いただきもののページ。2
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2006/07/31
またまた団地猫さまが、ステキな画像をくださいました。境川(古木曽川)です。
あばれ川と呼ばれ、たびたび氾濫を繰り返しつつ時には村々さえ押し流してその流れを変えていた木曽川。
天正14年(1586)の大氾濫で木曽川の流れが現在の位置に移動してしまう前は、この大河はもっと北側を流れていました。
その当時の川筋の名残がこの境川です。
この川が可成時代の尾張国と美濃国の国境で、森一族の住みなした葉栗郡蓮台も当時は尾張国側にありました。
この天正14年の大氾濫によるすさまじい地形の変化のせいで、なんと、蓮台は美濃国側になってしまったのです。
昔の木曽川も今は、こんな細い流れになってしまっているのですね〜。びっくり〜。
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水の流れと青空がステキ! 団地猫さまによりますと、この境川は岐阜市柳津町(今年から岐阜市に合併、 元は羽島郡柳津町)から 各務原の方へ流れている川なのだそうです。 団地猫さま:可成ダディや可隆兄さん、長可アニキはこの川で釣りをしたり 泳いでいたんでしょうね。 (BGM/井上陽水・少年時代) うきき:そんな楽しげな情景の1コマを想像すると楽しいですね〜。 |
2006/07/28
団地猫さまが、犬山の徳授寺の画像をくださいました(説明文は管理人)。
せっかくの画像を圧縮して見づらくしてしまったのは私です、すみません。
森長可がこの寺を陣屋の建築資材として徴発して青塚砦に持って行きました。
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徳授寺入り口 奥にみえる門をくぐって左に曲がると本堂があ るそうです。右の看板には稚児募集の案内。 |
徳授寺本堂 昔、この寺の本堂や庫裏を持っていった人がい る。住職、仏像抱えて泣いただろうな。 |
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2006/06/20
先日の史跡めぐりで庄内川周辺の史跡を見損ねた私の為に、団地猫さまが画像を撮影してお送りくださいました。(説明文は管理人)
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大日の渡し跡(春日井側より撮影) 後方に見えるのが庄内川です。その先は長久 手へ続きます。三河を衝く為に 森長可・池田はこの渡しより川を越えました。 |
大留城址 城主・村瀬作右衛門は秀吉側に寝返り、池田軍 や森軍を助けて働いてくれました。 神社と周りは住宅街になってしまっているそうです。 |
大留城跡(全体写真) これより村瀬作右衛門の道案内で、 池田軍、 森軍、堀軍、三好軍が別れて 長久手へと進軍し ていきました。 |
2006/01/29
津山城石段に木製の段が設置されたという情報をくださったしまちゃんさまが、実際に津山城に訪れて
送ってくださった本日の津山城画像です。(説明文は管理人)
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忘れられた石 平成10年に津山市大谷で見つかった石。 くさびの穴があり、津山城築城の際に切り出 されたものだろうと言われています。 |
木製の段 津山城の石段は敵の侵入を防ぐために 登りづらく作ってあるため、最近、 木製の段が作られました。 |
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備中櫓東側の藤棚付近 本来この場所には備中櫓(画像奥の建物)と到来 櫓をつなぐ細長い長局櫓があり、この写真に見え る柱と同じ間隔で柱が建っていました。 |
備中櫓 冬の青空にもよく映える白亜の櫓。桜の上幹部 分と石垣スカート部分がよく見え、この櫓がいか に高いとことにあるのかよく判ります。 |
2006/01/08
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鈴夢様[URL]からの誕生日プレゼントです。 戦国(宣教師)漫画の蘭丸くんだそうです。 女の子といっても充分通じそうな感じの蘭丸クンですね♪ ←クリックすると大きな画像を見ることができます。 |
2006/01/05
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amemura様[URL]からの年賀イラストです。 軟らかな色彩と梅の花には少年の微笑みがよく映えます。 ←クリックすると大きな画像を見ることができます。 |
2005/11/9
鶴丸様[URL]からのいただきものです。
森一族の故郷・兼山で毎年開催されている「若獅子蘭丸」武者行列の森可成役用具足です。森一族をお祀りする赤穂・大石神社に伝わる「革包畦目綴二枚胴具足」を模して作られたそうです。何よりまず目につくのが鋭角の「銀箔押大釘頭立付頭形兜」。大石神社にある実物の前立て(△部分)は、桧の木でできていて、木の枝にひっかかっても、びよ〜んと曲って首が負傷しないよう工夫されているとのこと。
そしてまた、向い鶴のあ・うんのクチがかわいいのです。
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革包畦目綴二枚胴具足 ←クリックすると大きな画像を見ることができます。 |
2005/7/11 ゆうさまからいただいた「きらず粥」の写真です。
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2005年7月7日の森忠政ご命日に、 津山市の石山寺で「きらず粥」が振舞われました。 金曜日の新聞によると、きらず粥とは、津山城築城の頃、忠政の妻、お岩が年末の 「すす払い」のときに米や野菜とおからで粥を作って振舞ったもので「忠政忌施粥式」 と粥の復元法要を行ってから、試食したそうです。 (情報提供者:しまちゃんさま) |
昔の人は”空っぽ”に通じる”おカラ”というのを嫌って、包丁を使わずにすむ食べ物という意味で”きらず”と言っていました。新年には刃傷沙汰が起こらぬようにと願いをこめて食されたことが『森家先代実録』にも見受けられます。
石山寺は、津山城の石垣を切り出した石切場に建立されたお寺で、今でも当時の様子が忍ばれる場所です。ゆうさまからいただいた美味しそうな
お粥(夏ということで冷たいきらず粥だったそうです。)が置かれている石にも、切り出しのためにつけられた穴が見えます。
2005/5/11 しまちゃんさまからいただいた5/5津山城築城400年祭ファイナルイベントの模様です。
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新緑の備中櫓 | 新緑の備中櫓、スカート部分、ぱっ! | 布絵芝居「津山しろづくり」 |
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躑躅の備中櫓 | 市長さんのご挨拶 | 風船飛ばし |
2005/4/16 ゆうさまからの津山城花だよりです。これでもか、といわんばかりに咲き乱れています。
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2005/4/13 しまちゃんさまからの花だよりです。花盛りの津山城跡と、備中櫓です。この桜が見たかった・・・・。
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2005/4/5 鶴丸さま[URL]より頂きものの、可成寺跡に現れたカモシカ!!(コメントは管理人うききのものです。)
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寺跡を守るカモシカにござ候。 | 名所「信長休み石」に行くには、このカモシカを 越えねばなりませぬぞ!!ピキーン!! |
2005/1/1
台湾のamemuraさま[URL]よりのお年賀のご挨拶。
かわいらしい蘭丸が蘭の花をしょっています。
←クリックすると大きな画像を見ることができます。
台湾のamemuraさまよりのいだきもの。(本能寺デーにいただけるはずだった?)パステル調イラスト。
伝・頼山陽の本能寺の詩にある「蒼天を睨んで死す花一輪」をイメージして描いてくださったもの。
←クリックすると大きな画像を見ることができます。
台湾のamemuraさま[URL]よりのお年賀の頂きもの。
ロングヘアーですね。
幻想的でとってもキレイな画像です。
←クリックすると大きな画像を見ることができます。
2004/1/4
由利さま[URL]よりのいただきもの。
左は坊丸、右は蘭丸兄ちゃんです。
蘭丸兄ちゃんは上機嫌で何を話しているのでしょうか?
←クリックすると大きな画像を見ることができます。