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(゚-゚)バスに乗って行く場合は、観光案内所で一日乗車券を買うと便利です。各寺でご朱印をいただく(有料)のも楽しい。
■ 本能寺跡
天正10年(1582年)6月2日未明、明智光秀の襲撃により、この寺を宿にしてた織田信長および 森蘭丸ら家臣が討死した歴史的場所。今は更地になっているが、立て札等で説明書きがある。 また、出土品は伏見城に保管されている。 《 みどころ 》 目印は「此付近 本能寺跡」。 《 交通 》中京区蛸薬師油小寺下ル |
■ 本能寺
言わずと知れた本能寺だが、これは別の場所に再建されたもの。 余りに火事の回数が多くて、火(ヒ)の含まれる”能”の字は改められ、現在違う字が使われ ている。信長公廟には本能寺戦死者が奉られている。 《 みどころ 》 本能寺宝物館には蘭丸の物といわれる背負太刀が。 《 交通 》市バス205番乗車 市役所前下車 |
■ 阿弥陀寺
信長と蘭丸三兄弟をはじめとする、本能寺犠牲者の眠る寺。 寺伝では、本能寺の変の折、信長の首をどう隠すべきかと家臣たちが悩んでいたところ、当時の 住職が首を隠し持って阿弥陀寺へテイクアウト。光秀討伐後、秀吉がその首を所望したが住職は 秀吉の供養PR行動の対象になることを恐れ、頑として渡さず、やむなく秀吉は信長の木像をこし らえ信長の遺体にみたて、大徳寺で盛大なる葬儀を執り行ったとの事。後に秀吉により、現在地 に移され、八分の一の規模に縮小されてしまった。 信長公像、信長の遺品や森可成書状を所蔵。(非公開)(上京区寺町通今出川上ル) 《 みどころ 》 境内には、織田信長・信忠、森三兄弟や蘭丸の義兄弟の青木次郎左衛門その他討 《 交通 》市バス205番乗車 葵橋西詰下車 |
■ 阿弥陀寺跡
いつかここに祠の画像 | 阿弥陀寺が豊臣秀吉によって天正15年に現在の場所に移される前は、上京区上立売通芝薬師町 にあり、多いに繁栄をみせていた。信長や森蘭丸らの遺体はこの地に葬られたという。 《 みどころ 》 最近まで存在した阿弥陀寺町という地名もなくなり、現在はそれを忍ぶものは 《 交通 》 |
■ 織田稲荷神社
大徳寺の隣の今宮神社には織田稲荷神社が合祀されてある。ややこしいけど、阿弥陀寺が移転 した跡地に織田稲荷神社が建てられ、後にその織田稲荷神社が今宮神社に合祀された。 《 みどころ 》 今宮神社へ訪れる人も、知らなければ見逃してしまうサイズのミニ神社。 |
■ 大徳寺三玄院
大徳寺は秀吉が信長の葬儀をしたことで知られる寺院。総見院に信長公木像がある。 同じ大徳寺三玄院は森忠政の菩提寺であり、忠政や”うめ(宝泉院)”の墓がある。 森一族の位牌もまつられている。 関係者以外立ち入り禁止なので一般ピープルは院の外から見守るのみ。 《 みどころ 》 拝観謝絶だけど、入り口には説明書きの札がある。 《 交通 》市バス205番乗車 大徳寺下車 |
■ 大徳寺真珠庵
森家の記録によると、この真珠庵にも森可成以前の森家の位牌がまつられているという。 (非公開) 《 みどころ 》 拝観謝絶だけど、境内は特別公開があることも。でも、位牌は非公開。 《 交通 》 市バス205番乗車 大徳寺下車 |
■ 船岡山
森忠政は、寛永11年(1634年)7月7日京都で逝去した。 食した桃があたったことが原因という。 遺体は船岡山ふもとで火葬にされ、大徳寺三玄院に葬られた。大徳寺とは目と鼻の先。 《 みどころ 》 ところで船岡山には織田信長をまつる建勲神社が鎮座する。 《 交通 》 市バス205番乗車 大徳寺下車 |
■ 建勲神社
「たけいさおじんじゃ」。または「けんくんじんじゃ。」船岡山に建つ。 明治天皇の宣下で建立された。信長親子とその三十六功臣が奉られる神社。 《 みどころ 》 蘭丸の画像複製が境内にあるけれど、色褪せてよく判らない。 《 交通 》 市バス205番乗車 大徳寺下車 |
■ 北野天満宮(北野大茶湯之址)
北野天満宮は菅原道真公をお祀りする全国の神社の宗祀。 天正(1587)15年10月1日には、北野天満宮の松原で豊臣秀吉が北野大茶会を催した。 このイベントに限っては、身分・国籍を問わずに参加でき、1500もの茶席が出た。 森忠政は、金山の「小関の清水」を取り寄せて茶坊主・鳥屋尾不省(とやのおふせい)に 茶を立てさせた(『金山記』。) 《 みどころ 》 天満宮の駐車場となっている辺りが北野大茶会会場。「北野大茶湯之碑」が |
■ 右近の馬場
北野天満宮の東外堀はかつての右近衛府の馬場の跡。 《 みどころ 》 天満宮の東に延びる馬場(暗くて写真に収められず。不甲斐なくてすみません)。 |
■ 建仁寺常光院
慶長九年(1604年)木下家定が三江紹益に帰依し、堂宇を再興した境外塔頭。 森可成の弟、森可政の墓がある。 森家と木下家は縁戚関係にあった。 木下家定の息子の勝俊(長嘯子)の妻が蘭丸の姉妹”うめ(宝泉院)”である。でも後、離婚。 《 みどころ 》 《 交通 》 市バス東山安井下車 |
■ 京都井伊美術館 (旧:中村甲刀修史館)
甲冑・刀剣研究家の井伊達夫(中村達夫)氏が開いた武具専門の資料館。外観は武家屋敷ふう。 その展示品、収蔵品の多さには圧倒される。 《 みどころ 》 季節ごとにテーマを決めて展示品を替えている。うまくいけば森家関係の 《 交通 》 市バス東山安井下車 |
■ 盛丘院
森長可の死後、中村一氏へ再嫁した長可の妻(池田恒興の娘)のご位牌が有る。 長可の妻の位牌があるといわれている。 追記:寄せられた情報では、盛岳院は、彼女の祖母である養徳院が織田信長の冥福を祈って |