和歌山県
高野山は、山そのものが聖地と考えられ、平安時代よりの沢山の墓が建てられてきた。山中には、20−30万基の墓石があるという。
戦国大名たちも、こぞって山中に墓を建てており、津山・赤穂藩森家も高野山中の釈迦文院を菩提寺となした。森家を含む奥の院の大名のお墓を散策するには、観光案内所で「高野山奥の院の墓碑をたずねて」(2008年3月現在100円)を購入すると非常に便利。一の橋入口にも墓所の位置紹介の看板あり。
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■ 森中将忠政墓所(高野町/高野山奥之院)
■ 岡山津山森家墓所(高野町/高野山奥之院)
下の段の「岡山津山森家墓所」と案内板の立った敷地には、森忠政の息子、忠広らの墓がある。 《 みどころ 》 画像:森忠継長継の長男(左)/森忠広忠政の次男(右)墓 《 交通 》 ケーブルカー高野山駅より、バス。「奥の院口」から徒歩。 |
■ 釈迦文院(高野町/高野山)
約千年前、祈親上人の開基。 徳川時代には津山、赤穂藩森家の菩提寺となった。明治四年の高野山麓神谷で起こった日本 最後の仇討は赤穂藩士同志の戦いで、この寺院でその菩提も弔われている。 《 みどころ 》 本堂(画像)の屋根には鶴丸紋(お寺の寺紋)が! 森忠政や忠広(忠政息子)らのご位牌や森家寄進の燈篭などがある。 宿坊も可。 《 交通 》 ケーブルカー高野山駅より、バス「霊宝館前」から徒歩。 |