2003
ねん
迷Q
旅行記
しまった!武者行列の写真がないっ!

                

10月18日(土) 松茸プリンス蘭丸

夜行バスで博多から名古屋へ出て、関東の友達の八重さんと合流。いざ兼山町へ向かわんと
電車に乗り込んだら乗り間違えて、また名古屋へ戻るはめに。気を取りなおして再出発したら、
また電車を乗り間違えていた迷Qマジック。1時間半の道程を4時間かけてみたのだった。

新可児駅に迎えに来てくれていた兼山町のわが師匠に平謝り。
アフォまるだしの私達を笑って許してくれたのには切実に感謝。(TT)

昼ご飯を食べてから、八重さんも加わって先生に古文書と森家の歴史の手ほどきをうけた。
ともすれば、独断と偏見に陥りがちな私の考えを、冷静にものを見る目と判断力でただしてく
れる。
八重さんはハンドルネームなどというものをご存知ない師匠の前で、私のハンドルネームを
連呼していたので、熱心だが猿まね好きの女性と思われているだろう。
歓談中に、「明日は金山城に登ります。」と話をしていたら、森家居城のあるその古城山は、い
にしえの昔から良質の松茸が取れ、今や別名”マツタケ山”と言われていることが解った。
Σ(゚□゚; Σ(゚□゚; ワタシタチノセンゴクロマンガ!!
そうか、森兄弟はマツタケ食べ放題だったのか・・・。たまには髪飾りにもしただろう。
あんな高級品の胞子を毎日肺いっぱい吸っていたら、そりゃあ匂いたつような美少年にもなる
ね。

その後、先生の車で”中野千本卒都婆”と呼ばれていた処に連れて行ってもらった。母・妙向尼
は、蘭丸たちに先立たれ、悲嘆の余りに、中野という地に千本の卒塔婆をたてさせたのだった。
産みの親にしか聞こえないわが子の苦悶の叫びと悲しみが、こんな行動に駆り立てたのだろう。
異常なるが故に、見るものは悲しい。
今は家と畠が広がり、子を失った親の、ちぎれるような悲しみの証明は形としては残っていない。
ただ、クリと枝豆が美味しそうなばかりである---------------- 。

上流の兼山ダムへ行った。今は金山城下の木曽川も水が深くて流れの緩やかな所と化している
が、木曽川にダムができるまでは激しい流れがあったらしい。蘭丸はこの川を泳いで遊んでい
たというけど、激流の中で遊んでいたのかあの人は。よい子は決してマネしないでください。一
歩間違うと押し流されて、日本ライン経由で伊勢湾デビューである。

金山城下に戻り、森家が飲用していた小関の清水の沸く個人の敷地に入れさせていただいた。忠
政もこの水を北野の茶会に持っていって秀吉に賞賛されている。早速、八重さんと飲んだ。飲んだ
ら、先生に肩を叩かれ、「そういう事するのがおるから衛生上の理由もあるもんで、観光客を入れて
あげれなんだな。」  
一度は黙ってのみたい小関の清水


森家菩提寺の可成寺にも1年ぶりにお参りし、再びこの地を踏めたことへの感謝のご挨拶。

以前判らない事をご教示いただいてお世話になった森立寺へお参りした。蘭丸の兄・長可の乳
母の”お立の方”が建立した寺院。ご住職はお忙しい折節にもかかわらず、わざわざお会いくだ
さった。

宿泊ホテルへ送ってもらう途中に「美少年蘭丸」という美酒を売るI酒造さんに寄ってお酒を購入。
「鶴丸のついたお酒を入れる箱が欲しい。」とねだって、二人で素敵な紋入り箱を出してもらった。
夜はそのお酒に酔って舌もなめらかになり、八重さんと部屋で心ゆくまで語り合った。
実は八重さんと会うのは2回目なのに、感性の同じ人どうしは物質的な距離も時間も平気で矩り
こえてしまえるものなのかしら。
で、話題は森家オンリーで、8時間も情熱的に話しつづけた。

10月19日(日) 早朝武者行列のまぼろし  

朝10時過ぎ、兼山町へ再び。今日は蘭丸武者行列のイベントがある。
「もう、この時間はみんな(食事処)蘭丸亭に集結している。」
いきなり八重さんが自信と確信に満ちた言葉で言うので、去年の参加者だった彼女が言うのだ
からとずっと歩いて行ったら、しっかり誰もいなかった罠。
実行委員の鶴丸さんに電話すると、まだ別会場でみなさん衣装すらつけ終わっていない罠。

お祭りの開始まで時間があったので、八重さんと森家氏神の貴船神社にお参りし、蘭丸の父の
名にちなんだ可成餅を売るお店に寄って奥さんと話がはずんだ、隣の可成寺へ再拝観。
お参りの後、境内で、ミツバチの集団とスズメバチの対決を眺めながら、香りの良い可成餅を食
べた。

蘭丸の母親の眠る常照寺へも参拝。墓参りの後で、すごい発見。常照寺の屋根に『常照寺』の
文字がっ!だから何だと言われたらそれまでだけど・・・・。

今度こそ、ころあいもちょうど良くなり、スタート地点の蘭丸亭へ。本物の木曽馬がいたので、馬
を引いていたおじちゃんにまとわりついて色々と馬のことを教えてもらった。その後で、「乗りたい、
ああ、乗りたい。」とボソボソ言い続けたら、なぜか急におじちゃんが、「乗ってみる?」と言い出し
た。木曽馬に乗ったのは初めて。これが昔のお侍サンの目線かと馬上でしばし童心にかえる。
かわいい木曽馬出陣前。


武者行列と寸劇を堪能した。毎年ながら、配役の素晴らしさに感心する。今年も蘭丸どのは女性
で、とっても健康美あふれる方だった。劇のほうは、長可公の最期を取り扱った活劇だった。しか
も、去年蘭丸役を射止めた女性も出ていた。何度も切られて死ぬフリ楽しげだわ。他にも、サイトを
通じて知り合えた人達に初の顔見せ、再会ができてそのことも楽しいひとときだった。

武者行列の後は先生においとまごいをして、マツタケ山へのぼろう、という事になった。
そして八重さんと師匠の家に向う途中、I酒造さんの出店で手招きされ、結局昼から地元の人達と
酒盛りになった。ヘロヘロリンの状態で意味不明に笑いながら先生のおうちへ。ご挨拶だけのつも
りがまたあがりこんで奥様の手料理をご馳走になり、しかも山に登る私達に”C1000タケダビタミン
レモン”を持たせてくれた。しかも、先生が一緒についてきてくださった。去年暗がりを恐怖におの
のきながら登った中腹の可成寺跡。現在の城下に移転するまでは、この菩提寺は城の中腹にあ
った。やはり去年のごとくに建物のないこのエリアはジャングルと化している。
                     

おお、あんな奥に何やら立て札が!

ジャングルの先の崖っぷちには信長休み石なるものがある。武田征伐の折にここへ寄って行っ
たという。せっかくだから勇気一つを友にして一人で行ってみた。こんな崖っぷちのはしっこの岩
で腰を下ろすなんて、信長公はよほどこの金山城でいじける事があったに違いない。森家のディ
ナーでだされたお吸い物のマツタケの切り方がかなり薄かったのが、このお方の純粋な気持ち
を傷つけてしまったのかも知れない。

向こうは崖、命がけの休憩

山の中腹で師匠と別れ、二人で金山城へ登った。帰りは、その時代より存在していた搦手道
通って帰ったけど、その険しさに下りの足が勝手に小走りになり、またしても笑いがとまらなかっ
た。初めて通るこの道、いったいどこへ出るのだろう?!と思っていたら、やはり見たことも無い
ふもとに出てきた。現在地がよくわからん。と思っていたら、近くにあった見知らぬ倉庫から声が
聞こえてきて、I酒造さんが出てきた。
Σ(゚□゚; Σ(゚□゚; ヨクアイマスネェ!
八重さんが「昨日買ったお酒、2本もあけちゃいました。」みたいなことをI酒造さんに話していたら
「化粧箱いらなかったじゃないか。」とヤブヘビなツッコミをされていた。
それからI酒造さんのところへ行って、お酒造りに使用している水をペットボトルに分けてもらった。
「この水で池に金魚も飼っとるんだ。」と解説しつつ、I酒造さんはその美しく澄みきった池の中に、
人間の食べるせんべいを投げ込んでいた。金魚に与えたつもりなら、せんべい4等分はでかすぎ
る。なるほど、金魚がむずかっていた。

いよいよ帰る直前、兼山町歴史民俗資料館の方が、「いいところへ連れていきましょう。」と車で明
智光秀クルクルピーの居城傍まで連れて行ってくださり、そこから、3人で夕暮れ美しい兼山の山々
を眺めた。
「ほら、ここから眺めると兼山の山々が菩薩様が寝ていらっしゃるお姿のように見えるでしょう?」
夕暮れの重々しいシルエットの山の流れに、間違えなく菩薩様のお姿がそこにあった。
自分の故郷でもないのに、どうしてこんなに兼山の地がいとおしく懐かしいのか―――――――。
あの菩薩様のシルエットの中に、かつて本当に蘭丸が存在したのだ。長可が生きていたのだ。
あの山で笑い、泣いて生きていたのだ。誰かを愛し、憎み、人生の複雑さに堪えながら生きていた
のだ。そしてマツタケの数を数えていたのだ。

そして、彼らの人生に魂を揺さぶられるような感動を覚える後世の私がここにいる。
ましてや、蘭丸に出会わなければ決してめぐり合うことのなかった人達と、感動を分かちあってい
るご縁の不思議。
帰りの電車の中でも、八重さんと時間を惜しむように話しをした。今度こそは列車も間違えずに乗れ
た。