美濃尾張モリモリツアー秋 2ページめ 

       

  岩村の城マンホール


           
 2010年10月14日(金)-17日(日) in 美濃・尾張+長野? 

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■ 2010年10月16日(土):森家の城めぐり

*
日の行程
可成寺兼山湊常照寺金山城跡兼山歴史民俗資料館岩村城跡明知陣屋跡明知城跡(未遂)苗木城跡道の駅「賤母」(市田柿&五平餅)

 会いたかった〜。兼山!(^O^)/

森家菩提寺の可成寺

 早朝から車で森家の故郷・兼山入り。
やっぱり何度来ても心が躍る場所だ。
先日7/15の豪雨による土砂崩れによって破壊された可成寺の森家の墓所にもお参りしたが今は墓石もすべて見つかり、周囲の工事も完了して以前のように綺麗になっていたので本当にホッとした次第。
苔むす墓石がキレイになって、なんと台座に刻まれた文字まで読み取れた。

森長可の墓
森可成の墓
森可成の墓
「可成寺殿心月浄翁大居士」
森可行・可隆の墓
元々より不思議なパーツを取りそろえて、もは
や五輪塔になってない墓。
森坊丸・蘭丸・力丸の墓
災害時にも難を逃れていた3兄弟の墓。

 兼山湊常照寺(蘭丸母方の菩提寺)へ赴く時、兼山の山肌に豪雨の時の傷跡がまだ生々しく残っているのを確認。ほんとうに大変だったのだろうし、これからも心配な状況だ。
 

兼山の土砂崩れ被害の跡

 それから金山城跡に登った。兼山に来ればすることは、もう、いつものお決まりコースをめぐることだ。しかし、その中にも沢山の変化が見られる。来るたび来るたび、違う色をしている。
いつかこの兼山に来ることができなくなる日がくるのだと思うと、それがいつかは判らないけど、何だかいつも一期一会の気持ち。

金山城跡
天守(左の盛り上がり)の隣の曲輪。
礎石や謎の石列が見受けられます。
  金山城搦手道
最近整備されて丸太を埋め込んだ
階段ができた。

 金山城跡を散策した後は、兼山歴史民俗資料館へ行って師匠にご挨拶。
森家のために色々と展示を工夫なさったようで、初めてこの兼山を訪問するケイさんもいることだし、館内を案内してもらう。

 それからレンタカーを運転して兼山を離れ、森家も城主だったりした100名城の岩村城跡へ行った。こちらも6月に行ったばかりの4カ月ぶり。(^u^;)
 岩村城は江戸期も使用されたので、織田信長や森蘭丸の見たものとは全く様相を異にしていたはずだけども、今回は江戸期の改築で切り捨てられた中世の遺構部分も見た。堀切や土橋もよく残っていて喜んで先へ進めばヤブ化していてどこで足を滑らすか少々怖く、曲輪の状況がよく分からなかった。

岩村城本丸跡の一角
武田氏と奪い合うも、一時は森家の勢力下に
あった城。
  岩村城の有名な石垣あたり
蘭丸が見たものとは違う景色
岩村城の中世城郭遺構
土橋と堀切の先には曲輪がある。
岩村城の中世城郭遺構
だけど今は人が入らないせいで薮薮。

 次の目的地はまたちょっと移動して明知城跡だ。
遠山氏の城と説明もあるが、名前が嫌な城であり、実際にあいつがこの地で生まれたとか、産湯の井戸とか墓とか、何かとゆかっている説もある城だが、遠山氏を追い出して後、一時期この城も森長可の勢力下に入ったというので是非行ってみる事にした。江戸期の遠山氏の明知陣屋を通過して、山城の入り口に向かう。

明知城大手門跡
この道を進めば明知城へ行けるはず。
明知城登山口
ところがである!

 ところがである。登山口に


伐採を行っています。この先城山へは立入禁止です。
平成22年8月13日〜平成23年1月31日


という看板が立っているではないか、なぜタイムリーに私の行く手を阻むのだ!
九州から来たんだぞ!(゜皿゜;。
他の登山口にも回ってみたけど、結果は同じくこの看板を目にするハメに。時間だけが過ぎてゆく。
嫌いだ!明智城も明知城も嫌いだ!

 その後、なぜ100名城にしてもらえなかったのか不思議な苗木城にも行った。
この城も6月ぶりの訪問。(^_^;) いつ見ても人口の造営と地石のコラボで不均衡に見え、なのに実はちゃんと均衡がとれている石垣、そして、どうしてそんなことするのか首をかしげたくなる本丸天守台。やっぱりまた同じものを見て驚かされる。
今見ている遺構の大部分も、森長可が攻め込んだ時とは様子が変わっているのだろう。でも、所々の無理矢理感が好きなのだ。

苗木城天守台
ゴツゴツの岩の上に無理矢理天守台を建て
た。
苗木城天守跡から見る景色
木曽川が美しい。
森長可もどこかから渡河して攻め込んできた。


 そして私と同じく、ケータイGPSゲーム、「発見!ニッポン城めぐり」をしているケイさんが「妻籠城をゲトしたい。」と言いだしたので、形のないデータ上の「妻籠城を攻略しました!」を獲得するためだけに長野県までドライブしてきた。

 妻籠といえば森長可も武田攻めで通過した場所。それは私にとっても望むところだった。
GPSのデータ上で長野県妻籠城を取れた時点でUターンして、帰りに道の駅「賤母」に入り、ついでに買い物をして帰る。

五平餅で乾杯♪
 ケイさんの五平餅の串を捨ててあげたら、
捨ててはいけないものだったらしい…。
  長野の市田柿
森長可が武田攻めで奮闘した「市
田(地名)」は柿で有名。
■ 2010年10月17日(日):金山城ベルを求めて
*日の行程
兼山貴船神社可成寺兼山湊金山城跡六角堂武者行列可児白髭神社犬山城大宮浅間神社竜泉寺城跡

 仕事のあるらしいケイさんとはお別れし、いつも兼山のお祭りに来ている愛平さんと一緒に、早朝から兼山をめぐる。

 今日も森一族の菩提寺・可成寺にお参りすることができた。兼山湊で朝ごはんを食べてから、森一族の本拠地・金山城跡に登った。
ほんとに、兼山を訪問すると、同じローテーションを繰り返している。まぁ、そうするしかないのだけど。(^_^;)

 今日のイベントである蘭丸武者行列の時には、いつものメンバーである団地猫さん、Kijokazuさん[URL]とも何気なく再会した。待ち合わせもなく、「あ、いた。」と自然に集合するのが常である。今年は久々に関東の虎孫さんとも再会でき、毎年同様にみんなでホイホイと行列についてまわった。
 森可成の兜が気になって気になって、他の写真を撮るのを忘れてしまった(^_^;)。
そして森仙千代(忠政)役の男の子が頬プニプニで可愛いことったら。その写真ばかり撮ってしまった(ここには載せられないけど)。ここに載せられる写真があまりなくなってしもた…。

森蘭丸さん 森長可さん
武者行列集合写真
森可成さん  

そして、皆が騒いでいたのがこれ。
「のぶさま」の一人立ち。
ヤマトオオカミをモチーフにした織田信長なのか、織田信長をモチーフにしたヤマトオオカミなのか設定を忘れたけれども、「のぶさま」というこのゆるキャラさん。
とりあえず子供たちからは「ネコ〜!!!」と指さされていた。
この のぶさま、去年もお祭りに参加していらしたけど去年は生まれたてだったせいか、よろけていて自力でお歩きになることもこともおぼつかなくて、両方から人に支えてもらっていた。
しかし!今年はなんと自力でお歩きになっていたのだ。
めざましい成長ぶりに目を見開く。
のぶさまは、ほぼ立ちっぱなしで寸劇もこなしていた。

のぶさま
彦根猫のような俊敏さはない
が、貫禄はUPしていらっしゃる。

このお祭りの楽しい詳細は、鶴丸様のサイト[URL]内「若獅子蘭丸2010」でドゾ!
お祭りのスタッフ、参加者の皆さまお疲れさまでした。(*^。^*)

 お祭りのあとはいつものメンバーで生き生きプラザで談笑。
昨日買ってきた市田柿を一緒に食べた。
Kijokazuさんとはそこでお別れし、団地猫さんの車に載せてもらって土田の白髭神社に連れて行ってもらった。
 
 この白髭神社の阿弥陀堂にあったという鐘がお城の時報に使えるということで森長可に持って行かれたらしいのだ。江戸期の文献に書き遺されている、と、6月の蘭丸供養祭の講演で教わって以来、この神社にお参りしたいと思っていたのだ。現地でご由緒など読んでも森家には触れられてなくてそれ以上のことはわからなかったが、何よりその鐘が今でもどこかに存在してくれていたら嬉しいのに、と思う。

・「土田白髪神社縁起」(『町史』史料編419号)
 明和元年(1764)に尾張藩書物奉行で松平秀雲によって書かれた。
 阿弥陀堂に鐘があった。
しかし森武蔵守が烏峰城の時を報せる鐘として奪った。


白髭神社境内
やっぱり阿弥陀堂はもうない。
白髭神社本殿
どうぞその鐘にめぐり会いたい。


 その後、またGPSゲーム「発見!ニッポン城めぐり」の野望を抱いて国宝・犬山城に近寄ってもらった。ちなみに、愛平さんと団地猫さんもGPSゲームの道に引きずりこんでおいた。
 できれば犬山城下にある専念寺(池田恒興が建立した)に行きたかったが、犬山城下の中心地は道もいちいち細くて一方通行が多くてややこしく、目指す寺は目の前なのに一方通行のラビリンスを脱出できずに車では寺にたどり着くことができず断念。
今度は、やっぱ自分の足でこよう。団地猫さんをさんざん振り回した上で、この結論。

犬山城のシルエット
金山城の廃材をリサイクルしたと信じるものな
り。


 そして日没時に団地猫さんお薦めで尾張富士の方向に向かい織田信長とゆかっているらしい大宮浅間神社を日没時に参拝した。坂道に砂利が敷いてあるもんだから、歩くと滑る滑る。みんなでドリフコントのようになっていた。本宮は山頂とのことでそこまで行くと遭難して帰りの夜行バスに乗れなくなるので麓で参拝。

大宮浅間神社境内
織田信長が社殿を造営寄進 したといい、
織田信長公出陣太鼓祭もあるそうだ。

 味噌煮込みうどんを食べた後は、これまた小牧長久手の戦いとゆかっているらしい竜泉寺城跡へ。
こうしてまた、焦りつつも時間ギリギリまで楽しんだ。団地猫さんには駅まで送ってもらいまたしても、「キャー!」とJRに乗りこんで、ケータイ(私はiPhone)をいじって城を攻略しながら(またあのゲーム)、名古屋駅に向かう。ゆっくりする暇もなく、旅は終わった。

 酒瓶や書籍も入ってサイズの割にはとてつもなく重くなったキャリーバッグをガスガスと引いて、一路、福岡へ帰る。
この楽しい思い出を糧にまた日常生活を頑張って生き抜こう。
旅先でみなさんまたお世話になりました。 m(_ _)m



後日談
今回チャレンジしたスタンプラリー(2種類)でプレゼントが当たった!!!(^O^)/

足軽コース
『清洲城信長・土田南瓜カレー』
グルメ賞「尾張三傑煎餅」