井 | 戸宇右衛門 |
森家家老 ・ ”加治田衆”の一人。
●人名
/ 井戸宇右衛門(いど うゑもん)
●出身 / 大和国
●生没年
/ ? −慶長八年
●法名
/
●墓所
/ 美作国・院の庄の殺害現場に葬られた。(対面に名古屋九右衛門の眠る松があり、”にらみ合いの松”として今も残る。)
元は加治田城の家老であった。 天正10年7月、森長可は加治田城を襲った。その加治田城には、剛将・井戸宇右衛門の勇士があった。 落城の後、長可に仕えることになり、他の投降者ともども森家臣団内では”加治田衆”と呼ばれ土岐郡寺河戸村に給地さ れた。しかも歴戦功のある上に彼は昔、和州井戸の地頭であったので、森家家中でも皆一目置いていたという。 森忠政が上田城を攻める折に、彼や弟の井戸傳三郎・彦五郎が協力して功をあげたので、忠政も感じ入り、彼の弟達に新たな 知行を与えたという。それが、後々忠政が滅ぼさんとするほど不和になってしまったのだ・・・。 当時、森家家中に名古屋九右衛門(山三郎)いう者がいた。妹が忠政の側室ともなっている事もあり、忠政よりも厚く寵愛を受けて いた。真偽の程は判らないが、この男が井戸の上に立たんと暗躍したことに悲劇が始まったと言う。あるとき井戸宇右衛門が用事 があって忠政のいる川中島に赴いたとき、城兵が出てきて井戸は彼らと戦う羽目になった。これは名古屋の仕業であろう、そう思っ た井戸は忠政に糾明を願い出たが聞き届けてもらえなかった。以降、井戸はヘソを曲げて奉公をおざなりにしてしまう。 まして、名古屋との対立は深まるばかり。それに腹を立てた忠政が、とうとう井戸を討つことに決めたらしい。悪循環のラビリンスだ。 森家が川中島領から美作国に移封になるとき、忠政のお側仕えの妻木長門守が井戸宇右衛門に 「もう、あなたは美作国へはこないほうがいい。成敗されるだろうから・・・。」と教えてあげたと言う。 それでも、井戸は「行かねば後悔する。たとえ成敗されても行く。」と随行した。 事件は忠政が美作国に移封になって早々のことであった。院の庄(地名)で名古屋は君命を武器に井戸に切りかったが、井戸は名 の聞こえた剛の者。逆に名古屋を一刀両断してしまう。何をしてんだか。しかし、現場の者達に、井戸も殺害されるに至った。弟達も 別の場所で殺害された。 名古屋九右衛門の遺体は事件現場の北側、井戸兄弟の遺体は南側に埋められ、そこへ双方の墓標に松が植えられた。にらみ合い の松として今でも名所として残る。 時の将軍・徳川家康は井戸宇右衛門のことを惜しんだのだろうか、忠政が駿府に参府した折に、家康はしばらく忠政に会おうとしな かったという。 |
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■ 妻は林新右衛門常照の娘、つまりは蘭丸の母・妙向尼の姉妹。(姪とするものもある。) この事件が機で妙向尼の兄・林長兵衛為忠は忠政の元を去った。 ■ 名古屋山三郎は妹・岩が森忠政の側室だったことをたよりに森家に仕えた。その以前は蒲生氏郷に仕えていたと言う。 あまりに美男子でトラブルの元にもなりそうだったので出家したとある。出雲の阿国のボーイフレンドでもあった。 |