如水院青木次郎左衛門秀重正室)

●  命日 / 不明

● 法名 /   如水院妙源院宗厳大姉

 墓所/  不明

 

■■■■■■■■■■■■■■ 本能寺の変に運命をさらわれて ■■■■■■■■■■■■
彼女のことはあまり多くは伝わっていない。青木次郎左衛門秀重 の妻となった。

そして、そのことで、悲哀に満ちた人生がここに見えてくる。

本能寺の変。弟の蘭丸が死んだ。坊丸、力丸が死んだ。そして夫の青木次郎左衛門秀重も同じ

本能寺で信長公のために命を費やした。それが、どれほどの嘆きであったか、推して知るべし

彼女の胸中。

夫の墓は、蘭丸たちとともにあり、京都・阿弥陀寺に眠る。信長公の墓の傍らに有る石灯篭は青

木家子孫の寄進のものだ。

寡婦となった彼女のその後は語られていない。

法名は如水院妙源院宗厳大姉という。

■■■■■■■■■■■■■■■■ 大蘭丸の鑓、持ち出し ■■■■■■■■■■■■■■■
彼女と青木次郎左衛門との間には父と同じ次郎左衛門を名乗る息子がいた。

その子は浪人して江戸でにいた。Σ(゚□゚;

大名家の血筋のものが浪人?!そういえば、彼の従兄弟(蘭丸の甥・関武兵衛)も浪人していた。

寺子屋でティーチャーやっていた元大名家・短曾我部盛親(仮名)さんなどもいたご時世だが、彼と

違って当時・森家は傾いていたわけでもなし、生活の保障があった生活をしてたかと思われるが、

浪人とは、つくづく不思議なことをするものだと思う。何があったのだ・・・・。

彼は蘭丸君の御持鑓の『三條』『吉行』・剣『当麻』の三品を所持していたという。

それをどこにやったのか・・・・。


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