森家関係女性資料室   1/25 劫甫宗永禅尼 (うめの姉)への活下火の語UP


木下勝俊室うめの和歌

命やはうき名にかへて何やらん まみへぬためにおくるきりかみ

コメント:森蘭丸の姉、うめの夫である木下勝俊は、関が原の合戦前に戦線離脱し、其の後も家康の逆鱗に触れ、ついには所領没収の憂き目に遭い流浪の身になりました。その後彼は剃髪し京都に隠遁して花鳥風月を愛でる生活をおくるものの、武門の誉れ高き森家の生まれであるうめは、そのような軟弱な夫を見限り、髪を落として実家に帰りました。その時にこの歌をよんだとされます。やはり姉妹も過激。


木下勝俊室うめへの活下火の語

原文:「桂岩宗昌大禅定尼活下火 慶長己亥年七月十九日」      『一黙稿』

「只合修身久昌桂。何図花屋落泉台。
秋鶯唱起還郷曲。驚破深閨残夢来。恭惟
桂岩宗昌大禅定尼。女丈夫儀。賢君子才。
活機自由。欺瞞凌行婆呼小使。
受用堅確。罵辱總持尼為輿擡。
裁断紅塵脱枷鎖。勤修白業擲貨財。
説甚五障幽雲。朝露吹朱槿。
説甚三従愛水。夕雨洗蒼苔。
钁湯炉炭一■■倒。剣樹刀山一撃撃摧。(前後どちらとも”足”編に”易”という字。)
恁麼不恁麼。木下拍手。露柱懐胎。
此是大禅尼針鋒頭上。遊戯三昧事。即今帰家穏坐底一句如何剪定。
挙火把打円相云 火裏蓮華朶朶開。喝一喝。」


現代語訳: 

秋の鶯が鳴いて郷(さと)還りの曲を歌い、彼女の閨(ねや)での夢は終わった。(彼女は死んで、夢とも言えるこの世での事は終わった。)
桂岩宗昌大禅定尼は女丈夫で、才女である。
頭が良くて発想が自由。だから彼女は
仏教の修行女ですら下人として使う。
信仰心が高い。だから、彼女は總持尼ですら輿舁(こしか)きとして使う。
俗世の枷鎖(かさ)を断ち切り、善業のためならば財貨も擲(なげう)つ。
五障の障害なんて、彼女にとっては朱槿の花の上の朝露のよう(に大したことない)
三従の障害なんて、彼女にとっては、青い苔の上に降る夜雨のよう(に大したことない)
地獄の煮えたぎる湯も、熱い炉もひと蹴りで倒してしまう。地獄の剣樹も刀山も、一撃で砕いてしまう。
こんなことができようか。これは桂岩宗昌大禅定尼こそができること。
人が熱中するお金や功名には妄執せずに、彼女は今すみやかに家
(墓場)に帰って穏やかに座す。
はっきりと云いましょう、彼女は火中に沢山に開くハスの華のように素晴らしい。

コメント:
「桂岩宗昌大禅定尼活下火 慶長己亥年七月十九日」 慶長四年(1599年)に”うめ”が大徳寺三玄院よりもらった活下火の語です。下火(あこ)とは遺骸に火をつけることですが、彼女はまだ死んでいないので「活下火」とは生きているうちにもらう語なのでしょうか…。(→調べます。)
これは漢文である上に仏教用語が含まれていて、漢文専門の方に持ちこんでも難解でわからないとのことでしたが、仏教にも詳しい中国語のネイティブにひとつひとつの意味を確認しながら読み解いてゆき、おおまかに上のような内容であることが判りました。補足を入れておきます。
また、解釈等についてご意見などございましたらご教示願います。

備考:
@「只合修身久昌桂。何図花屋落泉台。」:うめの諱(いみな)を当てはめているもので、この香語への意味には関わってこないとのことでした。
A「秋鶯唱起還郷曲。驚破深閨残夢来。恭惟」:死んだということを美しく表現しています。「恭惟」は”ほめる”こと。
B「桂岩宗昌大禅定尼。女丈夫儀。賢君子才。」:
C「活機自由。欺瞞凌行婆呼小使。」:「欺瞞」は「凌行婆」をおとしめて言うための語、「凌行婆」は仏教を修行する女性。「小使」は下人。
D「受用堅確。罵辱總持尼為輿擡。」:「罵辱」は「總持尼」をおとしめて言うための語、「總持尼」はブッダの初めての女弟子
E「裁断紅塵脱枷鎖。勤修白業擲貨財」:「紅塵」は俗世間の事。「白業」は前世の善業。
F「説甚五障幽雲。朝露吹朱槿。」:「説甚」は”〜なんか”の意。
                      「五障」は女性は、梵天・帝釈天・魔王・転輪聖王・仏身の五つの地位を得ることができないという仏教の教え。
                      「朱槿」はハイビスカス〜!!!
G「説甚三従愛水。夕雨洗蒼苔。」:「三従」は女性は、生家では父に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後は子に従うという仏教の教え。
                      「愛水」は障害の水、川。
H「钁湯炉炭一■■倒。剣樹刀山一撃撃摧。」:「钁湯」、「炉炭」、「剣樹」、「刀山」はいづれも地獄にあるもの。それを彼女はものともしない。
I「恁麼不恁麼。木下拍手。露柱懐胎。」:「恁麼不恁麼」こんなことができるのか。「木下拍手」というのは文字通りには”木の下で拍手”ながら、ここ
                          での意味がわからない。「露柱懐胎」もあり得ないことの例えのようだけど、ここでの意味がわからない。
J「此是大禅尼針鋒頭上。遊戯三昧事。即今帰家穏坐底一句如何剪定。」:「針鋒頭上」小さなこと。
                                              「遊戯三昧事」人が固執するもの、たとえばお金や功名。
                                              「帰家」:死んだ人が帰る家、すなわち墓場。 
K挙火把打円相云 火裏蓮華朶朶開。喝一喝。」:「挙火」たいまつをかかげる。
                              「円相」は禅僧が完全な悟り、心の本来の姿を示すために描く円。
                              「火裏蓮華朶朶開」蓮の華は他の植物と違い、火の中にあって、ますますよい香りを放つそう
                              で、「朶朶」はそんな蓮の華が火の中で沢山花開くさま。彼女の遺徳を蓮の華に例えている。


劫甫宗永禅尼 (うめの姉)への活下火の語

原文: 劫甫宗永禅尼活下火 寶泉院殿兄弟、慶長十三年戌申歳夏佛生日」 『一黙稿』

跳出閻浮離永劫 即今何處有塵埃

杜鵑枝上三更月 舜若多神喚不回

喝一喝

現代語訳:
彼女はこの世を飛び出し、永遠にそこを離れる。
だから今は塵や埃がどこにもない世界にいる。
杜鵑(ほととぎす)の鳴く枝の上には真夜中の月が照る。
舜若多神が呼んでも彼女を引き戻すことはできないのだ。

コメント:
うめと同じく、宝泉院(うめ)の姉とされる女性が大徳寺三玄院よりもらった活下火の語です。
この項目に、解説のようなものが書かれていますので、ここに訳を出しておきます。

「南方に善女がいる。ある日、山に入って(=死ぬ)諱が必要となる。よって「宗永」と名づく。そして「劫甫」の二字で彼女を呼ぶ。この善女について詳しい「秉炬(ひんこ)の語(=棺に松明をくべる儀式に読む語)」を請われたが、私にはできない。だから経典の「伽陀」の一章からの言葉で応える。
(南方有善女、一日入山野屋需諱號、乃曰宗永、摘劫甫之二字稱之矣、加之預請秉炬之語、不克揶揄、賦伽陀一章以應焉)

『一黙稿』と同じ大徳寺国師による『大寶圓國師行道記』
の解説によれば、「同(慶長)十三年四月十五日永甫宗劫尼に与ふる活下火(あこ)の語有り、蓋し宗劫は即ち宗昌(うめ)の姉なり」とあります。  この姉については、どの人物を指すのかはっきりしていませんが「うめ」の姉ということなのでここに掲載しました。
ただし、『森家先代実録』によれば、森忠政の娘「お郷」の項が「三玄院にも位牌有り 永甫宗劫禅定尼(文字が入れ替わっているけど)」となっていますし、また津山の「宗永寺」はお郷の「渓花院殿春嶽宗永大姉」にちなみます。叔母と姪とが同じ法名を持つとは考えにくく、これを根拠にすれば、
「劫甫宗永禅尼は森忠政の娘であるほうが正しいかも知れません。そうすれば、彼女はうめの「姉」ではなく、「姪」ですね。

備考:  
@「跳出閻浮離永劫」: 「閻浮(えぶ)」は”人間世界”、”この世”という意。この一文は「死ぬ」という事を指している。
A「即今何處有塵埃」:「塵埃」
ちりやほこり、けがれた世の中。俗世間
B「杜鵑枝上三更月」:「杜鵑」:ホトトギス。夜に鳴くことから「死」にも関連づけられる鳥。
              「・・・蝴蝶夢中家萬里 杜鵑枝上月三更 …( 唐代:崔塗 )」漢詩からの引用か。 「三更」:真夜中。夜12時

C「舜若多神喚不回」:「舜若多神」は空の神様  


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