雨。ホテルのロビーに9時集合\(^o^)/って誰もいないジャン!一分遅れで
可児守さんが来てくれた。今日の史跡めぐりメンバーの他の3人は故郷へ帰っ
てしまったのだった。
(0□0;)え・・・・・?え?なんですと・・・・・?
こちらに向かう途中に可児守さんにモーリスさんから電話が入ったらしい。す
でに身は帰途につき東名高速道路に乗りながら、行きたいと車内でお暴れなさ
った模様。さようなら、モーリスさん。さて、今日のテーマは「長可君 東美濃制圧の足跡をたどる」。本能寺の変で
主君の信長が倒れると、それまで森長可に従っていた東美濃の諸将がいっせい
に長可に反旗を翻した!日ごろの態度が大切である、とつくづく知らしめてくれる
お話である。しかし、長可は本能寺の変と一揆、etc・・・あって、彼はただでさえ気
が立っている。結局長可の怒り心頭に達して反逆者はコテンパンな目に合わせら
れちゃったのだ。ああ、南無三!
可児・大森城主は長可の攻撃に耐え切れず、城に火を放って加賀(富山県)ま
で逃亡。遠くまでいったのね〜。城跡は大森神社の裏山にあって、本丸跡と空堀が
ものの見事に良好に残っていた。感激。
大森城跡遠景
土岐・妻木城跡は相当な山城。最終的に城主は長可に投降。霧むせぶ雄雄しき
山々の姿に感激しつつ道に迷い断念。でも、山麓の妻木氏の館跡と菩提寺に行
けた。時々、”城主はお城に住んでいる”と思っているおちゃめな方がいらっしゃ
るが、お城は一大事とか重要なことがあるときに使うので、お殿様は山麓にマイ
ホームをちゃんと別にもっていらっしゃるのさ。みんな山城に住んでいたら、上り
下りが面倒になってきて、日本全国ひきこもり武将が続々と出現して全然群雄割
拠ストーリーが始まらない。
長可vs.スッポン妖怪の舞台”武蔵ケ渕”
美濃源氏発祥の地にも寄り、お昼ごはんを済ませて武蔵ケ渕に行った。長可がス
ッポン妖怪を倒したという由来をもつ処だけど、妖怪と闘う長可といい、地蔵と張り
合う蘭丸といい、きわめて非現実的ブラザーズです。この分では宇宙人と交信でき
たのではなかろうか?ケンタウルス座α星のお友達、フォーリー君に敵将木曾義昌
をブラックホールに投げ込んでもらったり、信長さまが電卓機能付きの機械の身体
を手に入れられるようにスリーナインに乗せてあげたりなんてお手のものだろう。こ
のように戦国時代への懐旧の思いで史跡を巡るうちにたちどころに天気になった。
朝の雨はなんだったのだろうというさわやかな青空!
可児・久々利城城主・土岐三河守頼興は長可に投降したので、長可は喜んで彼を
金山城にご招待し、一気に血祭りにあげている。そしてお家断絶。久々利城跡は
土塁の城だけど、ほんとに遺構は荒らされずによく残ってくれている。とにかく、
どの城についても、連れてきてくださった可児守さんがやたらに詳しいので大変勉
強になる。10年前、「君はきっと晩婚だ。」と言った無礼はチャラにしてあげよう。昨日
「でも、当たったよね。」と言った不届きもチャラにしてあげよう。20代は晩婚とは言わな
いぞ、可児守さん。42歳で蘭丸を産んだ妙向尼さまのほうがミステリーじゃないか。途
中鶴丸さんのおうちに寄って御挨拶。鶴丸さんが祭りに呼んでくださったおかげでこん
なに楽しい日々が送れている。感謝はするけど私は断じて雨女ではない。
長可がお参りした小山観音から見た風景・・・これは飛騨川?
小山観音にお参り。川の真中の小島にお堂があって橋で渡してあるので驚き。
長可が数名の部下だけ引き連れ小山観音にお参りしようとしていると、加治田
城の兵が対岸から長可にバンバン矢を射掛けたらしい。長可はそれでも平然
と何事もないような顔でお参りしたので、敵のみならず味方までもが一斉にアッ
チョンブリケしたらしい。しかし、足を運んでみないと真実とはみえないもの。行
ってみて私も愕然。
「ね、対岸からじゃ、遠すぎて敵が矢を射掛けても長可に届かないでしょ。」
と可児守さんがおっしゃった。そうか、長可は矢が自分の身に届かないので平
然としていたのだ!彼の平然は計算し尽くされた平然であって、危機意識の欠
けた平然ではなかったのだ!これしきの事でアッチョンブリケする敵・味方が大
げさなのだ!
現堂洞城主
堂洞城跡を可児守さんについて山道を登っているときにでっかいキノコがあって
感激して眺めて研究していたら置いて行かれてあせった。ノーベルキノコ賞の機会を
また逃してしまった。ちぇ。本丸跡には南無阿弥陀仏の石が・・・。一体誰のせいで
この城跡に供養碑が建つことになったのだろう・・・・?信長ファンには戦慄の供養碑
だった。。。
加治田城跡から見上げた空。間違いなく晴れている。いい天気だ。
長可はかつて信長が落した堂洞城跡に登って向かいの山城の加治田城主と対決し
た。前加治田城主だった斉藤新五は長可とはよく行動を共にした仲であったが、本
能寺の変で信忠と二条城で果ててしまったので、当時叔父さんの斉藤玄蕃が守ってい
た。
加治田城の敵さんの作戦は腰を抜かすほどすごかった。城には篭らずあえて地の利
を生かし、全軍を山麓のさまざまな要害で長可を待ちうけたのだ。フオッフオッフオッ
長可の命もこれまでだ!孫子に”敵を知り己を知れば百戦危うからず”というが果たして
斉藤軍は長可が”回りくどいのは嫌い”という性格を知らなかったのだろうか?斉藤軍
が待ち焦がれていた長可は要害に寄らずに正面突破で城にあがっていってしまった
のだから、さあ大変!からっぽの城はあっさり落とされたのだった。敵が要害を通らず
城に行けたなら、それは要害ではない。でも、長可のその正面突破というのが地元ピー
プルでも考え付かないすごいコースだったらしい。ど、、、どういうコースでいったのだ、
兄者。怖いけど、次回はそこから登ってみたい。そしてまたしても加治田城攻めで長可
は大将のくせに一番前だし。信長の下で闘うときなら自分が一番槍を突きたいのは分
からないでもないが、自分んちの戦でくらい家臣に花をもたせてやって欲しいものである。
一番に大将が敵前の川に飛び込んでいくのもよして欲しい。でも、後ろで悠然と構えてな
んかいられず、すぐウズウズして前にでてしまう長可の若々しさが家老も家臣も好きだし
可愛くてたまらなかったのでしょうね。この加治田城は登るのに結構時間のかかる山城
でしたが、そこからの景観は最高!
夜、可児守さんと犬山で金山城の廃材でこしらえたという犬山城を眺め、夕食には味
噌田楽を堪能。お別れも近いというのに、それぞれが黙々と携帯にメールを打ち込ん
でいた。とても心温まる光景である。
最後に、犬山城、小牧城、岐阜城のライトアップが一望できる場所にて見納め。新幹
線にはぎりぎり間に合ったのでよかった・・・。車上で携帯でメールを打とうとしていたら
隣の席のおじさんが、私とまったく同じ色の同じ機種を出してきてメールを打ち始めた
ので2人で同じ事していてもコントっぽいだけなので、携帯をひっこめ、博多に着くまで
ノートに旅行の感想文をつづった・・・。
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