日進市史跡


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 森長可が池田恒興とともに三河を衝こうとして軍を動かし夜の闇を縫っていた時、それを阻もうとする鉄砲の音が岩崎の城から放たれた。
ただの通過地点になるはずだったこの場所が悲劇の舞台となる。


 岩崎城

 天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際に、城主丹羽氏次は16歳の弟の氏重に留守を任せて、
自らは徳川家康の道案内をする。
 この城を守っていた氏重は4月9日、三河を衝こうとして軍行していた豊臣方の池田恒興や森長可を見つけ、足止めさせようと攻撃に出て、攻めこまれて落城。氏重以下300余りの兵が壮絶な討ち死を遂げた。


《 みどころ 》 城内各場所に当時の遺構が残っている。
          城の中は、2階は、地元ならではの企画展があるが、その3階は、
常設展
         「長久手の戦いと三河中入り」
となっており、小牧長久手の戦いの学習ができる。
          また、岩崎城敷地内の
岩崎城歴史記念館では無料の観光案内音声ガイドを貸して
          もらえるので、それを聴きながら城内や周辺を散策することもできる。
         

《 交通 》  名鉄豊田線「日進駅」→名鉄バス「岩崎御岳口」下車
        もしくは、地下鉄東山線「星ケ丘駅」→名鉄バス「岩崎御岳口」下車
        もしくは「くるりんばす(市内巡回バス)」北コース・中コース「御岳口」下車   
        (※管理人は長久手古戦場からくるりんバスに乗車)
 


 岩崎城歴史記念館

 岩崎城敷地内にあり、エントランスでは丹羽氏重の銅像が迎えてくれる。無料だった。
館内には、丹羽家に関する展示や、岩崎城の戦いの解説などがある。


《 みどころ 》 また、岩崎城の戦いに関する書籍(『岩崎城の戦』)もここで購入できる。
          岩崎城に関する無料のパンフレットもあった。
          館内の「岩崎のむかしばなし」ビデオにも岩崎城に関する話が登場する。
          

《 交通 》  岩崎城内
 


 妙仙寺

おバカにも、画像データを消去して
しまいました。
 丹羽家の菩提寺。境内にある「臥龍の松」が見事。


《 みどころ 》  墓所に上ったところに石地蔵が並ぶ。地蔵を含むその列が丹羽家の古墓だが、
           風化が激しく昔は確認できたという丹羽家の家紋も判らない。
           岩崎城歴史記念館で借りた音声ガイドによれば、

           『丹羽氏重の墓は、丹羽氏清の墓の土台として使われています。』とのこと…ひどい…。
           また、岩崎城からこの寺に向かう道で川を渡るが、慈眼寺近くの橋周辺が、丹羽氏重
           討死の地と伝わる。

《 交通 》  岩崎城から徒歩15分ほど
 


 六坊山

おバカにも、画像データを消去して
しまいました。
 岩崎城を落とした池田恒興が、この山の麓で首実検をしたといわれる。 
昔、この山には六坊(寺)の寺があったという。
この首実検の直後、後方の三好軍が徳川家康に襲撃されたことを知り、池田軍は森長可とともに長久手に
引き返すことになる。


《 みどころ 》 現在の妙仙寺の西には、首級が並べられたといわれる場所が残っているらしい
          (管理人未確認)。山だけは確認したけれど、登っていないので、詳細不明。

《 交通 》  「くるりんばす(市内巡回バス)」北コース・中コース「六坊」下車   
        (※管理人は長久手古戦場からくるりんバスに乗車)
 


長可が登ったかもしれない竹の山にも登りたい。

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