森蘭丸武者行列見学                      旅行記INDEX

10月19日(土) 武者行列前日
                          熱田神宮信長塀

蘭丸ファンとは、すさまじきものらしい。「お風呂にまで蘭丸と一緒に入るって
人がいるんだから。」と町の人が聞かせてくれた。私は死人と入浴した経験が
無いので分からないだけかも知れないが、どうやって蘭丸とお風呂に入るの
だろうか。その謎には全然迫らないで話しを進めよう。

名古屋駅では可児守裕左衛門さんが待っていてくださった。実に10年ぶりの
再会♪他に、八重さんとQPさんとおっしゃる方と4人で行動することに相成り
ました。熱田神宮には信長が寄進したという信長塀があって、みんなそれだけ
にフラッシュの嵐。

森蘭丸の兄・森武蔵守長可が戦死したのは長久手(愛知県長久手)。その
久手古戦場跡
に行って資料館なども見学し、兄貴が戦死した場所と伝えられ
るところにある武蔵塚にお参りもした。以前来た時には塚にカナブンの死骸が
並んでいて、昆虫嫌いの私は恐怖し、更にはツチノコに足を噛みつかれ病院
へ行ったけど、今日は陶器のネコちゃん人形が置いてあった。
ああ、ここも平和になったなあ・・・・。

長久手の常照寺に行き、長可兄貴の墓参り。ここにもあったのか、墓。いったい
全国にいくつ墓を作ってもらっているのだろう。墓持ち男のファンはいたるところ
に拝みにいかなくてはならないので色々と大変。カナブンがお供えされていなか
ったのが救いだ。
長久手城跡に行くと、長可兄貴をはじめとする戦死者を弔うお地蔵さまがいらっ
しゃった。これだけ方々で供養されて、兄貴霊界でも大モテと言うより他無い。

長久手を後にして、可児市の久々利城(くくりじょう)の前を通ってもらった。この
城は21日にも行くので詳しい説明は後にしましょう。明智城跡へも行った。その
名の語るごとく、ここは明智光秀が発生したところ。ここから森家金山城のある山
が見渡せる。こうやって見ると両者近いなあ・・・。あるいは光秀と蘭丸もローカル
ネタを語り合ったであろうに。

明智城跡から兼山方面を眺める

その後、ようやく黄昏時に蘭丸のいた金山城跡に登城。もう、日も落ちそうだ。
なのに、八重さんが「可成寺跡に行きたい!」ととんでもないことを主張したので山
の上にある可成寺跡に行った。えーん、怖いよぅ。日が暮れているんだぞ、外灯な
いんだぞ、草むらだぞ、クモがいるんだぞ。アルカイダが潜入している可能性も否
定できない。何も見えないのに何を見るんだ。夜の山の恐ろしさを知っている私とし
ては明日の早朝にしようというのに、聞く耳もたん。QPさんも反対してくれないし・・。
(涙)雑草をなぎ倒しつつ寺跡へ。説明の看板すら誰かにいたずらされて張り倒され
ている始末。
傍にあった信長休み石も見て、また草むらを泳いで帰っていたら、なんとも言えない
美しい虫の音が、360度から響き渡っているのに気づいた。虫とて人間と同じように
何世代にも渡ってこの金山城で生きてきたのよね。この虫たちのひーひーひーひー
ひー(はてしなく中略)ひーひーひーひーひーひーひーひーおじいちゃん虫くらいが、
リーンと鳴いて蘭丸の耳を楽しませていたのだ!そのDNAをもつ子孫の虫たち
が奏でる歌を今聴いているのだ。おお、感動しないこともないぞ!すてきっ!そんな
折、八重さんがガケからすべり落ちて私の視界から消えていった。
金山城跡のある古城山

しかし、問題はこれだけでなかった!4人とも下半身くまなく”くっつき坊(郷里で
はこの植物をこう言う)”のとがった種子が張りついてハリネズミになった。潔くズ
ボンを脱ぎ捨てて町へ降りる勇気も無く、それにもし本当にそんなことしたら何だ
か明日のお祭りが見れない気もして、その時はただ必死で張りついたトゲトゲ種
を抜きながら城下町に戻って、お菓子処の方にハリネズミ4匹お邪魔させてもらっ
たのだった・・。御主人と楽しく会話しながらも、両手は忙しくズボンにささったトゲ
トゲを抜いている始末。

その後は町の方と合流して飲んだ。イモの意外な活用法など、楽しいお話を繰り
広げつつ飲み食いし、更には『森氏家譜』サイトのモーリスさんとも初のお目見え
を果たした。彼は真夜中に白い着物を来て登場。何か討ち死するご予定でもあっ
たのでしょうか・・。それはともかく、貴重な宝物を見せていただいたりお話を聞か
せていただいて、延々とホテルのロビーで話し倒してこの日は終わった。

10月20日(日)武者行列当日

小雨。早起きして昨日の女子メンバーで蘭丸の母菩提寺である常照寺に行き、
それから私以外の2人は武者行列に参加するのでそこで別れ、私は隣町のお寺
にもお参りさせてもらってから兼山にもどった。みんなが武者行列の準備中。その
会場で忘れもしない、8月にさながら少女漫画のようなシチュエーションで私に傘を
差し掛けてきた武者行列の責任者の鶴丸さんを見つけ、感動の面持ちで挨拶しに
行って今日の怪しいお天気の話に及んだら、「君が雨を連れてきた。」といきなり
濡れ衣を着せたのでわたしゃ暴れた。

武者行列の始まりにはまだ間があったので、見学組の私は古文書の先生のとこ
ろにお邪魔して一緒に資料の読みあわせをしていただいた。色々教えてもらって
おきながらお昼まで御馳走になり、先生が一生懸命になって辞書を引きながら文
字を解読しているのを眺めつつムシャムシャ巻き寿司をほおばった。しかも奥様
がお持ち帰り用に2段弁当までつくってくださった。
(T。T)弁当を喜び抱きしめたままダッシュ!すでに始まっていた武者行列を追い
かけていたら、楽しい切りあいがあっていた。わーい殺陣シーンだぁ!面白そうな
ので私も八重さんを突き刺した。おお、いまさらながら気づくと雨もあがっているじ
ゃないか。参加者みんなのすさまじいまでの祈りが通じたのね。

森家の男性役はあでやかな鎧をまとい本当に本物の馬にまたがり、女性役は華や
かな着物をまとって姫車と呼ばれる山車に乗ってた。すごい!自転車で5分乗れば
町が終わってしまう兼山町がいつになく華やかでにぎやかだ!見物の人もたくさん
いる!初めて兼山で人だかりをみてしまった・・・・。姫車を引く役には昨日仲良くト
ゲトゲになった八重さんも、QPさんもいて、明るい色の着物を着て陣笠を被ってい
る。かわいかった!なぜか伊達政宗までいるぞ。

途中、資料館の館長さんが会ってくださるとの事で、武者行列見学組から外れて
資料館へ。森一族を研究されておいでの方なので、私にとっては本当に貴重なお
話をお聞かせしてもらえた。満足。
  「いつか、あなたが蘭丸を見つけたら、私に教えてください。」
とおっしゃってくださって感激。私は本当の蘭丸を知りたい一心でここまで調べてき
たけど、私はまだ蘭丸の本当の姿を見つけ出せないでいる。私の住む時代から、戦
国を生きた蘭丸を捕まえるには彼の人生は余りにも短い。

武者行列参加者の懇親会にも何食わぬ顔で潜入。弁当抱きしめて。責任者がO
Kしてくれたので堂々としていて一向にさしつかえない。銘酒「蘭丸」をじゃんじゃん
飲んだくれても問題なし。そうそう、私の作ったRANMARU!のサイトを見てくださっ
たという方々にお声をかけていただいて、つくづくああ、やっていてよかった、と思った
次第。みなさんどうもありがとう。

途中で2日間をともにしたQPさんが抜けて帰るので、その前に3人で森一族の菩提
可成寺へ。蘭丸供養塔の前でさんざんひたっていたら、結局QPさんが一時間に
一本しかこないというバスに乗り遅れた。まず100%私たちのせいではなかろう。そ
れから外は大雨。可児守さんの車で八重さんを駅にお見送りに行き、もう一泊する私
は残った参加者メンバーで食事。蘭丸役のかわいらしい あゆみちゃんとも話した。

10月21日(月)武者行列後日

雨。ホテルのロビーに9時集合\(^o^)/って誰もいないジャン!一分遅れで
可児守さんが来てくれた。今日の史跡めぐりメンバーの他の3人は故郷へ帰っ
てしまったのだった。
(0□0;)え・・・・・?え?なんですと・・・・・?
こちらに向かう途中に可児守さんにモーリスさんから電話が入ったらしい。す
でに身は帰途につき東名高速道路に乗りながら、行きたいと車内でお暴れなさ
った模様。さようなら、モーリスさん。

さて、今日のテーマは「長可君 東美濃制圧の足跡をたどる」。本能寺の変で
主君の信長が倒れると、それまで森長可に従っていた東美濃の諸将がいっせい
に長可に反旗を翻した!日ごろの態度が大切である、とつくづく知らしめてくれる
お話である。しかし、長可は本能寺の変と一揆、etc・・・あって、彼はただでさえ気
が立っている。結局長可の怒り心頭に達して反逆者はコテンパンな目に合わせら
れちゃったのだ。ああ、南無三!

可児・大森城主は長可の攻撃に耐え切れず、城に火を放って加賀(富山県)ま
で逃亡。遠くまでいったのね〜。城跡は大森神社の裏山にあって、本丸跡と空堀が
ものの見事に良好に残っていた。感激。

大森城跡遠景

土岐・妻木城跡は相当な山城。最終的に城主は長可に投降。霧むせぶ雄雄しき
山々の姿に感激しつつ道に迷い断念。でも、山麓の妻木氏の館跡と菩提寺に行
けた。時々、”城主はお城に住んでいる”と思っているおちゃめな方がいらっしゃ
るが、お城は一大事とか重要なことがあるときに使うので、お殿様は山麓にマイ
ホームをちゃんと別にもっていらっしゃるのさ。みんな山城に住んでいたら、上り
下りが面倒になってきて、日本全国ひきこもり武将が続々と出現して全然群雄割
拠ストーリーが始まらない。

 長可vs.スッポン妖怪の舞台”武蔵ケ渕”

美濃源氏発祥の地にも寄り、お昼ごはんを済ませて武蔵ケ渕に行った。長可がス
ッポン妖怪を倒したという由来をもつ処だけど、妖怪と闘う長可といい、地蔵と張り
合う蘭丸といい、きわめて非現実的ブラザーズです。この分では宇宙人と交信でき
たのではなかろうか?ケンタウルス座α星のお友達、フォーリー君に敵将木曾義昌
をブラックホールに投げ込んでもらったり、信長さまが電卓機能付きの機械の身体
を手に入れられるようにスリーナインに乗せてあげたりなんてお手のものだろう。こ
のように戦国時代への懐旧の思いで史跡を巡るうちにたちどころに天気になった。
朝の雨はなんだったのだろうというさわやかな青空!

可児・久々利城城主・土岐三河守頼興は長可に投降したので、長可は喜んで彼を
金山城にご招待し、一気に血祭りにあげている。そしてお家断絶。久々利城跡は
土塁の城だけど、ほんとに遺構は荒らされずによく残ってくれている。とにかく、
どの城についても、連れてきてくださった可児守さんがやたらに詳しいので大変勉
強になる。10年前、「君はきっと晩婚だ。」と言った無礼はチャラにしてあげよう。昨日
「でも、当たったよね。」と言った不届きもチャラにしてあげよう。20代は晩婚とは言わな
いぞ、可児守さん。42歳で蘭丸を産んだ妙向尼さまのほうがミステリーじゃないか。途
中鶴丸さんのおうちに寄って御挨拶。鶴丸さんが祭りに呼んでくださったおかげでこん
なに楽しい日々が送れている。感謝はするけど私は断じて雨女ではない。

長可がお参りした小山観音から見た風景・・・これは飛騨川?

小山観音にお参り。川の真中の小島にお堂があって橋で渡してあるので驚き。
長可が数名の部下だけ引き連れ小山観音にお参りしようとしていると、加治田
城の兵が対岸から長可にバンバン矢を射掛けたらしい。長可はそれでも平然
と何事もないような顔でお参りしたので、敵のみならず味方までもが一斉にアッ
チョンブリケしたらしい。しかし、足を運んでみないと真実とはみえないもの。行
ってみて私も愕然。
「ね、対岸からじゃ、遠すぎて敵が矢を射掛けても長可に届かないでしょ。」
と可児守さんがおっしゃった。そうか、長可は矢が自分の身に届かないので平
然としていたのだ!彼の平然は計算し尽くされた平然であって、危機意識の欠
けた平然ではなかったのだ!これしきの事でアッチョンブリケする敵・味方が大
げさなのだ!

現堂洞城主

堂洞城跡を可児守さんについて山道を登っているときにでっかいキノコがあって
感激して眺めて研究していたら置いて行かれてあせった。ノーベルキノコ賞の機会を
また逃してしまった。ちぇ。本丸跡には南無阿弥陀仏の石が・・・。一体誰のせいで
この城跡に供養碑が建つことになったのだろう・・・・?信長ファンには戦慄の供養碑
だった。。。

加治田城跡から見上げた空。間違いなく晴れている。いい天気だ。

長可はかつて信長が落した堂洞城跡に登って向かいの山城の加治田城主と対決し
た。前加治田城主だった斉藤新五は長可とはよく行動を共にした仲であったが、本
能寺の変で信忠と二条城で果ててしまったので、当時叔父さんの斉藤玄蕃が守ってい
た。
加治田城の敵さんの作戦は腰を抜かすほどすごかった。城には篭らずあえて地の利
を生かし、全軍を山麓のさまざまな要害で長可を待ちうけたのだ。フオッフオッフオッ
長可の命もこれまでだ!孫子に”敵を知り己を知れば百戦危うからず”というが果たして
斉藤軍は長可が”回りくどいのは嫌い”という性格を知らなかったのだろうか?斉藤軍
が待ち焦がれていた長可は要害に寄らずに正面突破で城にあがっていってしまった
のだから、さあ大変!からっぽの城はあっさり落とされたのだった。敵が要害を通らず
城に行けたなら、それは要害ではない。でも、長可のその正面突破というのが地元ピー
プルでも考え付かないすごいコースだったらしい。ど、、、どういうコースでいったのだ、
兄者。怖いけど、次回はそこから登ってみたい。そしてまたしても加治田城攻めで長可
は大将のくせに一番前だし。信長の下で闘うときなら自分が一番槍を突きたいのは分
からないでもないが、自分んちの戦でくらい家臣に花をもたせてやって欲しいものである。
一番に大将が敵前の川に飛び込んでいくのもよして欲しい。でも、後ろで悠然と構えてな
んかいられず、すぐウズウズして前にでてしまう長可の若々しさが家老も家臣も好きだし
可愛くてたまらなかったのでしょうね。この加治田城は登るのに結構時間のかかる山城
でしたが、そこからの景観は最高!

夜、可児守さんと犬山で金山城の廃材でこしらえたという犬山城を眺め、夕食には味
噌田楽を堪能。お別れも近いというのに、それぞれが黙々と携帯にメールを打ち込ん
でいた。とても心温まる光景である。
最後に、犬山城、小牧城、岐阜城のライトアップが一望できる場所にて見納め。新幹
線にはぎりぎり間に合ったのでよかった・・・。車上で携帯でメールを打とうとしていたら
隣の席のおじさんが、私とまったく同じ色の同じ機種を出してきてメールを打ち始めた
ので2人で同じ事していてもコントっぽいだけなので、携帯をひっこめ、博多に着くまで
ノートに旅行の感想文をつづった・・・。


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