森蘭丸逸話集
実録!これが本当のお小姓だ! 05/06/20ホーム  坊丸・力丸の逸話(本能寺の逸話を掲載中)

______嗚呼、まこと「蘭丸はよき人の人参なり。」(信長談)




■戸を閉めよう

織田家の森蘭丸が内証の蔵へ信長のお供をした時のこと。信長が帰りにふと「蔵の戸を閉めよと言っていなかった。急ぎ参り閉めておけ。」と言った。蘭丸は蔵に戻った。実は、蘭丸、本当はきちんと戸が閉まっていたと最初から知っていたのだけど、静かに戸を開け、そして”パタリ”と音をたてて戸を閉めて帰った。
女中がこれを見て「妙なことをなさる。」と申したところ、蘭丸は「初めに戸を閉めたのは覚えていたのですが、信長様は戸を”閉めなかった”とおっしゃいましたので、そのお言葉を無にしてはいけませんから。絶対に、絶対に、くれぐれも口外してはいけませんよ。」と言った。(『筆のちり』)

コメント『■障子を閉めよう』、の逸話の類似品ですが、詳細がちょっと違うので、あげてみました。信長公は閉め忘れたと思いこむのがだーいすき!蘭丸は閉めなおすのが、だーいすき!
「内証(ないしょう)の蔵」というのは、奥の蔵だか、ナイショ事するのか、奥さんをつっこんでいる蔵なのか、なんだか良くわからないのでそのままの単語を出しておきました。文中の蘭丸のセリフ「絶対に、絶対に、くれぐれも口外してはいけませんよ。」の原文読み下しは「必ず必ず、あなかしこ、御口外下されまじく」です。そこまで念を押す蘭丸がちょっと大げさな気がしないでもないですが(実はバラしてほしいのか?!)、いいところを見せて女中のハートもゲット!


■信長公の自讃

信長公の自讃三つ。
第一は、奥州より献じたる白斑(しらふ)の鷹。これ、第一希代の逸物なり。
第二に、青の馬。これは、いかなる砂浜、石原を召されても、つまづく事なし。
第三は、御小姓、森蘭丸。これは、忠功世に知るところなり。
この三つ、すぐれたる御秘蔵のよし、常にのたまいしとぞ。

コメント:森蘭丸を語るのに、一番有名なのがこの一節です。信長公の三大ご自慢、自画自讃のひとつが蘭丸。鳥と馬の次というのが気にならないでもないですが、信長にとって、蘭丸はなくてはならない存在だったのです。常にのたまいしとぞ。


■蘇鉄(ソテツ)ちゃん。

堺に妙国寺というお寺にはそれは巨大な蘇鉄があった。この蘇鉄が枯れそうになった時、寺の僧達は手を尽くしたが遂に枯れ果ててしまった。
しかし、高僧たちが法華経を唱えてみたところ、次第に青みを帯び、ついに元のように活き活きとなった。
「これが法華経の功徳」と、この一件はたちまちのうちに噂となり、蘇鉄には参拝客が絶えなかったという。

この摩訶不思議を忌まわしく思った信長は「政治の妨げになる。」と、家来に命じて蘇鉄を引っこ抜いて安土城の庭に移させた。

ある夜更け、信長は庭の方から「妙国寺へ帰ろう。帰ろう。」と声がするのを聴いた。蘭丸を召し出して説明したところ、せっかちな蘭丸は、とっとと明かりを持って縁側に出た。信長も刀を持って後についていった。
再び、「妙国寺へ帰ろう。帰ろう。」と声がたつより早く、蘭丸は、づかづかと庭先に下りて行き、声を頼りに正体を突き止めると、犯人は蘇鉄だった。
蘭丸が「今の声は蘇鉄から出ていました。」と報告すると、信長は大爆笑。
「枯木が蘇った話と言い、これは妖怪のたぐい。明日あの木をことごとく切ってしまおう。」と寝所に戻っていった。蘭丸は次の間で宿直した。

翌日、信長や近習が縁側で見守る中、300人の者が斧を持ってこの蘇鉄を切ろうとした。しかし、なんとしたことか、300人ともが倒れて吐血して悶絶するではないか。

しばらくして信長、「………魏の曹操も梨の木を切ろうとして死んだ。古木の霊を犯すようなマネをしてはならない。」

結局その蘇鉄は元の妙国寺に返品され、あの、信長ですら法力には勝てなかったと、ますます蘇鉄はもてはやされた。

コメント:「帰りたい。」じゃなくて「帰ろう。」と言っているポジティブなソテツがなんとも愛らしい。ちょっとビビッている上様も可愛い。(笑)て、300人で切る大木って、どんなでっかい木なんだ・・・。(−−;)なんとびっくり、この蘇鉄は現在も妙国寺に鎮座ましまし、今では国の天然記念物(笑)。原文はもっと細かくて、かの信長公ですら、闇の中で「この声はどこから・・・。」とためらっています。しかし蘭ちゃんはそんなのもお構いなし。づーかづーか庭に下りています(笑)。


■いつだって正直者。

信長が近習たちに鍔(つば)に菊をあしらった刀を見せ、その菊の数を当てた者に刀を与えると言った。皆が答える中、蘭丸だけは黙ったまま。信長がその訳を尋ねると、信長が用を足す間、刀を持って待つ際に、数を数えて知っているからだと言った。その正直さに感心した信長は、その刀を蘭丸に与えた。

コメント:上様、甘うございますな。実は蘭ちゃんは、上様の髪の毛の本数も、ほくろの数も、毛穴の数も、上様が召し上がったおにぎりの米粒の数も、上様が知らぬ間に数えて知っておるのでございますよ、、、。そんな彼にとって刀の菊の数なんてお茶の子さいさいなのです。「うわー、その質問簡単すぎ。」と思って彼は答えなかったのです。


■じし〜ん。

信長が休憩のために農家に入った。大きな地震が起こったので皆は大騒ぎ。さっそく上様にお知らせせねば、ということになったけど、蘭丸は動かなかった。やがて信長がでてきたときに「さきほど地震がございました。」と報告。信長が「なぜその時に言わぬ?」と尋ねると、「あなたは今天下に大地震をおこしておいでです。こんな小さな地震はご報告するまでもないと思いました。」信長は流石蘭丸、と笑った。

コメント:きゃん、ゴーマすーりすーり。なんか、全身がむずがゆくなるような蘭ちゃんのセリフ、、、兄貴には死んでもできないでしょう。でも、あんたら、、、報告しあわな地震があったかどうだか分からんのかい?


■右筆(文書を司る人)へアドバイス。


 蘭丸は右筆にこう言った。「お急ぎの書状であればあるほど、なおさらに心を落ち着かせて書くべきです。」これは的を射た言葉であり、俗に言う急がば回れというのはこの事。何事も心を落ち着かせれば、全てがうまくいくということだ。

コメント:___ということです。肝に銘じましょう。


■障子を閉めよう。

ある時、信長が「障子を開けたまま来たから閉めてこい」おっしゃった。蘭丸は行って見たのだが障子はきちんと閉まっていた。蘭丸は障子をわざと開けて音を立てて閉めた。戻ってきた蘭丸に信長が「開いていただろう。」と聞くと、「閉まっていまいした。」と蘭丸。「ではなぜ閉めた音がしたのだ。」と聞くと、「仮にも信長が開けてきたと仰せなのに閉まっていたのでは上様が粗忽のように思われる。だからわざと閉めた音を皆に聞かせたのです。」と蘭丸。

コメント:蘭ちゃんの愛が伝わってくる逸話ですね。(ほんとかいな?)蘭ちゃんの偉いとこは、黙ってないで、自分が上様のためにしてあげたことをはっきり言ってしまうところですね。黙って尽くしても相手は気づいてくれないかもしれません。蘭ちゃんのように、自分がこれだけアナタを思い遣っているのよ、ということをアピールしましょう。


上様のタカラモノ。

あるとき、信長が蘭丸に「自分には、天下にも代え難い秘蔵のものがある。これが何か当ててみよ。」と言った。「白鷹でしょうか?」と蘭丸が答えると、「鷹ではないが生き物だ、もう一度考えよ。」と言う。「もしかして私でしょうか?」と蘭丸が答えると当ったらしく、信長は笑った。

コメント:おほほほほほ。この日本全てとおんなじぐらいに、上様は蘭ちゃんがいいんですってよ。生き物、生き物〜♪


恥をかいても上様をたてる。

ある僧が信長に大量のミカンをプレゼントした。それを蘭丸が台に積んで披露することとなった。信長が「そちの力では危ない。倒れるぞ。」と言ったが、案の定、蘭丸は台もろともひっくり返った。「それ見ろ。わしの言ったとおりではないか。」と信長の一言。後日ある人がその話を持ち出すと、蘭丸は「あれを無事に運んでしまっては、上様の目利き違いになってしまうのでわざと転んだのだ。」と言った。

コメント:見たいですねえ、ミカンをぶちまけながら台もろともひっくり返った蘭ちゃん。それにしても、いいですねえ、「わざとやった。」というセリフ。これでは、もう誰も何も言い返せませんね。本当にわざとやったのか、実は本当に倒れてしまったのか今となっては知る術もありませんが、この蘭丸のぶちまけしおミカンはその後皆さんで召し上がったのでしょうか?


■爪の先まで気を遣う。

信長が自分の切った爪を蘭丸に捨ててこいと言った。しかし蘭丸は立ちかねている。爪が一つ足りないという。そこで袖を払ってみると爪の一片が落ちた。蘭丸は爪を紙に包んで出ていったので信長が家来に後をつけさせると、堀の中に爪を捨てていたという。

コメント:痛い、、。アナタの愛は痛すぎる。参考までに、この話が訴えているのは、上様が体の一部を敵に取られて呪いをかけられないように堀の中へ処分する蘭丸の完璧なまでの配慮、というところですが、、、、。これ捨てて、と言われて、(また、蘭ちゃんのことだから大事そうに大事そうに)ごみを持って階段を降り、階段を降り、表へ出て行き、ともすると家来に開門させ、城外まで出ていって堀の中にごみを捨ててくる人ってなんだか、別の意味すごいですねえ。そりゃ、上様だって、「あいつ、いつもどこまでごみを捨てに行ってんだ?」と人に後をつけさせたくなりもしますでしょうねえ。。


■頭上注意。

信長は蘭丸の用心深さを試すため、蔀(しとみ。まあ、窓に付いてる雨よけシャッターのようなもの)の上に水を入れた茶碗を乗せ、蘭丸に蔀をおろせ、と言った。子どもの背丈では蔀の上にある茶碗は見えなかったが、蘭丸は背伸びをして小竹の先で探ると茶碗が当った。蘭丸は踏み台を使って茶碗をおろして蔀を下げた。

コメント__現代でいう、黒板消しを扉にはさんで、、っていうイタズラでしょうか?「お蘭、蔀を閉めよ♪ほら、はやく♪」上様、蘭ちゃんがイタズラに引っかかって茶碗の水をひっかぶる姿を想像して思わずニヤケてしまいます。勘のいい蘭ちゃんは「また何かやったな。」と棒でつついてみます。今回は上様にはひっかかってあげなかったのね。 


■ 時には厳しく。

信長が鷹狩に行って、ある農家に入った時に地震が起こった。お供の者達は驚いて飛び出していった。信長の側には蘭丸だけが何の変哲もないような顔をして、家の中にそのまま残っていた。地震が治まってから信長は外へ出た。蘭丸が言う。「君主があのような危険な場所にいるべきではありません。天下取りの大事をなそうとお思いなら、こんな小事に危険をおかすべきではありません。地震が起こった時に申し上げようと思いましたが、地震を怖がって言うように思われてはなりませんので揺れがおさまるのを待っていたのです。」これには信長も感じ入って蘭丸の言うことを聞いたという。

コメント:きゃー、蘭ちゃんに叱られちゃったぁ、という上様のお声が聞こえてきそうです。地震が起こっても、「俺ぜんぜん怖かねえよ。」と啖呵をきっておすましの上様。「ああ!またこのお人わっつ!!」と内心上様のムナグラをムンズとつかんで外へ引きずりたい衝動に駆られながらも、同じくおすまし顔の蘭ちゃん。2人ならんですまし顔。間違っていることは例え相手が誰であろうと、遠慮せずビシバシ言う蘭ちゃん。いいっすねー。


人を見抜くチカラ。

天正7年10月、信長が来年伊賀に行くとのことで、紀州より召し抱えた雑賀の者を伊賀へ密偵に行かせた。このものは役人へ伊賀の切所要害を言い渡したが、蘭丸は「若輩の身で憚らずもの申しますが、その者、卑賎の者の割には言葉が上手すぎます。紀州の人間だから、伊賀にも近いことです。縁者を丸め込んで裏切るつもりでしょう。きっと身分あるものに言い含められた言葉を、自分の言葉に直さずにそのまま言っているのです。もう一度吟味しなおしてください。」と言った。調べた結果は蘭丸の言葉通り。その者の裏切りは発覚し、罰せられた。これによって信長は蘭丸をひとしお寵愛して側から離さなかったという。

コメント:上様はさぞかし蘭ちゃんがかわいくて、かわいくて自慢で仕方なかったことでしょう。うーん、役人の目はごまかせても蘭ちゃんの目はごまかせませんぞ。


■偏諱を賜る

信長が、蘭丸に”信”の字を与える、と言った。しかし蘭丸はこれを固辞した。それで”長”の字を賜り”長定”と名乗った。

コメント:上様、森兄弟皆に”長”の字をあげまくったのでしょうね、兄弟みんな”長”付き。えらい将軍や大名が自分の名前の1字を家臣がもらうことを、”偏諱(へんき)を賜る”といいますが普通臣下には信長だったら”長”と名前の下の字を上げます。”信”の字をあげたがるなってよほどのことで、”信”の字をもらっているのは、長曽我部信親とかいった有力大名です。蘭ちゃん、よっぽど気に入られていたのでしょうね。


スパイ大作戦。

ある時蘭丸は間者として上杉の城下に忍び込んだ。虚無僧の格好で尺八を吹いていたが、上杉謙信が通りかかり、「森蘭丸ではないのか」と尋ねられた。見破られたとあっては、もはやここまで、と自害しようとしたが、謙信の近習に押しとどめられた。さらに城下の見学を許され、無事帰ることができた。蘭丸の噂は隣国でも名高かったためである。この事を信長に報告すると、ことのほか機嫌を良くした。

コメント:そう都合よくケンケンが通りかかるものかしらん。でも、バレバレじゃん。ケンケンコメント。「余りにも美少年だったから不自然に思うた。」もしくは「余りにもひどい尺八の吹き方でただ者じゃないと思うた。」もしくは「おい、兄ちゃん前髪見えてるぜ。」いいなあ、蘭ちゃん、城下見物まで許されて。スパイ活動が旅行になって。(お土産ももらったかな?)上様もさぞかし、鼻たーかだかー!でしょう。


■頭に草をのせるひとへ。

信長公が安土城においでの時に、庭をつくらせてご覧になった。信長公はお庭にお出になられて、木に腰をかけ、草を少し
取って頭の上にのせられた。そして、「小姓ども、これを持ってまいれ!」との仰せだった。皆は意味がわからずにたたずん
でいたところに、蘭丸はすぐにピンときてお茶を進上なさった。信長は「奇特なり」とて感心された上、蘭丸は金柄の小刀
を拝領した。

コメントこの逸話を読んでもオチが書いていないので私もどうして蘭丸が「お茶」を持って行ったか意味がわからず、たたずみ小姓グループの一員となっていましたが、無い頭をひねって、上様の言いたかった意味がやっとわかった次第です。・・・・・「木」の上に「人」がいて、その上に「草(艸)」すなわちそれを合わせて「茶」の一字!!わかるかいっ!これは、人とは違う信長の周波数をキャッチできる蘭丸ならではの逸話かと。蘭丸の知恵を褒めるよりも、おたくら、どういう思考回路しているんだとツッコミたくなりますが。
・・・・「ええっ!なんでわかったの?!」頭に草をのせたまま驚いている信長公のお姿が目に浮かびます。

 


■ 岩村城主ではあるんだけど

森蘭丸は天正10年3月に岩村城を賜り、これを治めた。蘭丸は天正5年の時に13歳で安土城へ登城し、左大臣平信長卿に仕えた。彼は姿と容貌がずば抜けており、才芸においてもこれに並ぶ者がなかった。信長の寵愛を得た少年で、常に信長の傍を離れることがなく、それ故に岩村城には一日も居城せず、各務兵庫をもって城代とした。天正10年6月2日京都本能寺において信長公に従って討死。この時に兄弟3人が同様に戦死した。蘭丸18歳、坊丸17歳、力丸16歳。坊丸と力丸は敵と戦い数ヶ所に渡る傷を受け、2人ともに自害した。蘭丸は敵の陣中に駆け込んで大いに苦戦して死んだ。

コメント:蘭丸が岩村城主だったことを語る一節ですが、この信憑性については、また色々と意見が分かれます。何しろこの記述自体が18世紀だし。左大臣と訳した原文は「左僕射(=左大臣)」という表記なのですが、信長は左大臣にはなっていないので、多分「右僕射」の間違いかと。(><)岩村城は日本3大山城のひとつ。果てしない石垣の群れには度肝を抜かれます。一日くらいは居城させてあげて欲しかったな。お傍を離れなさすぎ。


■おねだり。

ある時、信長が蘭丸にさまざまな珍しい物を見せ、いずれか気に入ったものをやろうと言った。しかし、蘭丸は自分の望むものはこの中にないと言う。そこで、お互いの手のひらに蘭丸の望みのものを書いた。合図と同時に手のひらを見せると、双方”近江坂本八万石”と書いていたという。そこは父可成の旧領であったが、その時は明智光秀の領地となっていた。この話を障子越しに聞いていた光秀は、この時から主君を疑うようになったと言う。

コメント:お互いの手のひらに文字を書いて見せ合う、、どこかで聞いたような話だわ。それにしても上様と蘭ちゃん、ほんとツーカー。近江坂本城。パパと運命をともにしたお城。それをもらったのが光秀。因縁ですねー。


■あやしい。

信長が光秀を打ち据えた時、光秀は落涙して「ご恩莫大なる上様に、謀反など考えたこともございませんのに・・」と言った。側にいた蘭丸は「上様は親しみの余りに叩かれたのです。うらやましいことです。」と取り繕ったが、後で信長に「謀反を考えたことがない、というのは叛意ある証拠です。ご成敗ください。」と告げた。またある時、光秀は食事の際、口中の飯もかまずに何やらじっと思案し、手に持った箸を落としたのにもしばらく気づかない様子だった。蘭丸は光秀が謀反を企んでいるに違いないと思い信長に進言した。しかし信長は取り合わなかった。

コメント:ここまで挙動不審なら誰だって「何この人・・・」と思いますがな。「そう、じゃ、手打ちにしよか。」という上様も嫌ですが、これが実話で、上様が蘭ちゃんの言葉を気に留めていたなら、歴史がガバッと変わっていたのですが。


■お風呂上がりに、、。

本能寺の変の前日、蘭丸は油小路の町風呂屋にいたが、表で光秀謀反の話をするのが聞こえた。そこで風呂屋からでて供の者に噂の主を捜させたが見つからなかった。それでも聞き捨てならぬことと、更によく捜すように命じ、自分は本能寺へ戻り、信長にこの事を話したが本気で取り合ってもらえず「宇佐山の城はいずれそなたに与えるつもりだから、若いと言って左様なことは言わぬものぞ。」とかえって叱られた。信長は蘭丸が光秀の領地(父討死にの地)欲しさに言ったと思っていたらしい。この事は本能寺の変を逃れた側女中やお風呂の供をしていたものの証言である。

コメント:いつも上手く意思の通っていた2人なのに、、、。蘭ちゃんも「ちがうのに、、、。本当のことなのに、、。」とさぞかしつらかったことでしょう。


■夢占い。

信長が、馬の腹や胸を鼠が食い破る夢を見た。蘭丸に夢の吉凶を尋ねたところ、吉夢です、との答え。蘭丸は退いた後、密かに人に会い「これは一大事だ。殿は午年、明智は子年であるから、あの夢は殿が光秀のせいで切腹なさるという凶兆だ。この夢が10日前であったなら、光秀を討てたものを、西国攻めのために丹波へ下ってしまったのでどうすることもできない。」と言いながら落涙した。これを聞いて皆笑っていたが、本能寺の変が起きてからその予見が正しかったことに、誰もが恐れ入った。

コメント:蘭ちゃんは夢占いの診断までなさるのね。何でもかんでも蘭丸に聞けばいいと思って・・・。うーん、でも、占いの自己診断で「殿が殺されルー」とぽろぽろ泣いていたら、やっぱ周りの人が「おいおい、お蘭どの、、。君ねえ。」と笑っちゃうのは無理ないかも知れないなあ。ちなみに蘭ちゃんは丑年。(1565年生まれならね。)


■ え?え?

本能寺を明智が囲んだとき、信長は日ごろ「殿」と呼んでいた嫡子信忠の謀反と思って「殿が人にだまされて逆心したか!!謀反には早いぞ!!」と言っていたので蘭丸が答えた。「中将(信忠)様ではございません。宵より申し上げておりますように明智の謀反であって、水色の旗、四手の馬印が押し入りました!」蘭丸は十文字の槍を持って打ち出て、弟坊丸、力丸も続いてでた。明智の家来、安田作兵衛は蘭丸と打ち合い、杉縁より2度も突き落とされた。しかし、兵たちが押し入り蘭丸は討たれ、坊丸も、力丸も討ち取られた。兄弟3人は京都阿弥陀寺に葬られた。そして安田作兵衛は森長可に五百石でかかえられた。

コメント:上様!なんで私が明智がやってきたと何度言ってもわかんにゃいの?!つーか、上様「早いぞ!」って。。。しかし、問題はもっと別のとこにあったぞな。あ、、、兄貴、、、、。


■ 蘭丸死す

森蘭丸は明智の謀反を事前に知っていた。光秀が本能寺を襲ったとき、敵は誰ぞと皆が言うなか、蘭丸一人は光秀に違いないと言う。本能寺が囲まれて敵が塀や門より押し入るところ、信長は大いに怒って弓矢を取った。安田作兵衛が槍を握って突進してきた。信長の矢は作兵衛の肘をかすめたが、ものともせずに向ってくる。信長を障子越しに刺し、作兵衛はしめたと障子を押し開けようとするところに、蘭丸が十文字の槍でかかってきて、作兵衛を軒先に突き落とし、さらに股間を突切った。作兵衛はその槍たぐって溝より起き上がり刀を抜いて蘭丸を切った。

コメント:信長に一番槍をいれ、蘭丸を殺した安田作兵衛の槍と墓は唐津市内にあります。流れ流れて唐津藩のお友達寺沢広高の元へ身を寄せたのですが、その後、デキモノができて何度切っても治らないので自害してしまいます。


■ しりもちつくほど嬉しい人

明智光秀の軍勢が本能寺の本堂に押し入った時、古い建物のために屋根が落ち、信長が天井にかけていたいた槍・長柄などの武具が
数十本、ことごとく降ってきた。そのために軍勢は道をふさがれたので、みんなで槍などを取り除いていた折に、四方田という者が脇の口
より鉄砲を提げて押し入った。
その時蘭丸が、左の手に刀を提げて白き小袖姿で、修善寺紙を平元結にして髪を茶筅髪に結んで駆け出てきて「何者だ!」とののしって
きた。そこを四方天が槍で突きふせた。蘭丸の後ろからは信長が寝巻き姿のまま刀を取っておいでになって、「何者だ。」とおっしゃるので、
蘭丸が「惟任が謀叛のようでございます。」と言うと、信長はそのまま奥へ入っていかれていた。しかし、今一人、信長を追う敵がいる。
その者が「後ろをお見せになるとはきたなし!」と言葉をかけると、信長はふりかえってお睨みになった。そこへ敵は信長に矢を放っ
て、素肌を射た。構わず信長は奥へ入って自害したようだった。そして、そのまま火の手があがった。
四方田という男が蘭丸の首を取って明智光秀に見せた時、光秀は目がかすんでしまって、じっくり見ることができなかったという。見た後は
光秀は「それは森蘭丸だ!」と言って、馬上で喜び、しりもちをついたということだ。

コメント:蘭丸の髪型は、修善寺紙という有名な和紙で茶筅髪に結わえていたということです。逸話の後に”(この髪型は)本当の事だ”とわざわざ力説しているのが笑えます。かっこよく討ち入った明智の軍勢が落下物の除去作業をしているのはもっと笑えます。何度読み返しても、蘭丸は敵に突き伏せられている様なのに、信長が「何者だ。」と言うとちゃんと「惟任が謀叛と見え候よし。」と答えているところがいじらしい。(笑)どんな状況にあってもしっかりしている人だなあ・・・。


■ 光秀対面

光秀が本能寺を襲った。四方田又兵衛は衆を率いて客殿の欄干に登ったら、落ちた。長槍も落ちた。衆はためらって進めない。、また、兵とって返して塀や門より入り込んだ。蘭丸が、刀を握りやってきた。
「何者ぞ!」
兵は進んで打って出る。蘭丸は退き、兵は追う。接戦の末、書院でついに蘭丸を討って、首級を提げていった。馬上の光秀はその首を見て、
「蘭丸ではないか!」 
光秀の左右の者がそうだと言うと、3度も跳ね回って喜び、「又兵衛の功大なり!」と言った。

コメントあらあら、光秀さんのはしゃぎようったら。でも数日後には君の首もつながっていないのだ。


■ きっとあいつがやったんだ。

本能寺を囲んだ明智軍がいくら探せども、信長の遺体が無かった。もしや逃げたのか?という騒ぎになったが、信長が奥へ入っていくのを見た人がいたので、ではきっと蘭丸が、信長の遺体の上に畳を5、6枚かけたのだろうということになって、明智軍は安心して二条城へ押しかけた。

コメント「ああ、タタミね〜。」って敵のみんな、それで落ち着いていいのかい?でも、血もしたたる美少年蘭丸が、戦の真っ最中にウンショ、コラショとタタミをめくって上様に積み上げていく姿って視覚的にも実にさわやか。何か余裕すら感じさせますな。


■悲しき哉、本能寺。

(本能寺)門外の門端の石の上に首が十三あった。森蘭丸兄弟三人、狩野又九郎、御厩ノ庄助、高橋虎松、小澤六左衛門、小澤は鷹匠頭で鷹の尾羽継き名人の噂があった。そのほか首、数知れず・・・。

コメント:本能寺の変の時の逸話です。上様は蘭丸に5、六枚畳をかぶせられて(それもどうかと思うけど・・・)亡骸を隠されたが、蘭丸たちはあはれ、明智軍よりさらし首にされたということです。”尾羽継き名人”というのが何かよくわかりません。なぜそこだけを特記するんだろう。


■ もしかして・・・?

明智光秀の家臣に川上という家来がいた。本能寺の変でお堂にいた信長公を弓で射たのがこの川上だが、変の6日後に気が狂って死んだ。
いまわの際に空言で「鶴が来て額を刺す!すごく痛い!すごく痛い!」と言っていた。

コメント:蘭丸の逸話ではないのですが、鶴が敵のデコをグサッ!ザクッ!とやるのが妙に気になりました。ご存知のように鶴は森家の家紋であります。何とも象徴的ではないですか(ムリヤリ??)。長くてスルドいクチバシの鶴に身を借りて、「上様のカタキッ!!!」ザクッ!


■ジジ蘭丸。


 江戸の志賀隅翁は、医者で、天明年間中80歳くらいに見えたのだが、200年近くのことを事細かに話した。100年より前のことは忘れてしまったと言う。ある時人々に向かって「私は近々死ぬだろうから、包み隠さず申すと、私は信長公の御小姓森蘭丸だ。本能寺の戦の折、何としてでも光秀を討ちたくて、軍勢の一部を打ち破り、身を隠したが、その時の傷に悩まされ、治療している内に光秀は亡びてしまった。どこかへ行くこともできず、切腹も計ったが周りのものに支えられ、意味なき命をここまで永らえた。」と言い、着物を脱ぎ捨てたが、体にはおびただしい傷があった。不思議なことに程なくして本当に死んでしまった。

コメントあんた、いくつ、、、。


つづく・・。

文献に見るこれらの逸話の他には、兼山に伝わるお話がたくさんあります。蘭丸が河童に間違えられた話しや、
  お地蔵さんとの対話など、兼山町教育委員会発行の『兼山の昔話』に詳しいのでご興味のある方はそちらお薦
  め致します。

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