■ 浮野古戦場 (一宮市浮野)
永禄元(1558)年5月28日、清洲城主織田信長が岩倉城(城主・織田信安)攻略のために浮野に布陣。 この日は小競り合いで終った。 7月12日には犬山城主織田信清も信長の援軍として馳せ参じ、両軍、浮野川を挟んでの戦いとなる。 岩倉勢は押されていったん城際まで追い詰められたが、信長と信清が勝鬨を上げて引き上げて ゆくのを見て信清軍を追撃。それを知った信長は取って返し、浮野で再びの激戦となり、結果、信長が 敵勢を城まで追い詰め、敵の首900余りを討ちとって勝利を収めた。 《 みどころ 》 5月28日の戦いには、信長は森可成を大将に500ばかりの軍勢を送った。 《 交通 》 交通手段がよく判らなかったので、車で行きました。 |
関氏関係史跡
森家と関氏とは、森可成娘が関小十郎右衛門共成に嫁いでより以降、関家の人物を、森家の養子にしたり、家督を継がせるなど、切っても切れぬ長く親密な縁戚関係が続く。その関氏の発祥の地が愛知県一宮市。
■ 一宮城跡 (一宮市)
森家と親戚関係で、長可と共に討死した関小十郎右衛門共成(長安)の居城跡。駅前のUFJ銀行前に 石碑が建てられている。 《 みどころ 》 「一宮城跡」の石碑だけはある。この一宮は森一族がいた蓮台にも地理的に近い。 《 交通 》 尾張一宮駅下車。 |
■ 常念寺 (一宮市)
明徳元年(1390)空遷召運上人の開基の寺院で関家の菩提寺。天正年間に戦災に遭ったこの寺院を 関共成が城の鎮守として、一宮城の鬼門に当たる現在の場所に再建。 当時の関家の墓石は太平洋戦争の戦災で今は消失したらしいが、現在は新しい石碑が建立されている。 《 みどころ 》 山門くをくぐると、関政経(康正)、関十郎右衛門長直、関十郎右衛門長安の三代、三 基の一宮城石碑が並ぶ。 《 交通 》 尾張一宮駅下車。 |
■ 真清田神社(一宮市)
そもそも関家はこの神社の神主だったと言われる。 蘭丸の義兄・関小十郎右衛門は信長から拝領した蘭奢待をこの神社に奉納した。 《 みどころ 》 関小十郎右衛門の奉納した蘭奢待と、書状が宝物として残る。 《 交通 》 尾張一宮駅下車。 |
■ 苅安賀城跡(一宮市苅安賀)
浅井政澄(高政)が築城し、長男田宮丸長時との二代の居城となった。かつては二重の堀が存在した という。 田宮丸は本能寺の変後は織田信雄の三家老の一人となるが、豊臣秀吉との内通を疑われて長島城で 殺害される。その後、田宮丸を討った森勘解由が居城した。 《 みどころ 》 苅安賀自動車学校の入り口に石碑があるのみ(画像右側の石碑)。 《 交通 》 名鉄尾西線「苅安賀駅」下車後徒歩5分。 |