韓国に行ってまでして森家な旅 もしかしてパート2 |
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※ご注意:今回の旅もヒラメやナクチや倭城など、森家には直接関係ないものも多く登場します。文献に載ってないだけで、本当は関係ある倭城もあるかも知れないですが、今回の旅の森家関係史跡は釜山鎮城跡くらいなもんです。あ、倭城というのは日本軍が朝鮮に築いた城のことで朝鮮側の城と区別するために使います。 ちなみに、朝鮮出兵の時には、時の森家当主の森忠政は肥前の名護屋城でお留守番していたので、渡海しておりません。でも、叔父さんの森可政が渡海しています。今回も、その叔父上をしつこく追っかけてきた旅です。 あと、豊臣秀吉の朝鮮出兵の関係の城をゆくということもあるので先にお断りしておきますが、この旅行記の中で私がどんなに張り切って倭城に登っていようが、それはあくまで近世城郭の遺構を当時のままの形で見ることができるという貴重な体験を喜んでいるもので、慶長・文録の役を肯定している訳ではありません。m(_ _)m (※GWに行った初回「韓国に行ってまでして森家な旅」) 2009年12月4日-6日 in 韓国
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■ 12月4日(金) |
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★旅程:博多-(高速船コビー)→釜山港-(タクシー)→チャガルチ市場→韓成モーテル(エロくない)泊 今年のGWに森家を追って韓国へ行ってしまった私だが、その時のメンバーがまた韓国へ行くというので便乗して、またしても森家を追って渡韓する事にしてしまった。 一年に二度も海外に森家出張するとは思ってもいなかった。 森蘭丸の叔父さん森可政が攻めた朝鮮の城については二箇所の記録がある。
そして釜山の宿に帰ってお酒やお菓子を買いこんでオンドル部屋で反省会。いや、別に誰も何の反省もしていないが。 |
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■ 12月5日(土) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
★旅程:熊川倭城→安骨浦倭城→熊川鎮城→韓成モーテル(エロくない)泊 翌朝は朝からスタミナたっぷりの食事。
お昼ご飯は焼肉だ!しかも牛肉だ!ビール(メッチュ)と合成焼酎で乾杯だ!韓国だから臭いも気にせずに勢いでニンニク(マヌ)をバクバク食べまくる。ニンニクの追加注文まで入れる。
そして途中ちょっと席を立ってお手洗いに行くと、そこで不思議なものを見てしまった。
そうして無駄にスタミナをつけまくった後は、安骨浦倭城跡を訪問したことのない人の為にこの城を再訪。日本水軍が築いた城で、天守が三つも存在する家庭内別居城だ。そして『脇坂記』によれば、在番の順序は脇坂・九鬼・加藤でくじ引きをして決めたらしい。
さて、今日の〆は朝鮮側の城である熊川邑城(ウンチョンオプソン)だ。権さんが調査なさった城でもあるので、解説つきで案内してもらえた。
夕食は皆でサムゲタン(参鶏湯)を食べるはずが、お店に行けばなんかすごい勢いで話しかけてこられた(私にじゃないけど)。韓国語は語気が強くて勢いがあるから、喧嘩ふっかけられてるのかと勘違いしてたまに怖い。
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■ 12月6日(日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
★旅程:釜山駅-(地下鉄)→佐川洞駅-(徒歩)→鄭公壇(釜山鎮城)-(徒歩)→子城台倭城-(地下鉄)→徳川駅-(徒歩)→亀浦倭城-(徒歩)→徳川駅-(地下鉄)→釜山駅-(タクシー)→釜山港-(ジェットフォイル)→博多港 最終日は当初、一人で森家史跡・鄭公壇(釜山鎮城)を回ろうと思いきや、福岡組が同行してくれることになり、しかし、結局最終的には旅行メンバー全員で出かけた。皆なんだかんだ言って森家がかなり気になっているのに違いない。 高速船ビートルで帰国する私達(福岡組)はいずれ戻ってくる釜山駅のコインロッカーに荷物を預けて身軽になる。佐川駅で下車して関西組はコインロッカーに荷物を預けようとするも、駅はやたらと広いのに肝心のコインロッカーがないので、結局は荷物を抱えての最終日・史跡めぐりとなった。 身軽な私は森家史跡について来てくれる皆さんを荷物を担いだまま道に迷わせては申し訳ないと思い、先に走って場所を確認してきたのに、なぜか私は森家見たさにダッシュして行ってしまったことになっており、それは誤解なのであって、私は思いやりがある行動をしたのであり、ここで改めてそれは違うと申し上げておきたい。 さて、森可政が攻めたかも知れない「釜山海の城」は、釜山鎮城のことだが、今は城跡の南門に当たる場所は、戦死した朝鮮方の武将「鄭撥(チョンパル)」がお祀りされる廟所「鄭公壇」となっている。廟所に行くとその扉は鍵がかかっていた。Σ(゜□゜; 海を渡り、ここまで来て「開いてませんでした。」は嫌だ。「ごめんください!」と言っても内側からは何の反応無し。かくなる上は廟所の前のお店に頼んで何とかしてもらおう!と怪しい作戦を立てていると、内側から鍵が開く音がして、おじいさんが扉を開いてくれた。 「よかったぁあああ。」 と思った瞬間に扉からポーンと小型犬がジャンプして私に飛びついてきた。 「うわっ!」とびっくりした次の瞬間には犬はもう別の人に飛びついており、その別の人が驚いた時には犬はもうさらに他の人に飛びいていて、また私に飛びかかってきたりして縦横無尽に高速回転していた。
釜山子城台倭城という倭城の最寄り駅は凡一洞駅。でも釜山鎮城跡からでもじゅうぶん徒歩で行くことができる。
そして見学が終わると、また佐川駅から地下鉄に乗る。このまま空港へ向かう関西組とは地下鉄の中でお別れすることになる。 なのに、本丸跡にいた火事の見張りのおじちゃんに「アンニョンハシムニカ!」と通りすがりに挨拶したばかりに、韓国語でものすごく話しかけられてきた。「韓国語は分かりません。」と言って逃げようとすれば、ジェスチャーも交えて、もっともっとたくさん話しかけてくる。まくしたてられるところどころを聞けば、英雄イスンシン(李舜臣)を語っているぞ!
と、いうわけで、ほとんど駆け足で亀浦倭城を見て回って急いで地下鉄で釜山駅に向かった。釜山駅から釜山港国際ターミナルまで出なくてはならないが、九州組の一人がバスではなくタクシーで行こうとのこと。 《完》
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