日進市史跡
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森長可が池田恒興とともに三河を衝こうとして軍を動かし夜の闇を縫っていた時、それを阻もうとする鉄砲の音が岩崎の城から放たれた。
ただの通過地点になるはずだったこの場所が悲劇の舞台となる。
■ 岩崎城跡
天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際に、城主丹羽氏次は16歳の弟の氏重に留守を任せて、 自らは徳川家康の道案内をする。 この城を守っていた氏重は4月9日、三河を衝こうとして軍行していた豊臣方の池田恒興や森長可を見つけ、足止めさせようと攻撃に出て、攻めこまれて落城。氏重以下300余りの兵が壮絶な討ち死を遂げた。
《 交通 》 名鉄豊田線「日進駅」→名鉄バス「岩崎御岳口」下車
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■ 岩崎城歴史記念館
岩崎城敷地内にあり、エントランスでは丹羽氏重の銅像が迎えてくれる。無料だった。 館内には、丹羽家に関する展示や、岩崎城の戦いの解説などがある。
《 交通 》 岩崎城内 |
■ 妙仙寺
おバカにも、画像データを消去して しまいました。 |
丹羽家の菩提寺。境内にある「臥龍の松」が見事。
《 交通 》 岩崎城から徒歩15分ほど |
■ 六坊山
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岩崎城を落とした池田恒興が、この山の麓で首実検をしたといわれる。 昔、この山には六坊(寺)の寺があったという。 この首実検の直後、後方の三好軍が徳川家康に襲撃されたことを知り、池田軍は森長可とともに長久手に 引き返すことになる。
《 交通 》 「くるりんばす(市内巡回バス)」北コース・中コース「六坊」下車 |
長可が登ったかもしれない竹の山にも登りたい。