鬼武蔵を求めて★逆流ツアー
in 新潟→長野→岐阜→愛知
2006年10月9日(月)〜10月15日(日)
帰ってきました美濃尾張!の巻
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10月14日(土) 帰ってきました兼山!! | ||||||
5:30起床。 分校館で清々しい朝を迎える。JRバス高遠駅より伊那駅に出て、そこから高速バスで名古屋へと向う。 車中ともに爆睡状態。時々、あまりにも傾いて首が激しく痛くて目を覚ましては現在地を確認して、また眠りに陥ちて首カックン。嬉しいことにバスは森長可が金山へ帰る時に使ったコースをほぼたどってくれている。でも、睡魔に襲われて眠る。 名古屋駅にたどりついた。都会だ。私のデジカメのチップ(スマートメディア)も、もう容量が限界に近づいている。かなり撮りまくったからなぁ…。新しいスマートメディアを買い足しに地下街のカメラ屋へ行ったところ、7980円。「高ッ!!!」いきなり鮮やかに目が覚めた。 これしかないのか尋ねると、「もう、スマートメディアを使うデジカメ自体が無くなっているので、その容量しか取り扱いしていないんです。」 ガーン。世の中はそういう事になっていたのか。これから2日間、撮るべきものは沢山あるのに私はデジカメ無しで過ごすのか? しかし、スマートメディアが高すぎる。これなら、新しいデジカメを買ったほうがマシ。どうしよう、どうしよう…。 悩んだ末に新しいデジカメを買ってしまった。_| ̄|○ イラストレーター養成講座通信教育以来のあり得ない無駄遣いだった。 その新デジカメを片手に、犬山へと赴く。 徳授寺は、森長可に本堂を持って行かれてしまったお寺。本堂の材木は、小牧長久手の戦いに際して青塚の陣(現:青塚古墳)まで運ばれて陣屋として使われたという。
犬山遊園駅から犬山駅に舞い戻り、なり多(旧奥村邸)に行く。銀名水。織田信長や森長可・蘭丸もノドを潤した名水をタカアキさんと交替で飲み、犬山を後にする。 |
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10月15日(日) ついぞ若獅子蘭丸2006!!! | ||||||
5:30起床。 今日は例外的に兼山の手前の郵便局前でバスを下りる。 森家筆頭家老・各務兵庫の屋敷跡を尋ねた。森一族や関家そして妻木らの重要メンバーが住んでいた殿町とは全くかけ離れた場所にある各務邸。それはそれでここは大事な場所であったのだろうけれど、今は忍ぶよすがは何もなくなって.民家と畑と化している。 そこから歩いて兼山入りした。いつも素敵なプラスチック森蘭丸人形(2代目)が我らを出迎えてくれる。 森家の信仰も厚かった貴船神社にお参りしていると、私たちの姿を認めた蘭丸振興会の方が車を停めてやって来て声をかけてくださった。 しばらく話していると、また新たなる蘭丸振興会の方が車を停めてやっていらした。いつもは静かな兼山も、今日は早朝から続々とお祭り関係者登場。これから可児のホテルに出演者をお迎えにあがるという振興会のおふたかたと別れて、私たちは兼山湊で石畳に腰かけカニに用心しながら朝食をとる。 可成寺に朝のお参りに行くと、また蘭丸振興会の方に遭遇。今度はお墓案内中だった。 常照寺で妙向尼と林常照のお墓参りをすませ、いよいよ金山城跡へ登る。 早朝の金山城跡で蚊を打ちながらのんびり過ごして山を下り、和菓子処梅園さんで買った朴葉もちをいきいきプラザの展望台に登って食べていると、外の景色では、お祭りの準備が着々と進んでいるのが見えた。木曽馬も兼山入りしている。公民館では既に関係者が出入りし、広場では、MY鎧軍団の方々が今日の寸劇の練習をなさっていた。 「あ、やってるやってる♪あれは誰の役だろう。」 「あ、鶴丸さん(URL)がニンジン持って歩いてる。」 と、展望台から準備の様子を楽しく眺めていた。
ちょっと早いお昼ごはんは振興会の特設売店で蘭丸五平太餅と焼き鳥。本能寺の変のイラスト看板の下で、蘭丸五平太餅と焼き鳥が焼かれている。 お祭りの後、団地猫さまがタカアキさんと私を愛馬に乗せてくれ、森長可の長久手進軍コースを案内してくれた。道ながらの解説をしてもらいながら、懐かしい羽黒の八幡林(長可敗軍)、青塚古墳(長可が布陣)、廃線ピーチライナー(長可には関係ない第三セクター)。そして庄内川を臨む大留城跡へ到る。大留城主の村瀬作右衛門は進軍する池田・森軍をよく助けたという。
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