三重県 


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■永禄12年、織田信長による北伊勢に侵攻が開始され、北畠氏、神戸氏を制圧する。この時、森可成も信長に従軍して伊勢で戦った。

■木曽川・長良川・揖斐川の三つの川が海に入る場所にあった長島の地には、川中島が散在していた。      
 明応6(1497)年には、一向宗中興の祖である蓮如の子・蓮淳が長島の願證寺の寺主となり、やがて、願證寺は長島の地を支配していた伊藤一族を追い出して支配権を握り、衆徒を集めて勢力を拡大する。
 肥大した一向衆勢力は、戦国時代においては、織田信長に公然と反抗の色を見せ、戦いの火花を散らすこととなる。
森長可が初陣を飾ったのも、この長島の地である。                                                



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長島 本城:長島城
坊舎:願證寺
端城:大島砦・中江砦・小田御崎砦・大鳥居砦・香取砦・屋長島砦・松ノ木砦・篠橋砦・一ノ江砦・鯏浦砦・蛯江砦・加路戸砦・押付砦・殿名砦

 長島城跡(桑名市)

  戦国時代には長島城は長島一向一揆の本城となり、織田信長と交戦した。
天正2(1574)年7月の信長の第3回長島攻めにおいて落城を見る。
 その合戦の時は、森長可は関共成とともに長島城から出てきた敵の横合を突いて、
これを城内へ押し戻したという(『森家先代実録』)。

《 みどころ 》現在、城跡は長島中部小学校・中学校地となっている。道沿いに長島城跡
の説明看板あり。江戸期には長島藩の居城となったが、その本丸の西南にあったという
クロマツは伊勢湾台風を生き抜いて、今も健在。

《 交通 》JR/近鉄「長島駅」より徒歩20分くらい。

 


 願證寺(がんしょうじ)(桑名市)

 当時、一向一揆の基地となっていた願證寺。
本物は明治の河川改修工事で長良川に水没し、現在の願證寺(画像)は、寛永期に建立された祐泉寺が寺の名を改めたものだそうだ。

《 みどころ 》境内には「長島一向一揆四百年追悼法要殉教之碑」がある。


《 交通 》JR/近鉄「長島駅」より徒歩20分くらい。
 


 阿坂城跡(松阪市大阿坂町)

  別名、白米城。北畠氏の山城。
織田信長は永禄12(1569)年を伊勢侵攻をスタートさせ、8月26日に北畠家の重臣・大宮入道の
籠る阿坂城を攻撃した。
この伊勢攻めには森可成も従軍しており、阿坂城攻めをしたことが『森家先代実録』に登場
する。

《 みどころ 》 北の郭(椎の木城)と主郭である南の郭(阿坂城)とで成り立つ。浄眼寺からの
コースを登ると、先に椎の木城が現れ、そこを山頂と勘違いせずにさらに進むと主郭に到る。
主格の山頂は360度の大パノラマでよい感じに草が生え、大変に気持ちがよかった。

しかし、そこまでの道のりはしんどかった(雨上がりの足元が悪いせいもあったかも)。         

《 交通 》車で連れて行ってもらいましたのでよくわかりません…。
      浄眼寺
の境内にある入口から行くのが無難でした。

《他画像》 白米城阯(阿坂城の別名)の石碑 椎の木城(阿坂城の北の郭)
        
白米城(阿坂城南郭 阿坂城(白米城)山頂石碑 


《旅行記》 森家深追いの旅


 大河内城跡(おかわちじょう)(松阪市大河内町)

  永禄12(1569)年8月には阿坂城に続いて北畠具教、具房の籠る大河内(おかわち)城を攻撃した。
この時の戦いは50日に及び城内に餓死者が出るほどの籠城戦となったが、最終的には和議に
及んでいる(そして信長は息子の信雄を北畠家の養子にした)。信雄により廃城となる。

 森可成もこの大河内城攻めに加わっており、大河内城の東方に陣を構えていたという記述が
『信長公記』で確認できる。
 『森家先代実録』では、織田軍は8月28日(または20日)に城に攻め込み、その時、森可成はよ
き働きをしたといい、更に『実録』曰く、一説にはこの大河内攻めは、阿坂城攻めや青龍寺城攻
めの時の場合とともに、可成の為した多くの功名や手柄が比類無きものだった。

《 みどころ 》 遺構は神社になっている。各ポイントに城の遺構の名称を示す石碑が建っていた。
「まむし谷」はその名の雰囲気が垣間見えたけど、「御納戸跡」に笑った。

《 交通 》車で連れて行ってもらいましたのでよくわかりません…。

《他画像》 大河内城のまむし谷

《旅行記》 森家深追いの旅

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