人 | 間無骨 |
長可愛用の槍。霜を凌ぐの色は猶、人の心を寒くす。
●和泉守兼定作。
●長さ壱尺弐七分(約38.5cm)/広さ壱寸弐分(約3.6cm)/厚さ三分(約0.9cm)/横の長さ壱尺壱分寸六分(約35.2cm)
表の首に「人間」とうがち、裏の首に「無骨」と彫る。茎の長さ壱尺五寸(約45.5cm)『和泉兼定』と彫る。
関の刀鍛冶・和泉守兼定の作、十文字の槍。その名を「人間無骨」と称す。 森長可が天正2年(1574年)の伊勢長嶋の戦いでこの槍を振るい、27の首級をあげ、織田信長をも感嘆せしめたという。表には「人間」裏には 「無骨」という彫刻があった。この槍の前では人間も骨のないように切られてしまう、という意味である。「鬼武蔵」と恐れられた長可の手にはい つもこの「人間無骨」が握られていた。 松浦静山の著した『甲子夜話』に人間無骨のことが記されている。 『・・ちなみに、長可が戦で携えていた人間無骨という槍は、今も森家に伝来しているという。玄関にかけてるのがそうだと森右兵衛佐が言 うので、注意して見たけど、なるほど、大きな十文字の槍。立ち寄って見たけど、さすがに番の人がいる前だったので森殿に頼んで図を写 させてもらった。(中略)鬼武蔵は戦のときに首を取ってこの槍に刺して、槍をたてて突いたら十文字を突き抜けて下までいってしまった。剛 の者のなす技といっても、これはやはり槍の刃のすごさだ。森家では旅行では必ずこの槍を身辺に持参する。(中略)しかし、倉が焼けたと 聞いて、槍はどうなったのかと森右兵衛佐に尋ねたら、”焼ける前にレプリカを作ってそれを持ってきたから。本物は赤穂城にあるので大丈 夫。”ということだった。思うに、この槍には長可の霊が宿っているのだ。」 この話にもあるように、江戸時代赤穂森家ではこの槍は常に玄関にかけていて、行列の際は一番道具になっていた。後に播州三日月藩森 家に伝来したという。 |
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■この槍は、正と副が伝来するという。 ■一時は靖国神社や国立博物館にも展示されていたらしいが、その後、御物にでもなったのか、所在がわからない。また、東京のとある資 産家の元に渡ったが、震災の際に避難して来た人々の暖をとるために火にくべられたともいう。 ■和泉守兼定は代表的な戦国時代の関の刀鍛冶。代々和泉兼定を襲名したが、この作者の兼定に限っては名前の「定」の字をウカンムリ を外して「ノ」の字を足していたので、そのくずし方から「のさだ」と称された。 ■ 『本朝鍛冶考』『古今鍛冶備考』に人間無骨の画像が載せられている。
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