2004年 蘭丸にもほどがある旅行

 4月9日(金) 蘭丸と酒とソテツなマジック♪

8日に夜行バスに乗って、大阪へ行った。携帯電話は忘れないでね、とあれほど八重さんに言っておいたのに、
私の携帯が電池切れしそうになっていた。ひぃぃぃぃ〜!!Σ(゚□゚; 慌てて充電器を買いに走った。
新大阪駅で友達の八重さんと落ち合い、大阪は河内長野市の天野山金剛寺へと赴いた。
蘭丸が使者として赴いたことのある寺に、私も来たかったのだ。ようやく夢がかなった。 

                            

このお寺は、昔は僧坊酒「天野酒」を製造していた。楠正成も飲んだ、信長も、蘭丸も飲んだ。蘭丸はこのお寺で
お酒をご馳走になって、山の中をうさぎ跳びしていただろう戦国ロマン。受付の方達が九州の同郷で、いきなり話
がはずんでしまった。

以前からお手紙やお電話をしていたので、お坊さまも私の事を覚えてい
てくださって宝物館で資料の詳しい説明をしていただけた。\(^o^)/

帰りに酒屋で「天野酒」を買ってリュックにつめて次の目的地の堺市・妙国寺へ。お酒の次は、ソテツちゃんだ。
妙国寺の大ソテツを信長が安土にお持ち帰りしたところ、夜な夜なソテツちゃんが「妙国寺へ帰ろう。帰ろう。」と
泣くので、信長が「この声なんじゃい!」と不思議がっていたら、蘭丸が正体をつきとめたのだった。(→詳しくは
逸話のページへ)
結局、ソテツちゃんはめでたく堺のおうちへ帰れて今も健在。妙国寺へ向う道、道しるべの石碑に「右そてつ」と
あったので爆笑したが、「左(?) とさのさむらいはらきりのはか」の石碑には血の気が引いたΣ(゚□゚; 私は専門
バカだから蘭丸以外の事はよく知らないけど、妙国寺は、堺事件でも知られたお寺らしい。お寺へゆくと、ご住職
に宝物館に案内された。その堺事件の資料や”はらきりサムライ”の頭髪などの遺品があったが、痛たましい流
れで見ていくと、突然眼が点になるようなものを見てしまった。
 【信長公寄進の不思議なあわび貝。】
貝が箱につめて置いてあった。(・・)→Σ(゚□゚; あわ、あわっびっ!!!

住職にアワビの説明を求めた後、ソテツちゃんに会う前の理科の授業をうけた。そして、住職「これが枯山水の
お庭です。」と、本堂からお庭を見せていただいたが、枯山水にはソテツがザックザック生え放題で、どのへんが
枯山水がちっともわからず、どちらかというとジャングルだった。
グランドフィナーレで待望のソテツちゃんに出会えた。もはやソテツちゃんは鳥居とセットで神となっておられ、私
達が気軽に声をかけていい植物ではなくなっていた。

大阪城へ行った。はじめて大阪城を見る八重どのは、その巨大さにびっくりしていた。堀ぞいの桜には、それは
それは沢山の人々がゴザをひいて花見をしている。中には社員総出で桜の木に桜の造花を結んでいる訳のわ
からん光景もあった。城内の展示品を見て、いちいち「長可兄貴だ。」「忠政だ。」と指差し喜ぶ自分。長久手合
戦図屏風を久々に見れた。長可兄の頭上で換気扇を持っている武士が気になってしょうがない。
京都に場所を移し、宿に荷物を置いて、円山公園で夜桜見物をしながらみたらし団子をはみはみチューハイを
飲んだ。そして、宿では天野酒を飲み交わしつつ、蓬莱の豚まんを肴に夜更けまで蘭丸への熱い思いを語った2
人。「蘭丸は悔しかったんだよぅ!」「長可は弟のことをすごく理解してたのに!」・・・・会ったことあるのか。

 4月10日(土) 朝から五体投地のバカンス 
朝5時に起こされた。
なんと、われら知恩院に宿坊していたのだ。
「5:30分から朝のお勤めをしますので、皆様ロビーにお集まりください。」
「八重どの、行こう・・・・八重どの?」
寝てる人は放って、私1人で行ったさ。(TT)身を切るような寒さの中、2時間正座の上、五体投地までさせていた
だきました。足の痛さに発狂しかけたわ。私がこのように比類無き働きをしている間に夜が明けた。

本能寺戦死者の阿弥陀寺へお参り。八重殿は蘭丸たちのお墓に天野酒をお供えしていた。森一族に惚れて以来、
中学生の頃よりこの阿弥陀寺に足繁く通っているなぁ。ご位牌も拝ませていただいた。ここに来るたび「ああ、ここ
にまた来れた。また会えた。」と一回一回感無量になる。今度はいつ、行けるのだろう。

大徳寺に赴き、信長の菩提寺の総見院を見学。リアルサイズ、リアル顏に作られたという信長公の木像も、お元気
そうだ。身長は160cmくらいだとか。お墓参りもしてきた。

大徳寺の隣の今宮神社には織田稲荷神社が合祀されてあるという。阿弥陀寺が移転した跡地に織田稲荷神社が
建てられ、その織田稲荷神社が今宮神社に合祀されたという。

それを探したとも。境内には沢山の祠があるけど、見つからない。場所を教えられても見つからない。正直者にしか
見えないのか?!しかも何ゆえ稲荷社?そして・・・やっと見つけたのがパソコンサイズの織田稲荷神社だった・・・。
あまりにも不意打ちな大きさだった。Σ(゚□゚; ちょー、ちっちゃい!この中で信長公と家臣団が生活しているのか!
(してない)

織田信長と家臣団をお祀りする船岡山の建勲神社で蘭丸の絵を見た。
中村甲刀修史館は、すさまじい武具の収蔵量。井伊家関係がテーマの展示だったので目の前が全体的に赤色だ。
森長可が長久手合戦で使っていて分捕られた鞍(くら)と鐙(あぶみ)を見た。長可兄貴、分捕ってばかりじゃなかっ
たんだ。

夕食を済ませ、秀吉の菩提寺の高台寺に夜間拝観に行った。ここは阿弥陀寺と本能寺と本能寺跡と大徳寺と建
勲神社と同じく、京都に来るたび行く。夜の庭がすさまじく美しいのだ。庭園の木々が写りこんだ池の中には静寂
の別世界が広がり、その美しさに涙がでてしまう。450年前の君がひょっこり現れるかも。そして私は霊屋にある「
花筏(はないかだ)」の蒔絵がすごく好き。川に散った花が筏に乗っている様が描かれている。日本人の優しい想
像力には感じ入ってしまう。

向いの圓徳院には初めて入ったけど、ここには木下勝俊を祀る歌仙堂があった。彼は、森蘭丸のお姉さん”おうめ
”の旦那様だったが、武門に暗く、うめに愛想をつかされ、出ていかれてしまっている。でも、歌は超一流だったの
で歌聖とまで呼ばれ、芸能をやる人の信仰を集めているらしい。

帰りの夜道、予定にはなかったけど、安井金毘羅神社に立寄った。大きな穴の開いた石の上に白いお札がびっし
りとのっていて、その穴をくぐり向こう側へ行き、向こう側からまた穴をくぐって戻ってくれば、悪縁を切り良縁を結
ぶという。二人でチャレンジした。ほふく前進で穴をくぐり、その穴をくぐって戻ってこれで、悪縁切り良縁結びが・・・
と思っていたところへ、目の前で知らないお姉ちゃんが、ぼう然と立ち尽くし、ライトアップされた穴の中ではいつくば
る私の姿を見ていた。目が合い、時が止まった。「な、何をしているの?!」・・・て、言われたってカタツムリの私は
「えへ♪」とはにかむしかないじゃんか!!!「良縁ですってよ・・・。」と話すと「私もやる!」と言って、イケてるスー
ツのお姉ちゃんもはいつくばって穴に入っていった。
行ってらっしゃいませ〜!

今日の宿坊は本能寺会館。ふつーの旅館だった。壁紙が信長じゃないのぉ?!
「明日は光秀が本能寺の変を起こす前にお参りした愛宕神社に行ってみよう。」と打ち合わせをしていて、ガイドブッ
クを見るも、愛宕が載っていない。あ、あれ?そんなに遠いの?
友達に連絡して調べてもらったら、公共の交通機関を下車後、徒歩約2時間・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「え・・・・・、八重どの、2時間歩くって・・・・・・?行く???」
満場一致で行かないことになった。
床の上で八重殿が解読した古文書を見せてもらって何気なく就寝。

 4月11日(日) 本能寺よ永遠に。

本能寺をお参りし、特別展「信長展」を観る。蘭丸所持の陣太刀も展示してあった。本能寺の変の前夜に日海と
利玄が囲碁を打って三コウになったという伝説の碁石と碁盤もあった。詳しくは『ヒカルの碁』を見て。

京都駅でひとまずロッカーに荷物を置いて行こう、ということになったけど、おびただしい数のロッカーがあるにも
かかわらず、空きがない。2人でずっと歩きまわった。ロッカー探しで1日を終えたらどうしよう・・・・。荷物をひっぱ
って回っていても疲れるだけ仕方ないので、とりあえず八重殿に荷物番を頼んで、ロッカー探しの冒険にでた。
やっと、ロッカーの空きがあるゾーンにでくわしたのだけど、警察がそのロッカーを取り囲んで、ある1ロッカーの鍵
を開ける為、管理人らしき人に立ち会っている。事件のようだけど、背に腹は変えられない。もーらいっ!と、1つ、
隣の隣の隣くらいのロッカーをキープして、八重殿にロッカー発見の一報を入れた。警察が私に何も言わないのを
見ると、周囲でロッカー探しの旅をしていた人達も、次々にやってきて、たちどころにそのロッカーコーナーも満員御
礼。

それから、西本願寺へ行った。初めて行くけど、でっかい。そしていきなり右手に鉄筋バリバリの建物があった。
なんじゃこりゃー!!キダムが来るぞーっ!と叫んでいたのだけど、御影堂修復の為に鉄筋で覆っている事を
知った。なんだ。安心。阿弥陀堂の巨大さ、それなのに精密な作りはすごい。売店で、石山合戦関係の本がない
か探した。

それから、東本願寺に行った。初めて行くけど、でっかい。本堂に入ると、ごくごく内輪の個人的な法要が営まれ
ていたけど、観光客である私たちもその様子を眺めてみた。売店で石山合戦関係の本を探していたら、たった一
冊だけど、石山合戦関係の本があった。
蘭丸や妙向尼が石山本願寺の和睦に奔走したことが書かれていた。なんか、嬉しい。

それから、時間に余裕ができたので、蘭丸コースをはずれ、下鴨神社に参拝。かなり静かな雰囲気のところだった。
その日たまたまなのか、観光の人も少なくって、京都であって、京都でないような。。。
糺の森をぬけて、ふたたびバスに乗った。

旅のグランドフィナーレは本能寺跡。現在発掘調査も終わり、老人ホーム建設のため、鉄の囲いがしてある。
うーん。老人ホーム。

その鉄の壁に手書きでマジックで「本能寺跡」と書いてあった・・・・・。何これ?と思った
瞬間の出来事である!知らないおじさんが「よくぞ見つけてくれました!」とやってきて、
一方的にとうとうと語りはじめた!!!!誰かが見るのを見張っていたのか!!
Σ(゚□゚;
て、ゆーか、私はこの老人ホーム建設予定地で昔にひたりたい!トランス状態になりた
い!
センチメンタルジャーニーさせて!ゾーーーーン!!
・・・すっかり冷めきった私が本能寺の碑の前でボ―ッとしている間に、八重どのがヘン
なものを見つけてきたので載せておこう。本能消防分団は団員募集中です。誰かためし
に入って。

それからちょっと先にある南蛮寺跡も見た。ここから宣教師たちは、本能寺がチュドーン!
と爆発するのを眺めている。

夕食を食べ、お買い物をして京都駅で八重どのと別れた。八重殿は東日本人なので帰り
は逆方向だ。三日間ありがとう。
新幹線の中で忘れないうちに書き物をしようと思っていたのにいつの間にか爆睡。気づ
けば山口あたりだった。トイレにたつ時ふと見ると、車内の乗客が全員寝ていたので、な
んか怖いもんがあった・・・・・・。

 

ホーム