森蘭丸資料室                             ホーム


琵琶曲「森蘭丸」「本能寺」(2006年蘭丸供養祭より) クリック


蘭丸・坊丸・力丸へ捧げる香語

供佛齊僧坐道場、寫來七軸妙經王、又添八百鼻功徳、一朶薔薇遍界香

現代語訳: 森蘭丸らは諸仏を供養し、僧に施して自らも修行した。そして最高の経典を多く写経した。
        だからこれほどに八百の鼻をうるおす徳を得ることができたのだ。その一枝の薔薇が全世界に香っている。

備考: 「供佛齊僧坐道場」:「供佛」仏を供養すること、仏に供え物をすること。「齊僧」僧侶に施食する。「坐道場」:寺院に座す、すなわち修行する。
     「寫來七軸妙經王」:「寫」=写、「七軸」七軸とは限らず、多くの、意。「妙経王」経典の中でも最高のもの。
     「又添八百鼻功徳」:「八百鼻」経典を体得することによって得ることのできる、すべての香をかぎ分ける能力
     「一朶薔薇遍界香」:「一朶」ひとえだ。「薔薇」バラの花、ここでは蘭丸らを指す。「遍界」全世界。

コメント出典は『大宝圓鑑国師一黙稿』。森家菩提寺の大徳寺三玄院における森蘭丸・坊丸・力丸の二十五年忌要にて読まれた香語
     (香を焚く前に読まれる語)です。ここにある薔薇は、今、私達の想像するような西洋の薔薇ではなく、ハマナスのような優しげな
     東洋の薔薇を指したものでしょう。それにしても、蘭丸を薔薇に例えるとはステキですね。


『静軒痴談』の説く蘭丸、三成

人を観ることは大事なことである。人君たるものは、特にそうである。
石田三成が幼年にして三杯の茶を加減して秀吉公にすすめたことといい、森蘭丸が幼くして信長公の刀の鞘の刻みの数を数えていたのを隠さなかったことといい、その人の善悪はこれで既にはっきりしている。秀吉はどうして三成を寵愛してしまったのか。織田氏が滅びなければ蘭丸は柱石の臣となったであろうし、三成が志を得れば、豊臣氏の臣で終わる者ではなかった。

コメント:めずらしくも、石田三成と並べて褒められています。


『武者物語』にいう蘭丸

森蘭丸は三左衛門が次男、また森勝蔵長一の弟である。幼少より信長公へご奉公申し上げたという。年若と言っても普通の人とは違って、取り繕う心なく、飾り心なく、へつらう心なき生まれつきで、智者に重ねて仁者ともいうべき人物である。一生のうちに、右の物語(刀の刻み数を知っていて黙っていた話など)のような出来事が多かったという。しかし、短命で、信長公がご生害なさった時に、お供をされたという。

コメント:武辺咄の掲載された『武者物語』には、”御小姓森おらん”すなわち蘭丸の逸話がいくつか紹介されています(森長可も)。刀の刻みの数の逸話のあとに、蘭丸についての説明書きがありました。とてもさわやかな印象を受ける文章なので、つい掲載。次男とあるけど、本当は三男。文献では、このように長男の可隆がカウントしてもらえずに、長可を長男とし、蘭丸を次男とすることが多いです。


蘭学者大槻 磐渓先生の蘭丸評

「以右府之猜忌、而不嫉蘭丸之聡慧、亦以其有誠信足感人者耳。」

書き下し文:右府の猜忌を以ってして、蘭丸の聡慧を嫉まざるは、亦(ま)た其の誠信人を感ずるに足る者有るを以ってのみ。

コメント大槻 磐渓(おおつき ばんけい1801-1878)は、仙台藩の蘭学者です。意味は「信長公は人を嫉み嫌う性格でありながら蘭丸の聡明さを嫉まなかったのは、ただただ、蘭丸の誠実さが充分に人に感銘を与えたからである。」信長公はそんなに心の狭い男じゃないとも思うのだけど・・・。蘭丸よりも信長のほうが頭いいだろうし。(汗)
あた、蘭丸が事前に光秀謀叛を察して、これを討とうとしたところ、信長は蘭丸の言葉を、讒言としてみなしたことがありましたが、大槻先生によると、「そもそもが、その時に信長が他の事を疑わずに”蘭丸が光秀を讒言した”と疑ったのは、すなわち、信長公の運が尽きたということだ。ああ、信長公は光秀という狼を養って、自らかみつかれたのだ。信長公がよい最期を迎えることができなかったのは、誰を咎めることもできない事だ。」とのことです。結構きっつい学者さんですね・・・。


森蘭丸関係書状
     

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書状アドバイサー・森蘭丸先生のおことば

「御急ぎの状なればなる程 心を静め認(したた)むべし」

   _____急ぎの手紙ほど、落ち着いて書きましょう。


文芸家・森蘭丸先生がお作りになった和歌1首

一粒に 千とせをこめて いねの穂と こきの翁や 齢かぞえむ


文芸家・森蘭丸先生が好んだ和歌1首

梅が香を そでにうつしてとどめおき はるは過ぐとも かたみならまし


書道家・織田信長先生が森蘭丸さんにプレゼントなさった旗指物

信長公が蘭ちゃんに直筆で作ってくれた旗指物の文字                              
白い練り絹に書かれていた。  
 
     
よしの    たつた はな もみじ    さらしな えちじつきゆき
     
吉野 龍田花紅葉 更品越路月雪

参考:『森家先代実録』。または、

      
よしの      たつたのはな もみじ    さらしな えちじのつきゆき
     
吉野 立田の花紅葉 更科越路の月雪
参考:『総見公武鑑』と書かれていたという。
     
コメント:要するに吉野は花(桜)が美しく、竜田は紅葉、更科は月、越後は雪。美しいけど
不思議な旗指物、、。
うききには「名所紹介」にしか思えなかったのですが、殿がわざわざ書いてくれたほどなの
だからすごいものですよね。
                                                                                         


天才詩人・頼山陽先生が森蘭丸さんに奉げたといわれる詩

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森蘭丸関係の品

蘭丸直筆サイン入り書状(千葉・館山市博物館蔵)

■ 蘭丸直筆書状(大坂・金剛寺)

蘭丸着用具足(個人蔵)

蘭丸軍配(個人蔵)

蘭丸使用背負太刀(京都・本能寺宝物館蔵)

蘭丸愛用槍の穂先(可児市兼山・常照寺蔵)

■ 信長より拝領の備前友成の刀・相州貞宗の短刀2本収納箱(赤穂・大石神社)

■ 功臣・蘭丸公画像(京都建勲神社蔵)

■ 
安田作兵衛本能寺合戦の槍(佐賀・唐津城)

 森乱法師宛信長知行状(東京・前田尊経閣文庫)

■ 森乱のことを記す吉田兼見書状(大坂城天守閣)

■ 
明智光秀より贈られた文箱(非公開)


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