森家を追って地下まで潜る旅

2ページめ

                2009年8月29日-30日 in 大阪と兼山と名古屋 

■ 2009年8月30日(日)午前 兼山に行かなくては気がすまない、のススメ


 これは旅行記のつづき(2ページ)めです。1ページめはこちら。

 夜行バスで、名古屋駅着。
朝5時過ぎに起こされて、寝ぼけてクラクラしながらバスを降りる。キャリーバッグをひいている間も寝ぼけて壁に激突しそうになる。駅構内案内図に頭突きをしそうになる。目覚めはよいほうだと思っていたのに、あまりの眠さに足取りはメチャメチャ。
 それから名鉄に乗り換えYAOバスに乗って森家の故郷の兼山にたどり着く。
この頃にはスッキリ目覚めてくる。

 可成寺(森一族菩提寺)と常照寺(森家母方林家菩提寺)にお参りしてから兼山湊で朝ご飯にするのが毎度お決まりの朝のコース。

可成寺
森家の菩提寺。
まずは墓前にて兼山へ再訪のご挨拶。
  可成寺境内
パイプ椅子に「可成」の文字ww
もしや、森可成用の椅子ww
早朝から一人で笑った。
常照寺
森蘭丸の母方・林家の菩提寺。
兼山湊
船着き場ですがすがしく、おにぎりを頬張る。

 そして、もちろんその後は金山城跡に登る。
でも天気が良すぎてすぐに汗だくになってしまう。背中にまで汗が流れてすごい事になってしまった上に、薮蚊に血をたかられる。私の両手足顔には日焼け止めを塗りたくってるものだから、やけっぱちなのか眼球に針をぶっ刺そうと襲ってくる!
 もしかしてこの薮蚊のご先祖様たちが森家の血を吸ったとしても、「はい喜んで!」と血を捧げられない。森家への愛が足りないのかも知れないけど、虫はヤダ。逃げる!!
あまりにすごい藪蚊の大群(または大軍)に、タオルを振り回しつつ、走り回って城内の遺構を見学。

金山城出丸跡
見事な石垣がのこっている、でも上に
登ればアスファルトの駐車場。
斎藤大納言正義の看板
登城口でみんなを待ってる斎藤正義(斎藤道
三の養子)♪ジャスティ〜ス!!
北方物見台に転がる石(たぶんもと石垣)
だめだ、大坂城症候群で、石に付着した白い
もの全てが漆喰に見えてしまう…。
本当はコレ、何なのだろう?
金山城本丸跡
「あと何回この場所に来れるだろうか。」といつ
も一期一会の思いで胸を締めつけられるように
して登る金山城。そんな私に藪蚊がたかる。


 涼しい搦手から山を降りる。

金山城搦手道
最近、階段が造られて上り下りが楽になった。
画像に見える道案内は「(細野)左近屋敷」へ
の矢印。
  杉ケ洞搦手道

 山を下りた後は、私を待ってくれる兼山在住の師匠に(汗だくで)会いに行く。
再会していきなり「デジカメ充電させてください。」と、お願いしてしまったのだけど、小一時間ほど楽しい話ができて楽しかった。
 その後、兼山在住の別の知人に会いにゆく。大阪城天守閣売店で手に入れた「戦国武将蒔絵シール・森蘭丸」を持って行ったのだが、先に知人から「こんなのが売ってある。」と、「戦国武将蒔絵シール・森蘭丸」を差し出された。
テーブルの上には「戦国武将蒔絵シール・森蘭丸」が2枚…。

六角堂
お堂内に六地蔵がまつられ、金山城の鬼門除
けと言われる。お堂の足元には、古城山・寺ケ
峰から運ばれたお地蔵さまがある。


 午前中にて兼山を跡にする。
そして、名鉄の出発時間ギリギリまで可児市立図書館で森家に関する郷土文献を漁った。

■ 2009年8月30日(日)午後 みゃーみゃー名古屋でリベンジ!

 名古屋駅から各・観光名所に停まってくれるバス「めぐーる」に乗って、徳川美術館へ行く。
 今日は特別展『信長・秀吉・家康の合戦』の最終日だった。
森長可書状(遠山半左衛門尉宛が出品されていることもあって、何が何でも来たかったのだ。本当に来ることができて何よりだ。
徳川美術館
由来のはっきりした名宝・至宝がザクザグ。
長光や茶壷金花・松花など織田信長ゆかりの
逸品もここに所蔵されている。
  特別展『信長・秀吉・家康の合戦』
信長・猿・タヌキ。
すべての時代の合戦に、森家は
関わったのだなぁ。

 会場へ入るなり、織田信長の…これは何というのだ(↓画像)。名称を忘れたけど、「織田信長になろう!」と書いてあった。
 織田信長になるからには、この戦乱の世をわが身ひとつで終止符を打たせるという確固たる信念を持ち、万民の通る道を自分が先立って手を痛め、足をくじいて切り開いてやり、骨肉の兄弟と袂を分かつことがあっても恐れず戦い抜き、いかに嘆きたく狂ったほうがマシだと思える状況でも決して冷静さを失わない___と、いうような、それ相応の覚悟をして、このパネルに顔をはめてほしい。

織田信長になろう!
むしろ、手前側から顔をツッコミたく
なる我。

■森家に関係のあった展示品■

織田信長書状
(河尻与兵衛 宛)
:「森長可ら若手に勝手なことさせんな。」というカンジの内容。
『安土記』巻十五 :本能寺の変の記述。「御殿ノ内ニテ討死ノ御衆」が
「森乱 森主税 森坊」になっていた。
主税(ちから)=「力」???
羽柴秀吉他連署状
(遠山佐渡守・遠山
半左衛門宛)
:本能寺の後処理。遠山さんのことは森長可が取り次ぐという内容。
森長可書状
(遠山半左衛門尉
宛)
:岐阜・加治田城での戦況報告。
井伊直政書状
(遠山佐渡守宛)
戦死した(たぶん、森家の岩村城・明智城でのバトルで討死)遠山半左
衛門のことで、父の佐渡守へお見舞い。
てか…ステキな森長可がわざわざ取り次ぎ役をしてくれたのに、なんで
そこで徳川方につくか、遠山父子!!!Σ(゜□゜;
長久手合戦図屏風 :眉間を鉄砲で撃ちぬかれて落馬する森長可の姿。逃げる森軍の絵。
関ヶ原合戦図屏風 :関ヶ原の合戦にしれっと参戦する「森美作守」(=忠政)が描かれている
(忠政は実際には徳川秀忠に従軍していた)。
しかし、解説によれば、それは「森(対馬守)可政(可成の弟)」であるらしい。
大阪冬陣備立之図 :「森美作(忠政)」の陣と軍旗を図示。関家もそばにいた。

 図録は特に作ってないと言われたので、私は鉛筆と手帳を握りしめ、展示された森長可書状の文字を必死に読んで書き留めたのに、特別展を見終えて売店に行くと『釈文・読み下し集』が販売していた…(いや、でも嬉しかった)。
他にも万見仙千代宛の信長の書状(新発見)など、興味深いものが盛り沢山だった。来てよかった(TvT)…。
びっくりしたことに、桔梗紋の馬具(鐙)があって「光秀?」と思っていたら、解説に、加藤清正所用とし、更にその桔梗紋はそもそも尾藤甚右衛門知宣の家紋だとあった。
尾藤甚右衛門…Σ(゜□゜;森長可が遺言状を宛てた相手だが、尾藤は羽黒の陣で長可にまずい戦い方をお勧めした男だ。それで長可が徳川軍に襲われても、尾藤は助けなかったので、私は嫌いである。
この羽黒の合戦の惨敗で長可は「もう死ぬ…」と言い始めたのだ。

「森蘭丸・坊丸・力丸と明智光秀(桔梗紋)」
「森長可と尾藤甚右衛門(桔梗紋)」
森家と桔梗紋はサイアクの組み合わせなのだと、改めて判ったよ…。
でも、豊臣秀吉もそういうダメダメ尾藤にムカついていたようで、さらに尾藤が島津攻めでもダメダメだったので尾藤を改易にした上、小田原の陣のあとに彼がひょっこり (゜e゜)ノ「勝ったデスネ!ピヨ!」と、現れたのを、ぶった斬っている。
 徳川美術館の解説によれば、秀吉は改易にした尾藤甚右衛門の所有する物すべてを加藤清正にバーン!とくれてやったらしい。それで清正は自分の家紋に桔梗紋を加えたそうだ。

清正公(せいしょこう)さんの桔梗紋って、そういうルートなんかい!!!
Σ(゜□゜;

 徳川美術館でつい『長久手合戦図屏風(徳川美術館バージョン)』を衝動買いしてしまった。
これがやたらに重い…でも幸せの重み…。

 旅のグランドフィナーレは、名古屋城
今日は中には入らない(その前にもう開城時間は終わっていた)。今回の目的は名古屋城の御深井丸にある「西北隅櫓」だ。これはかつて織田信長の居城となっていた清洲城天守の材木をリサイクルして造られ、別名「清洲櫓」とも呼ばれているらしい。
 名古屋城は4月にも来たのだけどその時は那古野城跡(現・名古屋城二の丸〜三の丸あたりにあった織田信長の城)に夢中になってダイナミックにすっとばしていた。帰国してから本を読んでいて西北隅櫓の存在を知り、見ずに帰ってしまったことをどれほど後悔したことか…。毎晩、思いだしては「見損ねた。」と、切なくして寝返りを打っていた。

 西北隅櫓のある御深井丸は今は工事中らしく、外周を歩いてお堀からでもキレイに見える西北隅櫓をずっと眺めた。
 ああ、織田信長も、森可成もゆかったあの清洲城復活ロマンがここに!!!!
年に何度か内部も公開しているらしいので、いつか必ず中に入る!

西北隅櫓(清洲櫓)4方向

見えてきた念願の清洲櫓!
インコもお堀を泳いでいます!
この角度が一番好きかも!
いつか内部公開の時を狙ってまた
やってくる。
さよなら清洲櫓!また会う日まで。

 その勢いで、名古屋城のお堀を一周してみたけど、シャレにならんほど時間がかかった。
デカイ。でかすぎる…アホじゃないのか、名古屋城。

名古屋城天守
市長の木造再建計画が通れば
この子はどうなるのだろう。

 そのせいで、また今日も残り時間がなくなって銭湯で戦闘。
名古屋駅
近くの平和湯に入ったのだけど、なんか、祭りで踊ったかなんかした女性陣でごった返していて、浴槽の腰かけ椅子の確保にも手間取り大変だった。

 締めに「味噌カツ定食食べたい!」と思っていたのに、そんな時間はまるでなし。よく判らないラーメンをかきこんで夜行バスに飛び乗る(墜落睡眠)。

 翌朝、福岡に着いて出勤。そして残業への道のりをたどった。

でも、本当に本当に無理してでも行ってよかった!
好きなだけ森家を満喫できたし、大坂城の貴重な石垣を見ることができて、生きててよかった。

 関わってくださった皆さまのおかげです。本当にありがとうございました。m(__)m
また遊びに参ります(頻繁に)!