津山は森家のおひざもとで史跡がありすぎて大変なので森忠政関係にしぼって掲載しています。 ホーム 史跡INDEX
■ 津山城跡
忠政が慶長8年に美作津山へ入封。12年の歳月をかけて平山城を完成させた。津山城築城に際して、 小倉城の縄張りに倣った。忠政は家臣の保田惣右衛門らを密かに小倉遣り、密かに小倉城の城郭図を移そうとしたところ、ばれた。度量の大きい小倉城主細川忠興は以外にも城郭図を貸し与えたばかりか、城の完成にあたっては朝顔の半鐘とよばれる鐘を送っている。更に忠政、津山城を幕府に内緒で5層の天守を4層に見せようとしてみせた。幕府が検分に来る直前に慌てて切り落としたという話。今は鶴山公園としてに ぎわう。有名な桜の名所でもある。 《 みどころ 》 |
■ 津山城備中櫓
津山城の櫓の中で最大級の規模を誇っていた備中櫓が、森忠政公築城400年記念として平成17年に 完成した。 森忠政の娘聟の「池田備中守長幸」に因んで名づけられたのではないかといわれ、また、それを裏付ける かのように、池田家の家紋の揚羽蝶の瓦が発掘されている。 《 みどころ 》 |
■ 津山城外濠跡(大手町)
津山城の外濠跡。土塁と石垣が少しだけ残っている。 |
■ 津山郷土博物館(山下)
鶴山公園下にある。美作の古代からの歴史を学べる。 《 みどころ 》 |
■ 歴史民俗館(山下)
鶴山公園下にある。津山教育博物館の別館として津山藩の御用商人であった森本家によって建てられた。 津山藩に関する資料、日本基督教、津山商人に関する資料がある。 《 みどころ 》 |
■ 妙願寺(戸川町)
蘭丸らの母妙向尼のゆかりの寺。森忠政が郷里の美濃金山に妙向尼が建立した寺を移してきたもの。元和7年(1621年)に建立。妙願寺の山号は森力丸の法名「法雲宗心居士」の一部をとって法雲山となっている。初代住職は、関家に嫁いだ忠政の姉の子・了向であり、現在も世襲によって受け継がれている。 西本願寺寄贈の妙向尼画像や森忠政書状がある(非公開)。 《 みどころ 》 《 交通 》 《 その他画像 》 ■森忠政手植えの松(二代目) ■各務氏墓 |
■ 本源寺(小田中)
臨済宗東海山本源寺。森家歴代藩主の菩提寺。森忠政も分骨されてここに眠る。この寺の前身は龍雲寺と呼ばれていたが、忠政の50回忌に「本源院」の諡名をとって本源寺と改称された。見上げなければ拝めない7基の墓石の大きさには驚く。 《 みどころ 》 《 交通 》JR津山駅から徒歩20分。 |
■ 宗永寺(小田中)
津山西小学校裏にある臨済宗のお寺。森忠政の娘で、森長継の母堂でもあった渓花院殿春嶽宗永大姉の 諱(いみな)「宗永」を寺号としている。津山森家の墓所がある。 《 みどころ 》 《 交通 》JR津山駅から徒歩20分。 |
■ 衆楽園(山北)
津山藩2代藩主森長継が明暦年間(1655〜1658)に京都から作庭師を招いて仙洞御所を模して造ったといわ れる庭園。回遊式日本庭園で、睡蓮が美しく、カモが遊び、憩いの場となっている。 |
■ 泰安寺(西寺町)
森忠政入封のとき、美濃金山の涅槃(ねはん)寺を移し作州涅槃寺としたが、松平時代に泰安寺と改められ、松平家の菩提寺となった。 《 みどころ 》 《 交通 》JR津山駅から徒歩20分。 |
■ 成道寺(西寺町)
慶長8年(1603年)に忠政が建立した浄土宗の寺。 忠政入封のとき、美濃金山の来迎寺を移したもの。しかし、のちに落雷に遭い、カミナリに通じる”ライ”の字 を忌み、寺の名は成道寺と改められる。 《 交通 》JR津山駅から徒歩20分。 |
■ 寿光寺(西寺町)
元は鳳翔山景徳寺といい、元和年間の創建といわれる。開基は、森忠政の叔父・森可政。 松平藩時代には、松平家の菩提寺の一つとなり、松平忠直と、継母の戒名を取り、西厳山 寿光寺と改められた。 《 みどころ 》 《 交通 》 |
■ 百段の祠(不明)
場所が不明。現存するかも不明。(笑)長可の愛馬の祠があるとの記述が『朝野雑載』という書物にある。 長久手の戦いでは、長可が眉間を打ち抜かれ落馬した時に、大暴れして、主の首を敵に渡さなかったと 言う。2度にわたる大阪の陣では、忠政が乗馬この百段、その碁、百段の死に際して忠政が憐憫のあま りに祠を作ったと言う。情報求む! |
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