森 長可関係資料室


長可君に捧げられた漢詩・俳句。

■ 一代雄帥世以鬼名 長湫之厄命因義軽

  ”一代の雄帥 世は鬼を以って名づく 長湫之厄(ながくてのえき) 命は義により軽ろし” 

   この書き下し文は合っているのでしょうか、(><)漢詩に詳しい方ご教示くださいませ。
      また、口語訳は「一代
の雄帥、世は鬼と呼ぶ 長久手の戦いで、義の為に命も犠牲する」とのことです。

   (可成寺の長可公肖像画にある賛) 

■ 二十七年残夢場 眉毛厮結露堂堂 栴檀婆律還他去 四月桂花拈一香 

  現代語訳森長可は二十七年だけ生きた。眉を寄せるその姿は何一つ覆い隠さずに堂々としている。
        栴檀や婆律など(人工の)お香は要らない、今(四月に)咲く桂の花で充分だ。

  
備考:「二十七年残夢場」:二十七年は長可の生きた歳月。「残夢場」は”(この世に)夢を残す”すなわち死ぬことを指す。
      「眉毛厮結露堂堂」:眉がキリリと結ばれている様子。「露(ろ)堂々」は何一つ隠すことがなく、明らかに露(あらわ)れていること。
      「栴檀婆律還他去」:「栴檀・婆律」ともにお香。そういう香りのするものは遠慮する。
      「四月桂花拈一香」:「四月」長可の死んだのは旧暦4月9日。「桂花」カツラの花、香りのよい木で花は葉は香の原料にもされる。
                   「拈一香」香をひねりとる

  
コメント: 出典は『大宝圓鑑国師一黙稿』。慶長15年4月9日、大徳寺三玄院での長可の二十七回忌法要にて読まれた香語
        (香を焚く前に読まれる語)です。
        「ええっ?!長可の眉毛が結露?!」と、この奥深い香語をきちんと理解できない私の為に、お友達が意味
        を教えてくれました。
        実はこの香語、武将らしい長可の姿のこと、そしてそんな彼の御霊に捧げるべきは、作られたお香ではなく、この自然界そのま
        まの香りを、という気持ちを読みこんだものだったのですね。

■ 鬼百合やあたら盛を塚の陰

  (天明三年に長可君二百年忌の節に森家家臣・小林多仲が、雪霜経たる長可の墳墓で落涙して読んだ俳句。)


イエズス会の報告にみる長可

 (長久手の戦いの)双方の死者については未だ確実なることを聞かないが、通常言ふところによれば1万を越え、その大部分は羽柴方であった。  その中に美濃国の領主池田紀伊守殿(Iquenda Quino Camidono)、その聟(森武蔵守)その他多数の高貴なる人があった。(1584年の日本年報)

 この戦では、おもだった武将多数が死んだ。美濃国の領主とその子(池田之助)、及び聟シャウガン殿(Seogandono=森長可)と共に死んだ。
  (1585年の日本年報追加)

コメント:イエズス会の『日本年報』(訳:村上直次郎)にでてくる長可に関する表記のくだりです。原文を探したけれど手に入らなかったので出版されている訳本から引用させてもらいました。”Seogandono”は長可の通称の勝蔵(しょうぞう)に由来するのでしょうか。



長可関係書状・遺言

森長可関係書状データ集(←クリック)


長可関係の品

長可愛用の十文字の槍 クリック

長可愛馬「百段」 クリック

長可遺言書(個人蔵)クリック

長可使用・金三ツ団子馬印(赤穂・大石神社)

長可着用龍頭兜(赤穂・大石神社)

長可、武田から分捕りの置筒(赤穂・大石神社)

長可、諏訪で強奪の上、遠久寺へ寄進の鰐口・陣太鼓(信州・遠久寺)

長可、長久手の合戦で使用した馬の鞍と鐙(京都・中村甲刀修史館)


風流人長可さまの和歌1首

みよしのの 山もかすみて しら雪のふりにしさとに 春は来にけり

(『森家先代実録』に長可の歌とでてるけどよそで見かけたよーな。)


長可君の貴重なお言葉。

「馬商人は馬をよく見、鷹師は鷹をよく見、犬好きは犬をよく知る。
人のこともまた、言葉立居振舞いをよく気にかけてみれば判らぬことはない。」


長可に対する世間の評価

『木々寸物語』にある長可紹介「森長可のことは、以前、信長公も”鬼武蔵”と召連れていらっしゃった。このたびは秀吉公に器量の将と頼られ                     た。」

                 「惣じて長可は背丈が低く小柄だけれど、勇にして大志があった。」

小唄:今の浮世は結構ずくし 森の武蔵に池田がなくば 諸国諸大名は長袴♪

肥田兵内、長可に言いがかりをつけられて :「人の領内に長可の下屋敷を造りたいなんて、傍若無人の沙汰だ。」

秀吉、長久手の戦いで長可討死を知って:「池田・森は我が癪(しゃく)の虫だったけど、今日戦死してくれたのはこの秀吉が天下を取るべき瑞祥。モチ糊にも竿にもひっかからぬ者は忌まわしい。まことに花も実もある大将ではあったが、これで3年の間は長袴(ながばかま)じゃな。」

家康:(長久手の戦で長可を討ち取った事を回顧して)たとえ宇喜田秀家や石田三成が束になってかかってきても負けはしない。」

長可が鉄砲に撃たれて討死にしたので、『肥田軍記』にいう、「彼の謚(おくりな)が”鉄開秀公大禅定門”というのが笑える。」


ほーむ

最終更新日06/02/04