旅行記2002年                                       旅行記INDEX

11月9日 吉野で山篭り

私が吉野へ登った理由。(3択問題)

@修行したくなった。 
A体長30mの森蘭丸の足跡の化石が発見された。
B季節を間違えて花見に行った。

唐突だけど、私の祖母はとある寺院の大僧都なのだった・・・。10日に吉野で護摩焚きがあり、
全国から行者がやってくるという。弟子をつれて吉野へ行くから、あなたも来なさい。なんなら
出家。という話になった。え?出家するのか?私はっ!

出発の朝5:30祖母からの電話で目がさめた。弟子に遅れて集合場所へ行くことはならん!
とキツク言われ8:51の新幹線に乗るのに、私は7:30に待ち合わせ場所に行った・・・。
さっすがうききさ〜ん一番乗りぃ♪
待って待って待ちまくって、ついに新幹線の中では爆睡していた。寝ている間にお弟子さんが
私にお菓子をガンガンうずたかく積んでゆく・・・・。

吉野入りする前に、伏見稲荷神社でお参りする決まりらしくて、伏見稲荷へ参詣してから吉野
入りを果たした。しかも、おいらは2日間おいらは相部屋で宿坊なのだ!吉野東南院にお世
話になった。

吉野は桜で有名なところ、春くるべきと思っていたけど、なんと、桜が鮮やかなオレンジに紅
葉しているのだ。寒すぎてこうなるらしいけど、生まれて初めて見る光景に別世界にいる心地し
て・・・うっとり・・・もしたが寒い!!!散々に脅されていたので着込んでいったものの、シャレ
にならない寒さ。あー修行修行!それにしてもさすが吉野は信仰のメッカだ、携帯電話もしっ
かり圏外で、霊験あらたか♪私は俗世から切り離されてしまった。
いろいろ面白いネタがあがったが、仏罰が怖いので書かない。ただ、蘭丸の話をしていたら、
谷隼人の話にすり替えられた。

11月10日 吉野で修行
吉野吉水神社にて。吉野吉水神社内

吉野金峯山蔵王堂で朝のお勤めがあるので、朝5:00起床といわれたけど、恐ろしくも部屋の
人達は4:00すぎにはもう起床し始めたので私も起きた。まだ外は暗い・・・・・。凍りそう。祖母
と一緒に日の昇らない山を歩いて国宝・蔵王堂へ向った。境内の明かりはろうそくの灯火に
限る。皆で読経が始まる。私は覚えなさいと前もって経本を渡されていたが、開いたこともな
かったのだ、えっへん。朝まだ明けぬ闇の中、ろうそくで灯しだされた仏像のラインが美しい。

一時間ばかり朝のお勤めをして、皆で脳天大神を拝みに行った。頭から上のことを司る神様
をお祭りしている。行きも帰りも千段以上の階段を上り下り。お寺でご朱印もらったら、卵をく
れた。この卵はいったいなんなのだ・・・・。卵をにぎったまま、途方にくれた。

皆、足が悪いので帰りはタクシーに乗るという。私は足で帰ります。と乗らなかった。足で帰る
からにはきっと皆より帰りは遅くなるでしょう。だから、当然一つや二つ観光してもばれないだ
ろう・・・。

猛ダッシュで階段をかけあがり、後醍醐帝ゆかりの南朝皇居跡など見物しつつ、吉水神社
行った。ここは、源義経が静永遠の別れを交わした場所であり、後醍醐天皇が潜居なさった
場所であり、秀吉が、まー、とっしーを連れて花見としゃれ込んだ場所。ゆかりの部屋、ゆか
りの品々が目白押しで感激♪隣にいた若者たちが「弁慶って平清盛のことだよね。」と言って
いたのが実に印象的だった。屋外にも、義経が馬で穴を開けた岩壁や、弁慶が釘を打ちこん
だ石などもあった。潜伏生活がよっぽどの欲求不満を引き起こしたことが伺える。

お昼ご飯をすませ、再び蔵王堂へ参上。昼でも寒い。ポケットに手を入れたら卵がでてきた。
な、なんじゃこりゃあぁぁぁ!!!
お弟子さんが「それはお供えものよ。脳天さんはミーさま(ヘビ)だから、卵をお供えするのよ。」
と教えてくれた。そうだったのか。。。邪魔なので食った。
蔵王堂ですさまじき護摩焚きがはじまった・・・。

夕食前に草ダンゴを買ってきて、部屋のみんなに振舞ったら、みんな夕食を食べたがらなか
った。一体どうしたのだろう。
11月12日 吉野脱走。近江で山登り。

またもや皆の衆4:00すぎから起床。私は今日は逃走する。私は俗世がよく似合うことに気
づいた。普通の娘さんらしく、戦国時代のロマンを求めて史跡めぐりするほうが性に合ってい
る。一気に奈良を抜け、京都を抜け、滋賀に行き、西大津駅で降りた。山城・宇佐山城跡へ
上るつもりだ。

宇佐山城は信長が京都への今道越えを確保するために森蘭丸の父・可成に築かせた城。
父は5百の軍勢でここから坂本へくだり、浅井朝倉軍2万8千を迎え撃ってすさまじい討ち死
にを果たす。篭城なんて我が辞書に載ってないのだ。
前もってどなたかのHPで道案内を見ていた。それによると、宇佐山城は国宝三井寺わきに
ある。よって、三井寺に向う。そんな時に知人が電話をくれた。なんと、宇佐山城は全然違う
場所にあった!行くところだったじゃないかっ!しかも、宇佐山城は極めて入り口がわかり
にくいから前もって調べておいたほうがよいとの情報も得た。

宇佐山城のふもとに、中大兄皇子ゆかりの近江神宮がある。そこの巫女さんが親切にしてく
ださった。
「宇佐山城跡は大きな道しるべがあるので見逃すことはないですよ。」とのこと。
たぶん、判りにくさが大評判になって、道しるべができたのだろう。近江神宮わきから山を目
指すと、中腹に宇佐八幡宮があった。人もいなけりゃ、”サル防止””むし神社””鳩をお供えす
る”とある。一体どういう神社だ。

神宮の脇にでると、これでもか〜っ!といわんばかりに大きな
「宇佐山城跡入り口」
と書いた看板がある。私の背よりも大きい。ぜひ、あしたのジョーのテーマソングで登場させ
たいような看板だ。ああ、すごいすごい。よかった。これで道に迷わずにすむ。
「はじめのい〜っぽ♪」
一歩目ですでに道が無かった。馬鹿じゃないのか、あの看板。
ここからどう進んだものか・・・・。(−−;)

判っているのは城跡は山頂にあるということだ。道はなくとも、山を登りきれば間違い無く城
跡へはたどりつける。人生は一期一会。ふぉれすとがんぷだ。もう、いつ再びここへ立てるか
もわからない。登るのは、今しかない。木々を伝いながら、道なき道をはい登る。
ワタシ・シジョー・サイコー・コースだった。
蜘蛛の巣を全身にひっかけながら、上り詰めた山頂・本丸跡にあったのは、不動のテレビ塔。
これでは蘭丸大激怒である。しかも、宇佐山城跡の説明をする看板も何も無い。
本当に馬鹿じゃないのか?

仕方が無いので、私がテレビ塔の柱にペンで宇佐山城跡の説明を書きこんだ。そして、末尾
に「滋賀県教育委員会」と書いてあげた。武士の情けじゃ。おりゃ。しかし、このまま成果無く
帰れない。こうなっては徹底的に遺構探しである。二の丸?三の丸?石垣、犬走り。見つけ
出したが、何しろ石垣の保存状態がめちゃくちゃ悪い。土砂崩れも起こし、後は朽ち果てるの
を待つのみである。今来ていてよかった。ふう。とため息ついたとたん、ズザザザザザザ・・・・。
アーレー。うきき、枯れ葉と一緒にナダレ落ち。
この後の悲惨な状況はもはや話したくはない。

結局山で3時間も野ザルになって、ほうほうのていで近江神宮のうどんやに入ってご飯を食べ
た。気をとりなおしてバスで移動して義仲寺へ。『平家物語』に登場する木曽義仲のお墓と、
義仲の大ファン松尾芭蕉のお墓がある。ちなみに、この義仲の子孫の木曽義昌は戦国の世
にあって、森家とも地理的に近い。
蘭丸の兄・長可は彼の居城・木曽福島城の城門を打ち壊して「泊めてくれる?」とあがりこん
で、義昌が泣き出すまでさんざんな目に遭わせている。

バスを降りて義仲寺へたどり着く。
『月曜休館』
はい?寺が休館するのか?アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!こりゃあ傑作!
何がなんでも入ってやるーッ!!!!!ガルルルルーッ!!!近くに住職の住まいがない
か探しまわったけど、なかった・・・。泣く泣くあきらめて再び車上の人となり、紫式部が『源氏
物語』を書いた場所といわれる石山寺へ詣でた。『平家物語』がだめなら『源氏物語』で勝負だ。
色づく紅葉の美しさに、ようやく心の平安を取り戻す。

それから歩いて瀬田唐橋へ。「唐橋を制するものは近畿を制す」と呼ばれてきた橋。
大海人皇子、木曽義仲、織田信長、いろいろな人がこの橋を制してきた。本能寺の変のとき、
瀬田城主が、明智光秀の安土入りを阻止するためにこの橋を焼いている。そんな歴史のある
橋だ。

 こんな歴史もある瀬田唐橋だ。おお、ムカデこわ。

JR石山駅の側に、木曽義仲の家来、今井兼平の墓があったが、上司も上司なら、たぶん部
下も部下なので墓にシャッターがかかって『本日休業』と書かれていても嫌なのでいかなかった。

JRに乗って、守山駅へいく。森家ゆかりの寺院へ行くのだ。道がわからずに、寺院に電話を入
れた。
「え?うちには森家の墓なんてないですよ。」
Σ(゚□゚;
そんなはずはない。江戸時代に森家が
「よくわからないけど、一番でかいし、先祖の墓はこれにしとこ。」
と決めた由緒ただしき墓があるはずだ。『森家先代実録』にそう書いてある。
食い下がったが無いと言われて、泣く泣く京都駅に行った。

以前、蘭丸の故郷兼山町でご縁のあったQPさんと待ち合わせてお食事をして、一緒に北政
所ゆかりの高台寺の夜間拝観に詣でた。池に映り込んだ秋の景色が、まるで闇に置いた銀
の鏡のようで、二人、ため息。道に迷ったのは内緒だよ、QPさん。
11月12日 安土賛歌

 安土城天主跡ご覧のように今は座布団だけが並ぶ。

渡れ〜渡れ〜どど橋渡れ〜♪きょーうもお勤め楽しいな〜♪チャリン♪チャリン♪
(作詞・作曲:うきき)

チャリをこいで安土城跡の麓までいって、元気よく城跡を登った。平日で安土城を独り占め
である。この際ゆ〜っくり見てまわった。殿、こんにちは。蘭ちゃんこんにちわ。サル、こんに
ちわわ。伝森蘭丸邸跡もよくよく眺めた。中に入った・・ような気もするが、「立入禁止」と書い
てあるので、よい子の私がそんなことするまい。きっと白昼夢。

天主跡へ登り、頂上を極める。この城は軍事的要塞というより、魅せる城だ。たとえばこの
山全体が、ひとつの荘厳な芸術品だとしたら、人は攻める気もなくしてしまうだろう。
Σ(゚□゚; 安土城燃やしたのは誰だバカヤロー。

天主の石垣の跡に登って、下界の景色を眺める。今は田園風景だが、昔はもっと側まで湖
水が迫っていた。きらめく湖に浮かぶ安土城。いかに人々の心を捉えたことだろう。
カリカリカリカリ 椎の実をかじりながら昔を追憶した。

文芸の郷安土城考古博物館を見学。それからセミナリヨ跡へ行き、駅の反対側にある城郭
資料館
浄厳院へ詣でた。天正7年(1579年)の安土宗論の舞台となった場所である。上様
の御前で、浄土宗と日蓮宗の宗論。
この時、森蘭丸は日蓮宗方お目付役になっている。
結局、この勝負、浄土宗に軍配が上がり、蘭丸の立会いのもと、敗北した日蓮宗の僧は衣服
を剥ぎ取られ反省文を書かされている。
なーんか、仕組まれた臭いのするイベントではあるが・・・。

浄厳院本堂

車窓から安土の夕焼けを眺めながら、京都駅へ戻る。列車のなかで余りにも眠たくなったので
京都駅につくなり帰りの新幹線に乗った。