顏の半鐘

津山城の鐘(wav.)の音(←クリック!!)

細川忠興が忠政に贈った南蛮式釣鐘。

朝顔の半鐘/篇笠の釣鐘

津山城築城の折に小倉城主細川忠興が森忠政に祝いの品として贈る。


森忠政は居城となる津山城を築城する時、その縄張りを豊前国小倉城に倣った。

小倉城主の細川忠興は、忠政とは、一緒に打ち合わせて徳川家康のところへ「我らご身辺を警備にまいりました。」と、出かけた仲良しだが、

さすがに「君ンとこの城の縄張りをパクらせてくれ。」とは言えなかったのだろう。家臣・保田惣右衛門らを小倉へ遣り、密かに小倉城の

城郭図を写し取らせようとした。しかし、露見してしまい、家臣は捕まってしまった。

彼らが「津山城築城のために、要害堅固な小倉城を手本としたかった。」

と語ったところ、意外にも細川忠興は城郭図を貸し与えた。

細川忠興の度量の大きさを伺わせる話だとはいえど、忠政とは普段から仲がよかったから事無きを得たのだろう。二人とも仲の良い

お茶マニアだし。

そして、そればかりか、津山城完成の折には忠政にお祝いとして、南蛮唐草模様のある釣鐘を贈っている。

何気にでっかく細川家の九曜紋が入っているのがステキだ。

その鐘は形が朝顔に似ていることから、「朝顔の半鐘」とか「篇笠の釣鐘」と呼ばれて、津山城の鐘となった。

元禄十年に津山藩森家改易の翌年、松平長矩が新城主となり、以後は松平家のものとなったとか。

持って出なかったのね・・・・。

現在、この半鐘は、大阪の南蛮文化館の所蔵となっている。

私は以前、レプリカを北九州市小倉区の歴史博物館で見た。緑色をしていたけど、もとはイラストみたいな色ではなかったのかと。

(現在はレプリカは北九州市いのちの旅博物館に移転)。


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