岡山県苫田郡鏡野町/真庭市 

                              
                                                                    
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鏡野町
津山市と隣接する苫田郡鏡野町。真経の地で、森忠政の長男・重政が息をひきとった。
時の流れが止まったような田園風景の中に森家史跡が静かに点在する。                   


 森大膳亮重政の墓

「大膳さま」と呼びならされる森忠政の長男・重政の墓。
重政は1593年に森忠政の長男として金山で生まれ、1618年にこの地にて病死した。
墓の後方の小高い丘の藪の中には「お墓畝」と呼ばれる場所があり、
ここで火葬されたともいわれ、近年建てられた石碑がある。
後に重政は誕生寺に改葬された。
ちなみに、この重政の娘「お捨」は、津山妙願寺2代目住職・紹向に嫁いでいる。

《 みどころ 》
写真に見えるのは供養墓で、薬師堂の横にある。(説明版あり)
火葬されたと伝えられる場所には
「津山城主森忠政公嫡男 瑞應院殿桂林俊芳居士 森大膳重政終焉之地
元和四年六月五日寂 享年二十六歳」と書かれた石碑がある。
《 交通 》
かがみの町営バス越畑・岩屋線「薬師堂前」下車。徒歩すぐ


 宗重の大桂(おおかつら)

当時、樹齢約700年の大樹であったこの大桂は、慶長年間、森忠政が鶴山城を築いた時に天守閣
の心柱にするために切り倒された。その切り株はなお生命を保って洞を形成し、枝が分かれて現在
の形になったと言われる。

《 みどころ 》
この桂はもとは
目通り周囲28尺、高さ11間あったといい、それを使った津山の天守閣は5層、
高さ11間1尺。今は枝分かれしているが、幹を見れば当時はかなりの巨木だったことがうかがえる。
(写真中央の白いのは雨つぶ。)

《 交通 》
 かがみの町営バス越畑・岩屋線「宗重」下車。


■ 鍵湯

   奥津温泉にある鍵湯。
森忠政の湯治場として知られ、一般の入浴を禁じたと伝えられる。
老舗旅館「
奥津荘」には、森忠政が鍵をかけて専用の湯とした「鍵湯」が
残されている。

《 みどころ 》 この奥津荘の「鍵湯」はもともと男湯だったが、現在は時間により
          男湯と女湯を入れ替えているとのこと。
          泉質:自然湯・ラジウム含有泉・無色・無味・無臭・泉温43.6℃
          入浴料:大人1000円 子供500円 
          利用時間:午前11時〜午後2時(2005年11月現在)

《 交通 》   JR津山駅より中鉄バスで60分


真庭市


■ 高田城跡(真庭市勝山)

 勝山城。中世に三浦氏によって築城され、以降、その時々の権力者の有力者が
城主となっていた。
 森家が美作国に入部した慶長八(1603)年以降、森忠政の重臣の各務四郎兵衛、そ
の後は大塚丹後の大塚氏が五代に渡り城番を勤めた。

《 みどころ 》 山上の遺構はグラウンドと化したり地デジ放送施設が建ったりして
いるものの、残りがよく見ごたえもあった(夏場に行ったので草が茂っていたが)。

 麓にある「高田城三の丸遺跡」は更によく整備されていた。真庭市教育委員会の
説明看板によでば三の丸遺跡は『十五世紀の三浦氏から継続して十七世紀初頭の
森氏の城番までの館跡の一部と推定される。』とのこと。

真島郡古城
一、高田山 三浦駿河守貞連 高田村
(森家部分のみ抜粋↓)
同(慶長)八癸卯(1603)年より各務四朗兵衛、これを抱え、
同十四己酉(1609)春より大塚丹後より相続て五代これを抱える。
from『森家先代実録 巻第十八』
原文をわかりやすく読み下し済み。

《 その他画像 》 城山・太鼓山案内地図 二の丸 本丸 三の丸 出丸カンカン井戸
            出丸

《 交通 》 
車で行きましたのでよく判りません。


■ 幕湯真庭市仲間

森忠政が幕を張って入った温泉だと伝わる。

《 みどころ 》 幕湯(源泉)があるのは、真賀温泉館。混浴となっているので注意。
          アルカリ性単純温泉。
          入浴料:大人250円 子供500円
          利用時間:午前7時〜午後10時(2010年8月現在)

《 交通 》   車で行きました。


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