教えてください m(_ _)m


以下のどなたかお分かりの方がいらっしゃいましたら、どうぞお知らせください。(TT)

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@『多聞院日記 天正11年11月20日』 の訳一件落着
「一、坂本ノ城二居杉原ハ筑州無並仁也、近日以之外者二狂云々、又先日於瀬田、
森ノ勝三濃州ヨリ上ニ、矢兵衛衆ト喧嘩、互ニ散々色々■ニテ手前ハ不苦、
一段ノ物クルイナレハ
勝三何二クルイア
ルヘキト云々、此比大坂ニテ野間・多羅尾以下レキレキ分国二不可叶トテカンタウト、
凶事悲心細者哉。」

(”口”編に”愛”という字。)

色々な有識者の方からご教示いただきました。ありがとうございます。m(_ _)m
その内容は
長可逸話のページに掲載させていただきました。

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A『武功雑記』の訳
「一、森武蔵守人数押ニ必ス夜ヲ用フ。其得ハ 無盗人 番不人 悪事ナシ
常ニ夜ヲナラフ 。氏郷モアルイハ夜ヲ用ヒラレシ由」
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B『一黙稿』の訳 一件落着
「桂岩宗昌大禅定尼活下火 慶長己亥年七月十九日」

「只合修身久昌桂。何図花屋落泉台。
秋鶯唱起還郷曲。驚破深閨残夢来。
恭惟桂岩宗昌大禅定尼。女丈夫儀。賢君子才。
活機自由。欺瞞凌行婆呼小使。
受用堅確。罵辱總持尼為輿擡。
 裁断紅塵脱枷鎖。勤修白業擲貨財。
説甚五障幽雲。朝露吹朱槿。
説甚三従愛水。夕雨洗蒼苔。
钁湯炉炭一■■倒。剣樹刀山一撃撃摧。
恁麼不恁麼。木下拍手。露柱懐胎。
此是大禅尼針鋒頭上。遊戯三昧事。即今帰家穏坐底一句如何剪定。
挙火把打円相云 火裏蓮華朶朶開。喝一喝。」

前後どちらとも”足”編に”易”という字

(管理人)木下勝俊に嫁いだ”うめ(宝泉院殿桂岩宗昌大姉)”の事を書いてある
そうですが、私にはお手上げです。
「なんか、すごそう・・・。」という事くらいしかわかりません。
どなたか漢文にお強い方のお力を貸して下さい。

仏教にも詳しい中国語のネイティブの方にひとつひとつの意味を教えてもらいながら読み解いてゆき、
おおまかな内容が判りました。「
森家女性しりょう

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C『木々寸物語』内の逸話情報
一 森武蔵守長可濃州[ ]
  長定同是に居ス、金山の[ ]
  かき里の時、ひそかに云ひけ[ ]
  命の際なれはこそ申せ[ ]
  蘭丸君の世に絶なる御姿より[ ]
  らせて、何となく暁の衾の上[ ]
  の下ゆか敷たはれたる心にや、亦人に[ ]
  云ひてうち状したり、折節蘭丸野へ出給ふ道
  にて是を聞、小鷹を居へなから[ ]
  て臥所へゆきまんまんと呼ひ[ ]
  あつと答ふ、蘭丸の□□煩ひ[ ]
  [    ]

岡山県立図書館所蔵の古文書『木々寸物語』に収録されていますが、本の下の方に欠損部分が多く、
 肝心の内容が判りません。慶応大学図書館所蔵の蔵書『きゞす物語』上下巻の内容も調べましたが、
 上の話自体が見当たりませんでした。興味深い内容です。
 上記の話にお心当たりの方は、どうぞご教示ください。

D『森家先代実録 巻第五』に登場の城名 
一、同年(天正15)二月朔日より、秀吉公西国進発厳島へ御参詣、夫より筑紫分の内
  目白の城へ四月朔日被差向、大将木下小市郎秀長、同小吉秀勝、忠政君御病中
  故、陣代林長兵衛為忠・丸毛三郎兵衛、尾藤甚右衛門、立花左近将監等、搦手よ
  り押寄セ、一時攻城ヲ乗取何れも武功有りと云、豊前筑前の境なる岩弱の城に熊
  井越中守楯籠るヲ、同朔日攻落す

岩弱城は福岡県添田町の岩石(がんじゃく)城ということが判明しましたが、目白の城が不明です。
  私の調べた範囲では”目白城”という名称の城はございませんでした。
  今、一番それらしき城と考えているのが、岩石城に攻める前に豊臣軍が落城させた福岡県田川市(旧・
  田川郡赤村)の戸代山(としろやま)城(あるいは遠白山城)ですが、なにぶん資料が少なくて、確証が持
  てません。この”目白の城”についてご存知の方はご教示ください。
※ 目城の城」について、日向に根城坂(目白城)が存在(宮崎県児湯郡木城町椎木字陣ノ内付近)とのご
  教示を賜りました。ありがとうございます。


一、同年(天正15)三月秀吉公九州島津御退治の節ハ、為御陣代林長兵衛被遣候、日
  向平野村兵部か居城山崎の城へ、当家の勢ハ池田輝政と一所攻口向ひ働し由
  也

こちらも”山崎城”に該当する城名が見つかりません。城主とされる”野村兵部”は、島津配下の将・野村
 忠敦
のことではないかというご教示をいただきましたが、それ以上の事が判りません。
 ご存知の事がございましたらよろしくご教示ください。
 →
一件落着?日向がではなく、大隈(鹿児島)の山崎城であることが判明しました。
 →野村兵部とは「野村良綱」のことのようです。居城は山崎です。

※ 島津方面から色々とご教示賜りました、ありがとうございます。


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