鹿児島県
天正15(1587)年、豊臣秀吉による島津攻めに従軍した森軍。
秀吉は九州の城々を次々と降伏させ、そして陥落させつつ、ついに島津の領地に入った。
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■ 山崎城(鹿児島県薩摩郡さつま町山崎字瀬ノ上)
天正15(1587)年、豊臣秀吉は九州島津征伐に乗り出した。 この時、森軍も従軍。ただし当主の森忠政は行かず、陣代として家老の林為忠が森軍を率いて 秀吉に同行した。 豊臣秀吉は、天正15年5月20日には山崎地頭でもある野村良綱の案内で山崎城に入り、秀 吉に恭順しかねて姿を現わさぬ島津歳久(義久の弟)の動向を斥候に探らせるが、義歳の伏兵 に襲われるに到る。さらに、山崎城を発った秀吉の大軍は、歳久の家臣にわざと難所の山岳地 帯に道案内させられ、秀吉はその道中に暗殺されかけた。 《 みどころ 》 『森家先代実録』の記述に山崎城が登場する。
ローソンさつま町山崎店の背後の丘陵が山崎城跡。 《 参考文献 》 |
鹿児島では他にも島津歳久関係を色々と見て回りました。
この歳久という人も調べてみれば悲劇の人で、最初は島津家が豊臣秀吉に抵抗することに反対していたものの、いったん島津が事を構えると後は兄・義久が降伏しようが自らは秀吉に恭順することはなく、また、さらには重病で秀吉の面会の要請にもこたえられず(他にも色々あって)謀反の嫌疑をかけられるに到り、しまいには秀吉の命を受けた兄・義久の追手に討ち取られてしまいます。
豊臣秀吉の島津征伐軍とからめて、後日ご紹介できればと思います。もっと情報を探さないといけません。