教えてください m(_ _)m
以下のどなたかお分かりの方がいらっしゃいましたら、どうぞお知らせください。(TーT)
@『多聞院日記 天正11年11月20日』 の訳一件落着 |
「一、坂本ノ城二居杉原ハ筑州無並仁也、近日以之外者二狂云々、又先日於瀬田、 森ノ勝三濃州ヨリ上ニ、矢兵衛衆ト喧嘩、互ニ散々色々■※ニテ手前ハ不苦、 一段ノ物クルイナレハ勝三何二クルイア ルヘキト云々、此比大坂ニテ野間・多羅尾以下レキレキ分国二不可叶トテカンタウト、 凶事悲心細者哉。」 ※(”口”編に”愛”という字。) 色々な有識者の方からご教示いただきました。ありがとうございます。m(_
_)m |
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A『武功雑記』の訳 |
「一、森武蔵守人数押ニ必ス夜ヲ用フ。其得ハ
無盗人 番不人 悪事ナシ 常ニ夜ヲナラフ 。氏郷モアルイハ夜ヲ用ヒラレシ由」 |
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B『一黙稿』の訳 一件落着 |
「桂岩宗昌大禅定尼活下火 慶長己亥年七月十九日」 「只合修身久昌桂。何図花屋落泉台。 |
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C『木々寸物語』内の逸話情報 一件落着 |
一 森武蔵守長可濃州[ ] 長定同是に居ス、金山の[ ] かき里の時、ひそかに云ひけ[ ] 命の際なれはこそ申せ[ ] 蘭丸君の世に絶なる御姿より[ ] らせて、何となく暁の衾の上[ ] の下ゆか敷たはれたる心にや、亦人に[ ] 云ひてうち状したり、折節蘭丸野へ出給ふ道 にて是を聞、小鷹を居へなから[ ] て臥所へゆきまんまんと呼ひ[ ] あつと答ふ、蘭丸の□□煩ひ[ ] [ ] ※岡山県立図書館所蔵の古文書『木々寸物語』に収録されていますが、本の下の方に欠損部分が多く、 |
D『森家先代実録 巻第五』に登場の城名 |
一、同年(天正15)二月朔日より、秀吉公西国進発厳島へ御参詣、夫より筑紫分の内 目白の城へ四月朔日被差向、大将木下小市郎秀長、同小吉秀勝、忠政君御病中 故、陣代林長兵衛為忠・丸毛三郎兵衛、尾藤甚右衛門、立花左近将監等、搦手よ り押寄セ、一時攻ニ城ヲ乗取何れも武功有りと云、豊前筑前の境なる岩弱の城に熊 井越中守楯籠るヲ、同朔日攻落す ※岩弱城は福岡県添田町の岩石(がんじゃく)城ということが判明しましたが、目白の城が不明です。 私の調べた範囲では”目白城”という名称の城はございませんでした。 今、一番それらしき城と考えているのが、岩石城に攻める前に豊臣軍が落城させた福岡県田川市(旧・ 田川郡赤村)の戸代山(としろやま)城(あるいは遠白山城)ですが、なにぶん資料が少なくて、確証が持 てません。この”目白の城”についてご存知の方はご教示ください。 ※ 「目城の城」について、日向に根城坂(目白城)が存在(宮崎県児湯郡木城町椎木字陣ノ内付近)とのご 教示を賜りました。ありがとうございます。 ![]() 一、同年(天正15)三月秀吉公九州島津御退治の節ハ、為御陣代林長兵衛被遣候、日 向平野村兵部か居城山崎の城へ、当家の勢ハ池田輝政と一所ニ攻口ニ向ひ働し由 也 ※こちらも”山崎城”に該当する城名が見つかりません。城主とされる”野村兵部”は、島津配下の将・ |