愛知県・豊田市史跡                        


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 光明寺 (豊田市下市場)

 元亀2(1571)年に織田信長の家臣・余語勝久と余語正勝が開祖となる浄土宗のお寺。
その以前は真言宗の寺院であった。
 彼らの甥に当たる坂井久蔵が16歳の時に姉川の戦いで戦死したため、これを嘆き悲
しんだ正勝は久蔵に似せた地蔵菩薩を自ら彫って屋敷で供養していた。
後に、この自分の屋敷を明け渡して浄土宗光明寺とし、坂井久蔵を改宗大施主となした。
なお、坂井久蔵は姉川で戦死せねば、森可成の娘(鴻野さま)の聟となるはずであった。
坂井久蔵の法名:「直院忠誉隆重誠居士」

《 みどころ 》 元亀年間に造られた「久蔵地蔵」という仏像がお祀りされている。
(現在、当時のものは本堂奥に安置され、本堂表には平成再興の久蔵地蔵がお祀りされている。)
お寺には『光明寺のしおり』や『久蔵地蔵さんものがたり』のパンフレットがあって詳細が載っている。
また、近くには、余語正勝が織田信長像を納めた長興寺がある。

《 交通 》 名鉄三河線「上挙母(うわごろも)駅」下車。徒歩15分


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