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信玄梅(しかもお徳用)
信州は武田の地なのだと
改めて気づかされる地元の
お菓子。 |
早起きしてタカアキさんと朝の善光寺へ。ご朱印をいただきに善光寺売店にいくと、売店のかたが慌てて参道を指し、
「ほら、早くあなたがたも、お上人様にお数珠を頂戴して!」
と、私達をすぐに参道へ出るように促した。参道には信者さん達が列をなして座っている。
何のことだかよくわからずに参道の石畳に飛び出すと、私は警備員に取り押さえられた。
えええーーーっ!なんで!!!Σ(゚□゚;
周りの人に「座って!座って!」と言われる。警備員に捕まれてそれどころじゃない〜!!
警備員は私を押さえて参道にしゃがませると、そこへお供の人々とともにお上人さまがしずしずと歩み来て、数珠で私の頭を撫でておいでになった。
何だったのだろう…呆然として売店に戻ると、
「みなさん、お上人さまのお数珠を頂戴するために全国から善光寺へいらっしゃるのですよ。お数珠頂戴があるのは、朝のこの時間だけですからね。」と笑顔で説明してくれたけど、私は人々の眼前で警備員に取り押さえられたショックのほうが大きい。しかし、功徳を得た。
善光寺本堂で旅のことをお祈りし、本堂地下にある戒壇めぐりを体験した。階段を下りていけば真っ暗闇の回廊が伸びている。この闇の先には錠前があって秘仏のご本尊とつながっているそうで、触れると、死ぬ時に善光寺のご本尊にお迎えにきてもらえる特典付きだとのこと。全く何も見えない暗闇を手探りで進む。前を行くタカアキさんに触れてしまって「ヒッ!」とおののきながら、やがてゴツリと金属のモッコリにたどりつき、それが錠前と知る。
よかった。これで死ぬ時は安泰だ。
そして再び千人塚へ。昨日は暗くてわからず、血の色だとびっくりした千人塚だけれど、結局の処、赤かった。
沢山の名前が書いてある。犠牲者の名前だろうか。
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善光寺
この本堂の目の前で私は警備員に
捕獲された。 |
千人塚
森家の悲しい歴史を伝える。 |
長野駅でレンタカーを借りる。運転手は私。ナビ担当はタカアキさん(正確に言うと、カーナビを操作する担当)。
今日の史跡めぐりの交通の不便さから、レンタカー作戦を執行することにしたのだ。カーナビ機ついているのに、道に迷って叫びつつ長野市街を抜け、まずは飯山を目指す。
森長可がこの信濃の地を治めていた時、自らは海津城に入り、家臣らにも知行地を与えている。林長兵衛為忠は知行八千石にて飯山城に入り、各務兵庫元政は知行八千石にて長沼城に入った。今回は、その両城へもまわる。
途中、リンゴばっかりのアップルロードに遭遇して口中に唾液をためつつ、千曲川をなぞる道路に突入。クネクネクネクネクネクネ。川縁のガードレールには、いくつも事故の痕跡があってハンドルを握る私は油断できない。
このクネクネで、千曲川がなぜ千曲川と呼ばれるのか、ものすごくよく判った。
そしてたどり着いた飯山城跡を見学。かっこいい石垣と門構えがあるが、現在の遺構は江戸期に入ってからのものらしい。
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飯山城跡
江戸時代の石垣がかっこいい。 |
それでも、やっぱり遺構に立つと嬉しい。本丸には今は葵神社が建っていて、鉄製のピンク鳥居のはげまくった塗装を1日がかりで完全にはぎたくなる衝動にかられつつも、じっくり城跡を散策した。途中、石段の上からタカアキさんが滑り落ちているのを見るにつけ、さすがは守りの堅い飯山城よ、と感嘆した。
次は、大倉(大蔵)城跡に向けて車を走らせた。
大倉城は車を麓に停めての登山となった。悲劇の城と銘打たれる大倉城。
その悲劇の物語の加害者(悪役)は森長可だ。
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大倉城跡
石垣もあったとはかなり本格的な城
だったのね。 |
大倉城主郭
「落城四百年祭」と…。 |
信濃に入った森長可に対抗するために、上杉景勝は信濃の土豪の芋川親正と手を組んで領民たちに一揆を起こさせ長可を襲わせた。その一揆軍の拠点となったのがこの大倉城。長可はお得意の”味方の兵を隠して弱そうに見せる”作戦で敵を油断させ、ついには完膚なきまでに一揆軍を叩きのめしている。この城に立て篭もった者は女子供まで切り殺されたという。
信濃に入った森長可は、本当に余裕が無かったのだろうと思う。信濃四郡という大きな領土を預かったのは、めでたい事とはいえ、政情が不安定で不穏極まりない世界。失態を演じて織田信長を失望させてはならない。
鬼と言われても容赦無く切り続ける過酷な日々だっただろう。
この大倉城跡ははじめの見た目よりも奥行きがあった。登りに登ってやっと山頂が見えた、と喜んだら、登り詰めた景色の奥にはまた階段。そしてまた奥行きがあって上に登る階段が出現。ドラクエかっ!しかし、こんなに遺構がきれいに残っている城跡は久々に見た。ようやく本丸跡にたどりつくと、そこには供養塔なんかが並んでいた。
その次は、ほっとひと安心の平城。各務兵庫のいた長沼城跡…ほっとひと安心ではなかった。
事前に役所からもらっていた地図を見た時は気づいていなかったものの、実際にその土地を見ると、長沼城の碑はトンデモない処にあるじゃないか。千曲川添いの小高い堤防を登りタカアキさんと一緒に歩いて行く。堤防は車道になっていて、車が、どんどん身体をかすめて去って行く。
「ねぇ…ここって、車だけが走る道だよね…。」
城跡の碑の目印の大きな木にたどり着いて、堤防を下りると、長沼城跡は広大なリンゴ畑のど真ん中!!!
リンゴドロボウじゃないのよ。私達はリンゴドロボウじゃないのよ。とドキドキしながらリンゴ畑に入る。
長沼城の遺構と思えるものは石碑の周辺だけで、あとは殆ど無かった。ただただ、赤く実ったリンゴが美味しそう。私達はリンゴドロボウじゃないのよ。
各務兵庫は、後年、森忠政に従って再び信州入りを為し同じ長沼城を与えられたが、この長沼の地で生涯を閉じる。
そして今、ここに、平和なりんご畑が広がる。りんご畑から、ひょっこり兵庫が出てきてくれたらよいのにな。一緒に、ウサギさんリンゴをかじったりしたい。
長沼城の門扉が山門として残る妙笑寺に寄り、再び車を走らせる。
そしてマックのドライブスルーでお昼ご飯を買い、犀川を眺めつつ名高き川中島古戦場へ。 有名な上杉謙信と武田信玄の一騎撃ち像を眺めつつ、後半戦に備え、しばし休憩。
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