佐賀県


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■ 唐津城

本能寺で信長に一番槍をつけた明智方の臣・安田作兵衛のまさにその槍(と伝えられるもの)が
この城内に展示されている。
安田作兵衛は森蘭丸を討ち取った人物としても有名。
本能寺の変の後、長可に500石にてかかえられたが、長可の戦死の後、九州へ落ち延び、最終
的には旧友の唐津藩主・寺沢広高のもとにおちつき、この地にて生涯を終えた。

《 みどころ 》 城内には安田作兵衛が本能寺の変で使用した槍が展示されている。

《 交通 》 JR筑肥線唐津駅下車


■ 浄泰寺

天正15年(1587)に唐津藩主寺沢志摩守廣高の冥福を祈って建立された寺院で、蘭丸を討ち
取った安田作兵衛の墓もある。寺伝ではなんと命日は奇しくも本能寺の変と同じ6月2日。
戒名『善要智仙禅定門』。頬にひどい腫れ物を患い、この腫れ物を琴の糸で縛り3度抜き取ったが治らず、
4度目には怒って自害したという。人々は信長を殺した報いだと噂した。
晩年は織田信長と明智光秀の冥福を祈り、念仏三昧の日々だったと伝えられる。

《 みどころ 》 裏手墓地には安田作兵衛の立派な墓がある。説明書きの看板もあり親切。
         また寺の大門は肥前名護屋城の遺構。

《 交通 》 JR筑肥線唐津駅下車


■ 名護屋城跡

秀吉が朝鮮出兵の拠点とするために築かせた城。森忠政は、三の丸の冠木門、大手東門の普請を担当した(『秀吉公名護屋御陣之図ニ相添候覚書(成立年未詳)』および『森家先代実録』)。
1592年の文禄の役では森忠政はこの肥前名護屋城に駐屯していた。また、城内には佐賀県立名古屋城博物館がある。

《 みどころ 》 現在でも立派な石垣が残り、遺構もとても判りやすい。周辺には徳川家康・伊達政宗な          ど、有名処の諸大名の陣跡が120箇所以上もある。         

■参照:『秀吉公名護屋御陣之図ニ相添候覚書』にある普請担当

(”三ノ丸、東西三十四間、南北六拾弐間”のうちの)
冠木門、三間梁五間櫓   羽柴左近
大手東門、四間梁七間櫓  羽柴左近

「冠木門は、梁間三間、桁行五間の櫓門」「大手東門は、梁間四間、桁行き七間の櫓門」の意味。
そして名称は
本当は”羽柴右近”とすべき。)

《 交通 》 JR唐津駅バスセンター昭和バス唐津大手口発「名護屋城方面行」)
       →「名護屋城博物館入口」バス停下車

 


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