2ページめ
2009年10月15日-19日
in 京都と静岡と三重と兼山・愛知 |
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※これは旅行記の2ページめです。→1ページめ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
■ 2009年10月17日(土) 伊勢侵攻を逆走! |
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松阪の旅館で朝を迎える。 折角、松阪に来たのだから、ついでに松阪城跡に行ってみるか。 …ということで、朝ごはんをコンビニで買って松阪城跡へ登ろうとするも、コンビニ(Yではじまる)が、開店時間になっても閉まったまま!Σ(゜□゜; ひもじい状態(昨日の晩ごはんはサンドイッチ)で松阪城跡や御城番屋敷を散策する。
まずは、織田信雄の築城した松ケ島城跡へ。
続いて訪問した妙楽寺。観音堂の「血天井」は、天正4(1576)年に織田信長に落城させられた山室城の廊下板であるらしく、それを拝観できればと訪問。…もしかして、私は血天井というものが好きなのかも知れない。
次は、メインの一つである、森可成も大河内城の東方に陣を構えていたという記述が『信長公記』に残る北畠氏の大河内城跡。
この戦いは城内に餓死者が出るほどの籠城戦となったが、最終的には和議に及んでいる(そして信長は信雄を北畠家の養子にした)。
しかし、何かおかしい…細すぎるし先がなさそう…個人の農道じゃないの?と不安になって山中で車を切りかえすところに、おばちゃんの運転する軽トラが真正面から爆走してくる!おばちゃんは、はっきりと私たちの存在に気づいているのに、スピードを緩めず、むしろアクセルを踏みこんで走ってくるのだ!ギャアアアアΣ(゜□゜;!
CM:白米城の山頂は360°の大パノラマ絶景です!
達成感とともに足を踏みしめた山頂は何とも気持ちがいい。雨で濡れていなければ、山頂で、高ころびにあおのけに転びたいところだった。赤トンボもたくさん飛んでいて、秋まっしぐら!森可成バンザイ!
また、雨がぱらつき始めたが、続いて鈴鹿市へ入る。
夕方に入って、日没ギリギリに神戸城跡へ。神戸は「かんべ」と読んでおこう。
四日市駅でマンホール写真を撮ったりつつ解散。私は可児市の宿に入る。 |
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■ 2009年10月18日(日) 2009若獅子蘭丸 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
そんな、訳で旅も後半に突入。 毎年恒例の兼山の武者行列へ。 今日は愛平さんと行動を共にして、早朝に兼山入りする。 バスを降りたとたん、「兼山全体が霧がかっている___。」と、感動。すぐに、金山城跡へ登ろう!きっと、ものすごいだろう!!是非とも金山城の霧にむぜびたい!と、興奮する。 城の大手に向かう道、森家の信仰も厚い貴船神社と、森家菩提寺の可成寺、林家(蘭丸の母方)の菩提寺の常照寺にお参りして、城へ登り始める。
しかーし、城を登らぬうちに、あっという間に霧は晴れてしまった。ははは。
古城山の中腹にある蘭丸ふる里の森に行くと、管理事務所の方が、むべを摘んでくれたので愛平さんと食べた。熟れていないので…味は…ちょっと…(-。-;)でも楽しかった。
搦手から城を降りると、今秋も発掘調査が始まっていた。今回は江戸時代に米蔵になっていた場所を発掘している。その一つ下の地層から、森家の何かが出てくるかどうかが注目のしどころだ。
麓に戻って、兼山歴史民俗資料館へ。
森可成役さんの真横ショットの撮影に成功した。
今年は、サムライ本舗さんが行商に来て、武者行列の後に従っていらっしゃいました。
いつものメンバー、団地猫さん、Kijokazuさん[URL]に加えて、Kijokazuさんのお友達の
やっさんさんと、GWに一緒に倭城めぐりをした大阪の
NACKさんもお祭り見物に参加。
武者行列イベントには、スペゲス猫の「のぶさま」も参加。まだ、生まれたてなのか、自力でサクサク歩くことができずに、いつもスタッフに手を引かれて移動している「のぶさま」。
お祭りが終わって、まだ天下の名城・金山城をご覧になったことがないというやっさんとNACKさんを案内して、再び山を登った。
そして、お次は馬串山砦(まぐしやまとりで)。小牧長久手の合戦の前に、森長可が金山城とは木曽川を挟んでお向いさんの米田城主・肥田玄蕃から強奪して森家の砦として利用した山だ。これは、近隣に牛ケ鼻砦を構えた織田信雄方を睨むための砦と思われる。
それから、牛ケ鼻砦へ。
NACKさんとJR太田駅でお別れして、私達は夕食。
食後には団地猫さんが小牧山城の夜景をドライブしてくれ、信長が清洲城より分祀した小牧神明社にも案内してくれた。ふふふ…いつもは「どうしよー!帰りのバスに乗り遅れるううう!!!」のドタバタ劇がくるのだけど、今日もお泊りなので、余裕で夜まで遊んだ。
みなさん、今年も幸せな一日をどうもありがとうございました。 |
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■ 2009年10月19日(月) ついについにの清洲櫓 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
疲れもたまっていたので、筒状のホテルのベッドでそりゃあもうぐっすりと眠っていたのに、夜中の3:30ごろにいきなり部屋のドアをドンドンと叩かれて目が覚めた。恐怖を覚えてガクガクしていると、ドアノブをガチャガチャされ始めて、ますます恐怖!!!Σ(゜□゜; 音はすぐに止んだ。 「どうやら宿泊客が部屋を間違えたのね…。」と思ったけど、心臓はまだバクバクといっている。そうして再びベッドにもぐったら、30分後にまた部屋を叩かれてガチャガチャされた。私の部屋がダメとわかると、隣の部屋、そしてまたその隣の部屋。その隣の隣…しばらくして、もう一周してきた!ドンドン、ガチャガチャ!!!怖すぎて眠れない。鍵はかけているけど、何かの拍子に開けられたりするんじゃないかと、ものすごく恐ろしい思いをした。もう一週してきたらフロントに通報しようと思ってたら、何を悟ったのか来なくなり、そのまま朝を迎えた。 そいういう訳で寝不足でしんどい状態でホテルを出た。 でも、名古屋城へ来ると、たちまち元気が出る。 名古屋城の西北隅櫓には清洲城天守の古材がリサイクルされていると知って以来、中に入りたくて、入りたくてたまらなかったのだ。それが昨日の18日から特別公開というので、仕事の休みをもう一日もらって、ここへ来たのだ。
ここは天守閣よりもずっと奥の御深井丸(おふかみまる)に存在するので、早々に寄ってくる人も少なく開城時間からゆったりと見学することができた。かくいう私も、今年まではこのダイヤモンドのように素晴らしい櫓の存在に気がついていなかったのだけど。
同じく、名古屋城内で特別公開中の乃木倉庫。乃木稀介がナンタラカンタラしたことに由来する倉庫が西北隅櫓の傍にある。NACKさん情報では、ここの隅にまとめてあるのも清洲櫓の古材ということで、撮影。
その後、何をするのか決めてなかった。名古屋城の清洲櫓ではしゃいではしゃいで午後まで時間を費やしてしまったので、しん様さんおすすめの吉田城へ行く時間はもはやない。
わーいwwwww桶狭間古戦場公園だ!(^O^)/
工事の手が及んでいない公園入り口の石碑などを見ていると「ここは危ないから入らないでください。外から見てください。」とヘルメットをかぶっていた工事の人に怒られた。そして、すかさず立入禁止の衝立を持って来られてバリヤーを張られた。これで、敷地内に足を踏み入れることは全面的に拒絶された。
当時、この近辺にあった鞍流瀬川は合戦の血に染まったそうだが、川はもう開発で埋められたのだという。川跡を越えて「桶狭間古戦場ゆかり之寺」と看板のある長福寺というお寺にお参りした。
もう少し、今川関係をご紹介。
住宅街を徘徊して、住宅と住宅の狭い通路の先に合戦の戦死者を葬る七ツ塚を見つけた。
その後、地図がないのに信長軍の今川義元突撃コースの武路釜ヶ谷を探して歩いて足が棒になった。いくら探しても釜ケ谷という地名がわからず、やむなく明らかに地形が「谷」と思われる場所を撮影して諦めた(帰宅後確認したら、やっぱりそこが釜ケ谷だった。)
熱田駅近辺で味噌カツ丼つきのうどんを食べて、名古屋に戻る。夜行バスの時間まで銭湯に行くことにして、本やお酒を最大限に詰め込んで重くなったキャリーバッグをドコドコと引いて銭湯まで行くと、なんか窓が真っ暗。扉にかかっている札を見ると… |