徳川家康が江戸に幕府を開いてより、いや、江戸城築城そのものの時代より、森家にとってもゆかりの地となる。
特に森忠政時代には、息子の忠広の妻を徳川家(前田家より養女)より迎える厚待遇を受け、江戸城とは至近距離に森家の屋敷跡があった。
(※このページへの掲載分は一応、森忠政分の時代までにとどめました。津山・森家関係や、赤穂藩森家関係などなど、森家に関するものは大量にあります。)
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■ 森忠政屋敷跡
『武州豊嶋郡江戸庄図』という、寛永9年の江戸を描く絵図にある ・「森美作」屋敷(森忠政)、 ・「森右近」屋敷(忠政の息子・森忠広) ・「美作下やしき」 の敷地を現在の地図と重ね合わせたところ、今はこのJR東京駅(丸の内1丁目)になってしま った訳です。く…。
《 みどころ 》 石碑や遺構などの類はないようで、「嗚呼、ここがそうだったのか…。と想像力を |
■ 江戸城
徳川家康が大名に命じて築城させた江戸城。 管理人、せっかく行ったのに城内に入れず(再チャレンジが成功してから詳細紹介します。) 開城時間にご注意!!
《 みどころ 》 徳川家による慶長期の江戸城修築には、森忠政も手伝いを命じられた。 《 交通 》 JR東京駅下車 徒歩15分 |
■ 南泉寺
詳細不明ですが、森蘭丸の墓があった(過去形)そうです。 (典拠:南泉寺ここの「1」に「横山大観・森蘭丸の墓がある。」と、書いてたから行ったのですが!) もともと、江戸時代以降の森家の菩提寺の一つではあります。 《 みどころ 》墓の詳細も不明で移転したと言われショック状態。谷中史跡散歩サイトさんにも |
とりあえず、ここに忠政以外の江戸の史跡をちょこっと書いております。江戸旅行記(中途半端編)
つづく…