だアニキだの実りツアー 2  1ページめ (10/17-10-19)
                                    

                                 2007年10月17日-10月21日 in 尾張・美濃 

金山城出丸跡の石垣
 10月20日(土) マンボウ甲冑のマボロシ
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 朝、愛平さんと伊澤先生と3人で金山城登山。
山頂に着いてみると、下界は雲海になっていて、それはもう幻想的な風景だった。
私も、何度もこの金山城跡に登っているものの、雲海は初めてだった…ああ、吉兆なり。吉兆なりよ。
山頂で虎口や天主(天守)の検証をしていたところ、
伊澤センセ:「天主なんてないでしょ。ここに建っていたのはせいぜい平屋でしょ。」
うきき:「子供の夢を壊さないでください!!!」
城壁もあの時代は漆喰の白ではなく、茶色い土塀で、屋根も瓦葺ではないだろうので、金山城は何となく全体的に茶色い平屋だったという結論に落ち着いた。せめて、中二階をつけてくださいという私の願いも虚しく…平屋。
 それから兼山歴史民俗資料館に入った。わが古文書の師匠や団地猫さんとも久々に資料館で再会。
伊澤先生のギャラリートークがはじまった。展示された甲冑を前に、直にセンセの解説が入るのだ…って、人が多くて、展示が見えなくて大変じゃないか。前の列の人々が自主的にかがんだのが美しい。内容の濃いギャラリートーク。別室には、足軽下着コーナー(18歳以下お断り←です。)もあり、充実した1時間だった(その後も居座ったけど)。
 
 ランチタイムには愛平さんと喫茶店に入って松茸スペシャルを食べていたところ、蘭丸振興会のスタッフがお店に入ってきて、「神社の建物の寸法は宗教思想に基づいてちゃんと決まっているんだよ。」と、唐突な話題ながらも楽しい話になった。食後は可成寺にお参りし、それから常照寺の妙向尼の墓前に手を合わせていたところ、お庫裏さんに伴われてやってきた歴史小説家が。
うきき:「鈴木●一郎さん(本当は呼び捨てしてしまった気がする)?!」ビヨヨヨッ!!!Σ(゚ε゚;
ご本人は、いきなりフルネームを叩きつけられてなおびっくりなさっていたが。
今度、森長可の小説を出す小説家というので今日もめっちゃ話題にしていたので、ご本人の出現に愛平さんと仰天。
なりゆきで可成寺にご案内。サイン本をもらってしまったので、お返しに拙著をお渡しした。伊澤先生のギャラリートーク午後の部の時間が迫ってきたので、「よろしければ、ご一緒に。」と、お誘いしたけど、お子さんが岐阜城に行きたいとのことでお別れした。

 資料館でのギャラリートーク(2回目)は既に始まっていたのでぶ厚い小説を持ったまま会場に駆けこんだ。ここで、虎孫さん[URL]に再会。年に2回の顔合わせをする兼山リピーター同士。
 会場にいた古文書の師匠に「さっき、これ頂きました。」と、小説を渡すと、「うまいことやりおったな。」と、閲覧していた。…その前に小説家を近所で拾ってしまったこと自体にはびっくりしないのでしょうか…。師匠の名前が本の中に出ていた(笑)。

 伊澤先生のトークで、小幡信貞の赤い陣羽織の紹介。
「実はこれはコチニールという虫で染めた赤です。」
うきき:「コチニールってどんな虫よ?」
虎孫さん:「私、前から思っていたのだけどラテン語のデザインの前立てとか無いの?」
うきき:「いや、それよりも、マンボウのデザインが無いのかなぁ。マンボウの皮は弾丸でも貫けないのよ!ああ、長久手であの時、森長可がマンボウを持って戦っていたら(さめざめ)!」
愛平さんと、虎孫さんと、私。3人寄ってもあんまり…解決しない。そんな時は伊澤先生に質問だ!
「虎孫さんはラテン語のこと、質問してみるべし。私、マンボウのこと聞いてみるから!」
愛平さん:「では私は、コチニールについて聞くのですね(←素早い状況判断)。」
伊澤センセのご回答:
1:ラテン語のデザイン…これは無いらしい。 
2:マンボウのデザイン…いや、洗練されたデザインのものでないとね…。
3:コチニールってどんな虫…知らない(でも、砂漠に住んでいるらしい)。

マンボウほど美しいフォルムの生き物はいないというのにクチを濁されてしまった!!!
虎孫さん:「海産物って利用されなかったのですかね?」
頑張れ!虎孫さん!と…思っていたのに、会話はシャケ皮の財布に流れ…。

 更には、資料館内に展示してあった斎藤正義の肖像画の足の甲に毛が生えていたことが我々の間で論争を巻き起こし、結局このギモンも伊澤先生に投げかける。
この世に、足の甲に毛が生えた人はいるのでしょうか。
「…いますよ。このヒトは、毛深かったのでしょう。」
(足の甲に毛が生えた武士募集中。)

  10月21日(日) 武者行列。そして夜まで生首塚

 最終日。愛平さんと始発バスに乗って兼山に入る。城下町を散策して、可成寺でお参りしていると、本日の武者行列の各務兵庫役の方と出会ってご挨拶。

 兼山湊で冷え冷えの石に座って朝食をとる。兼山の風景を映し出す美しい水辺には、いつも感激せずにはいられない。永遠に美しい流れであってほしい。
 朝食後は金山城跡に登り「平屋だ、平屋。」と、当時の茶色っぽい本丸のたたずまいを想像する。下りは搦手から。
 
 そして本日開催の武者行列の着つけ会場である公民館に見学に入る。伊澤先生も、着つけ指導をなさっていた。そして、私たちは森長可役と各務兵庫役にまとわりついて時を過ごした。
 兼山歴史民俗資料館でまた蘭丸の甲冑を眺める。見知った気のする男性がいたのでとりあえず挨拶して、蘭丸の甲冑を眺める。いいねぇ、蘭丸の甲冑は何度見ても美しいねぇ。
(→2分後)「さっきのヒト、Kijokazuさん[URL]じゃないかぁあああああああ!!!!」
Σ(T□T;(←恐竜並みの脳みそ)

 お昼が近づき、小腹が空いたので”蘭丸もなか”で有名な菓子処の”梅園”さんのところに菓子を食べに行くと、虎孫さん(虎孫Jr.含む)がショーケースに貼りついてまた大量に菓子を買い漁っているのを発見!

 梅園さんのところに居座って、蘭丸五平餅を食べていると、Kijokazuさんが表を歩いていたので捕獲。再び会えてよかった♪
 実は”鉄男”なKijokazuさんは、資料館に常設展示してある私オススメの「兼山駅」の平面プレート目的で訪問したのに、今は特別展『森蘭丸と戦国の甲冑展』開催中で見れないんだな、これが(笑)。滅多にお目にかかれない素晴らしいフォルムの甲冑が並んでいたせいで、お目当ての駅名平面プレートが見れなかったのはお気の毒なことだった…。
 
 正午にいよいよ蘭丸武者行列が華やかにはじまった。団地猫さんもここで合流。みんなで武者行列について行く。今年もみなさん、堂々としていてステキだった。
マイ鎧軍団のみなさまの繰り広げた寸劇を見終わった後、再び各務兵庫役さんにちょっかい出したり、槍隊の女の子と歓談したり。

森一族2007
金山城下に森一族勢ぞろい
(川合商店という
文字が見えるのは目の錯覚です!)

詳しいお祭りの模様は鶴丸さまの
戦国武者行列サイトをご覧ください!


 途中、師匠を見つけて私だけ行列ストーキングを抜ける。いつもならば師匠とはゆっくりお話するのだけど、師匠は方々から引く手あまたで更に忙しい身の上になってしまい、それも叶わない。一緒にベンチで時間を惜しんで話した。
 お祭りの途中で「うききさん」とお声をかけていただき、オフラインでは初めてご挨拶がかなった方々もいた。(どうもありがとうございます!)
 出店で買ったリンゴ飴をかじりつつ、再び、みんなと合流。武者行列が公民館前で終わる。団地猫さんが馬を見に行くとその場を離れた間、残ったみんなで「斎藤正義さんのお墓参りに行こう。」と、浄音寺斎藤正義の墓にもお参りし、続いて森長可の乳母の関わる森立寺にもお参りした。
公民館に戻ると、いつもの顔ぶれのふじさんとも合流。ふじさんとはいつも寸劇会場でめぐりあうのが通例なのだけど…。ともかく、会えてよかった!!…と、いうか、団地猫さんの姿が見えないので、もしや馬と一緒に木曽に帰ってしまったのだろうか?

 これからみんなで、どこかに行こうゼ!と言う事になった(団地猫さん、ちゃんといた)。誰の提案とは言わないけど、
「大県神社と●県神社(以下、ピヨピヨ神社と称す。)に行こう!」
ということになった。
「よかった、ピヨピヨ神社に行くのに、Kijokazuさんがいてくれて、本当によかった。」
Kijokazuさん:「いや、私は帰るよ〜。」
お世話になった伊澤先生ともお別れのご挨拶を済ませ、
「では梅園さんに4時30分に集合!(勝手に集合場所にするな)」
ということで、各自一旦は解散。
愛平さんとKijokazuさんと3人で資料館に行って、最後の森蘭丸甲冑観賞。台湾ラーメンを食べに行くと言うKijokazuさんとバス停で別れ、梅園さんへ集合。
 大県神社は、森長可が小牧長久手の戦いの時に陣を張ろうとして断られた神社だ。女の神社である。長可はこのことを…?夕闇迫る神社の境内で、女5人+未成年男子1名でお参りした。

大県神社の姫石
モザイクをかけると逆効果!!


 長久手の合戦の時に砦に利用された内久保山を経由して、日没後に、ピヨピヨ神社入りする。森家とは関係のない神社ではあるが…初めてのピヨピヨ神社。世界的に有名らしいピヨピ…(画像なしでお送りします)。
大県神社が女の神社であることに対し、ピヨピヨ神社は男の神社で、全体的にモザイクをかけなくてはならない感じの境内だ。キノコ岩がたくさ(ばきっ!!)。
…お賽銭を入れると「チーン。」と音が鳴る。
…みんな、この男神社で何をお願いしたのかな?
というか…この場にKijokazuさんがいなくて本当に良かったと思い始めた。
長可も、こっちの神社のほうに陣を張ろうとしなくて良かった…。

 ふじさんが、浮野古戦場跡に連れて行ってくれるとのこと。私が以前行きたがっていたのを覚えてくれていたのだ〜、カンゲキ!
 虎孫Jr.(まだオムツ)にピヨピヨの神が舞い降りて面白いところであったが、虎孫母子とはピヨピヨ神社でお別れして、残るみんなで古戦場目指してキノコの森を後にする。もう、完全に夜であることには誰もツッコまない。

浮野合戦地図
みんなでフラッシュ祭りだったけど、
やはり闇地図。
浮野古戦場跡
闇に隠れて生きる。
 


 ピヨピヨの魔法にかかって、知らずに逆走運転を披露しながらたどり着いたメンバーの車もあったが、どうにかたどり着いた浮野古戦場跡。
その頃にはすっかり星も出て、首塚には月がおし照る。
 
 思いっきり『浮野うぐひす首塚』と書かれた看板。
「着いたぁ♪」と、古戦場の看板をみんなで激写。フラッシュたいてやっと説明看板の確認できる古戦場(首塚あります)で優雅な時を過ごした。
 行きたくても交通の便が悪すぎて来る事ができなかった浮野古戦場。岩倉城主の織田信安と織田信長との合戦が繰り広げられた場所。ここで、森可成も熱く戦ったのだ。

 浮野古戦場ツアーに自ら申し出てくれた、そんな優しいふじさんの懸念「ガソリンがない…。」(CM:ご利用は計画的に 笑)。 
「でも、給油ランプがついてもしばらくは走れるんじゃないの?」
「20km/hは走れるという噂だけど…。」
暗闇の首塚を見ても誰一人として「怖い。」とは言わなかったのに、給油ランプに対しては小心ぶりを見せ、おびえる人々。
一宮駅に向かいつつ、ガソリンスタンドを探す。
でも、とうとうガソリンスタンドを見つける事ができずに一宮駅に到着してしまった。ふじさんが引き続きガソリンスタンドを探して走っていった中、私達は先に名鉄ビルの中で、一宮の風景を眺めながら味噌煮込みきしめんを食べる。いや、(時間の都合で)食べるというより、丸呑みした。関小十郎の一宮城跡が視界のどっかにある風景。最後の最後まで森家尽くし。

 慌てて飲んだきしめんに胃を圧迫されながら、私と愛平さんは一宮駅からJR列車で名古屋駅に向かう。私の新幹線の時刻は20:35。参考までに駅員さんに、名古屋駅の着時間を聞くと
「20:24ですね。」
Σ(゚□゚; 「がはぁああああ(きしめんがクチから出そうになる)!!!」
 列車内で愛平さんに旅のご挨拶を済ませて、名古屋駅に着くなり私は新幹線のりばに大ダッシュ!!!慌てすぎて、キップを全部入れなきゃいけないのを忘れ、改札口に挟まれる。
「やばっ!」と、気を取りなおして、同じことして改札口にまた挟まれる。私はここで半永久的に改札口に挟まれることを繰り返して過ごすと思われたが、
駅員さんが
「3枚全部一緒に入れれば通れたのですけどね。出る時も、改札口を通らずに駅員にキップを見せてください。」
と、端の通路を開けて急ぐ私を通してくれた。ダッシュ!!!
 
 そして無事、新幹線に乗ると、すぐに爆睡。疲れたけど、またいい旅だった。
初めて見る山、初めて見る川、初めて泳ぐ城…。
みんな、みんな感動をありがとう!!!
 無事、博多駅に着くも、今度はローカル最終列車にすぐに乗り換えなくてはならないので、またダッシュ!!つい、名古屋駅の駅員さんのお言いつけを忘れ、博多駅の新幹線の改札口にキップを通して挟まれる!!!ビヨヨヨ!!!! <終>