見ているのがわかる。お互いに、どうしよう状態…。
「キェエエエーーーーー!!!」と獣が鳴いた。 →つづき