森可隆逸話可隆あにの選択 07/06/29更新 ほーむ

 


■ 初陣に命散る

家来の武藤五郎右衛門が主君・森可成に語っていた。

「今朝、久蔵殿(坂井右近政尚のせがれ)が手筒山の朝廻りに敵を討ち取ったとの事です。」

可成は怒った。「士たるものが16、7にもなって功名を立てたのが何で珍しいのだ。仰々しい事をいうものだ。」

それを武藤が、「自分の子が年若いのに朝寝坊した事を責めずに、久蔵殿の功名を妬んで人を叱りやがる、十九(負傷して指が1本足りなか

った可成のあだ名らしい)めが!」と言い捨てて帰っていった。

可隆はこのとき十九歳だったので、ご自分の事を言われているかと思い、この武藤の雑言を聞き捨てならぬと手打ちにしようとした。乳母子の

勝三郎が袂に取りすがって差し止めた。「武藤は常々大口を叩く奴です。明日合戦が始まるので、その時に武藤の鼻をあかすような功名をおた

て下さい。」といさめてその場は治まった。しかし、悔しくてたまらない可隆は、翌朝一番乗りして比類なき働きをして勝三郎と共に戦の園に散っ

た。可隆19歳。どこに葬られたかは不明。

コメント:いけないのです。もともと、可成は坂井政尚がすごく嫌いなのです。それにはあの信長が手を焼くほど。それを知らない武藤ではあるまいに、よりによって嫌いな男のせがれの武功話をしてしまうとは・・・。可隆の「ご自分の事を言われているかと思い・・・」て、ご自分の事を言われているでは
ないか。と思う今日この頃。


つづく・・・

ほーむ