若狭でいい旅森気分 

浅井三姉妹すごろくin御食国若狭おばま食文化館

           
 2011年8月20日(土) in 小浜 
■いいえ、興味があるのはその奥さんです。

本日の旅程
夜行バスで京都→JR京都駅(湖西線)→比叡山坂本駅→衆生来迎寺(森可成公墓所)→JR比叡山坂本駅→JR近江今津駅(JRバスに乗り換え)→JR小浜駅→若狭おばま観光案内所→仏国寺→後瀬山城跡→守護居館跡→小浜城跡→御食国若狭おばま食文化館→JR小浜駅(JRバス)→JR近江今津駅→JR京都駅→地下鉄・京都市役所→本能寺→京都タワー(お風呂)→夜行バスで福岡へ
 
 
本日の目標
その1 滋賀県大津市・来迎寺にお参りして森可成のお墓参りをする。
その2 ケータイGPSゲーム「発見!ニッポン城めぐり」で宇佐山城を攻略する。
その3 ケータイGPSゲーム「発見!ニッポン城めぐり」で森可成を発見する。
その4 福井県小浜市に行って梅(蘭丸の姉)が過ごした小浜の地を踏んでみる。


 と、いうことで夜行バスで土曜日の朝、JR京都駅に到着して旅を始める。
JR湖西線に乗りこみ(九州SUGOCAカード使えた!)、大津京駅付近で車内でiPhoneで城攻めをして、目標の一つ、ケータイGPSゲーム「発見!ニッポン城めぐり」宇佐山城を攻略した
そして続けてもう一つの目標も達成。同じタイミングでケータイGPSゲーム「発見!ニッポン城めぐり」で森可成も発見できた。(^O^)/


宇佐山城を後略! 森可成を発見!


 JR比叡山坂本駅で下車してまずは森可成(蘭丸父)のお墓参りに向かう。
図らずも今日は可成の月命日だ。
ちょうど来月の9月20日が森可成公の戦死した日である。

 森可成が戦死した場所とされる比叡辻付近は来るたびに様変わりしており、なんか新たに「豚丼信玄」という肉屋さんができていた。あああ…よりよっての戦国ジャンル!豚丼!!
比叡辻
森可成の亡くなった戦地付近。
左側は可成の墓のある来迎寺。

 森可成が葬られた来迎寺の山門は明智光秀の城だった坂本城の城門を使っている。因縁じゃ~!因縁じゃ~!!!
 この山門は前回のお参りの時に引き続き、今も修復工事中で、柱の材木が吊るされてブラーンとなっていた。
 久々の森可成公のお墓参りなので感激のままに手を合わせる。
今日は夜行バスが予定よりも1時間早く京都に到着してくれたおかげで時間にゆとりがあるので、しばらく父の墓に踏みとどまっていた。墓にある一対の燈籠の文字は風化して読みづらいが、根気強く注意深く読んでみると「作州太守源朝●長継●●(読み間違えてるかも)」と書いてあるんだな。津山2代目の森長継のことだ。
 今ある森可成の立派なお墓もその時に建て直されたのだろうか。墓石に刻まれた文字も頑張って読もうとしたけど判らなかった。きっとどこかに記録があるだろうから調べてみなくては。
来迎寺(大津市比叡辻2-4-17)
天台宗寺院。森可成の墓があったので織田信長の
焼き打ちを逃れたという。
森可成公墓 森可成公墓(側面)

 父の墓の傍でケータイGPSゲーム「発見!ニッポンの城めぐり」の「城攻めボタン」を押してみるとどうなるのかやってみる。ピコ。
すると「明智光秀」を発見する(ゲームの話ね)!!!Σ(゜□゜;
光秀はこの前は美濃にいたくせに(ゲームの話ね)なんで…。
必要ない私に何度も付きまとう黒い影!
!!!
 
 再び車上の人となり、JR近江今津駅まで出る。
そこから一時間近くJRバスに揺られて福井県小浜市に向かう。
前の席に座っていたおばあちゃんが、バスに乗っている間ずっと手すりを握ってお尻を浮かせていた…。よくわからん恐怖心に駆られた私もずっと身構えたまま…。
 バスは思いもよらぬ山道や田舎を抜けて行ったが、そのせいもあるのか九州と比べてバスの運転が荒くて荒くて、何度バウンズしたことか。バスのスピードに合わせてバス停案内のアナウンスまでもが次から次へと流れ続けてついていけなくなる。途中下車する人はアナウンスを執念深く聴き入って「今ダッ!」と、秒単位でピンポンを狙わなくてはならない。もう、誰も途中で降りないこと前提で終点の小浜駅だけ目指してバス運行しているかのようだ。

 ようやくたどり着いたJR小浜駅には若狭おばま観光案内所があり、今から登ろうと計画している後瀬山城の資料をもらいに行ったら、レンタサイクルをやっているのを発見。自転車を借りて市内の史跡めぐりを開始した。
このチャリのサドルが硬いせいで、2日のちまでオケツ痛を味わうことになるとも知らずに元気よくダッシュ!
JR小浜駅
 森蘭丸の姉・梅の旦那となる木下勝俊が小浜に入ったのは、文禄2(1593)年のことだった。で、小浜の後瀬山城を居城とした。かくして今日はこの山城にも登る心づもりだ。

 後瀬山城に登る前に仏国寺というお寺に寄ってみた。
このお寺に若狭守護・武田元信の墓と、木下勝俊の墓があると観光ガイドパンフにあったのでお参りに行ったのだ。勝俊の墓は京都の高台寺にあるのだけど、なぜかここ小浜にもあるらしい。
 
木下勝俊像
説明看板の写真の画素数が低くて荒い
ので顔がわからない…汗。

 仏国寺にお参りすると、わかりやすく木下勝俊の墓が建っていた。真新しい石なんだが…。
実は、この小浜の仏国寺にある木下勝俊の墓は昭和に造られたものであった。
ちょうど住職さんがおいでになったのでたずねると、やはり木下勝俊の墓は新しいものを建てたとのこと。
 木下勝俊は木下家定の息子ということになっているが、小浜では”勝俊は若狭守護の血筋で武田元明の子”というのが常識になっているようで、ご住職にもそのように説明を受けたし、目につくパンフや説明看板にはみな「武田元明の子で木下家定の養子となった。」と説明されている。驚くことに『森家先代実録』でもその設定になっているんだな。

 梅がいつ木下勝俊に嫁いできたのかは特定できないが、ここ小浜が2人が夫婦として短い年月を過ごした場所だった。
 この婚姻により森家も当時の権力者である豊臣秀吉と親戚関係となった。
しかし秀吉の死後、関ケ原の合戦の折に、木下勝俊は預かっていた伏見城から逃げ出してしまったので、それがきっかけで梅は夫を見限って髪を切り、実家に帰ってしまう。
その時に梅の詠んだ歌が
 
 命やはうきなにかへて何やらん まみえぬために送るきりかみ

 梅が夫の醜態にブチ切れたのも、この小浜のいずれかの場所なのであろうか___。
 また一説では、梅が実家に帰ったのは、弟・森忠政が徳川家についたことから実家を思っての豊臣家との縁切りパフォーマンスではないかともいう。
 かくして勝俊は徳川家康に小浜を所領没収されて足守をもらうも、さらにその所領も没収され、最終的には京都にて花鳥風月を愛でる隠遁生活で余生を送った。

仏国寺
曹洞宗の寺院。
木下勝俊(左)と武田元信(右)の墓
仏国寺の勝俊の墓は昭和5年に建立されたもの
(墓石に建てられた年が刻まれていた。)

 ご住職に「木下勝俊をお調べなのですか?お好きなのですか?」と尋ねられるが否定。
私はその妻のうめ(森家!)を追って小浜に来たのである。あくまでも森家である。その旨をご説明した。
これから後瀬山城に登るというお話もすると、「後瀬山はあの山ですよ。」と指さしてくださった。
あれ?思っていたよりも山が高いんですけど…。

後瀬山城跡遠景
山頂が後瀬山城主郭。

「私は今からあそこまで登るのでしょうか…?」とご住職にお尋ねしてみた。
「あそこに登りに小浜においでならば、登られるのでしょうね。」
「そうなのですね…。」
そんな問答をしてお寺を去り、後瀬山城の登山口までチャリをこいだ。
 
愛宕神社にして後瀬山城登山口
元和元(1615)年には山頂の主郭に愛宕神社が
勧進された。

 なんだか雲行きが怪しいが、チャリを麓の社務所みたいな所に停めてリュックだけしょって山を登り始めた。登山道は整備こそされているが、急斜面で足元は滑りやすそうなスベスベ岩肌なので要所要所で注意深くなる。
 途中まで登ると登山道沿いに曲輪の段々が出現。そのままひと踏ん張りして登りつめれば、主郭を支えていた石垣が見えてきた。(^O^)
 結局、誰にも会うことなく山頂まで登りつめた。
誰もいない主郭跡でほっと一息つけば、一気に蚊がたかってくる。

後瀬山城曲輪群
ここから山頂にかけて曲輪が段々畑のように
展開していた。
後瀬山城石垣
主郭の虎口付近の石垣。

後瀬山城主郭
右側に見えるのは石垣
奥の建物は
愛宕神社拝殿。
後瀬山城主郭の石垣
「武田氏城址」石碑と石垣

石垣などは織豊系武将の手によるものと考えられ
る(byパンフ)。
後瀬山城主郭の石垣
「武田氏城址」石碑と石垣


後瀬山城縄張図
若狭守護・武田氏の築いた城が戦国時代に改修
されて、丹羽長秀や浅野長政、木下勝俊が入城し
たもよう。

 主郭からちょっと歩いて土橋を渡り、藪に突っこめば山上御殿に到る。パンフの解説によればこの場所には築山もあり、また茶器などが発掘されたらしく城内における文化的側面があったようだ。
 木下勝俊がレクリエーションに使っただろうこの場所。茶会や歌会なんかをやっていただろうか。せっかくここまで来たので木々をかき分けて土塁から築山まで歩いてみたら、注意を怠った瞬間に蜘蛛の巣に頭を突っこむ。蜘蛛つきの蜘蛛の巣だった…。
 梅さまもこの御殿に来たことあるだろうか。
ここから見える月を愛で、兼山にはない海の色にため息をついただろうか。
と、感傷に浸っている間に雨が降り出した。まだ城域は先に続いて広いものの、めぐっていたら山の反対側に出るので断念。
後瀬山城山上御殿
主郭についで大きく、土塁や築山があった。
後瀬山城山上御殿
築山遺構付近に散乱していた石。

発掘調査で石垣の中の栗石が出てきちゃった
とかでしょうか???
後瀬山城山上御殿
わかりづらいけど、土塁と連動する築山遺構



 主郭に居た時に降り始めた雨は霧雨だったのでまだ余裕をかましていたものの、下山する時にはスベスベの岩肌が水に濡れて滑る滑る…足が滑った瞬間にとっさに手すりをつかもうとしたら、ジャストその位置にカエルがいたのでそのまま転ぶしかない悲劇。
後瀬山城のケロリンガー

 山を下りてからも雨の中でもへこたれずに、チャリンコで守護居館跡(武田氏遺構)に向かったが、その広々とした平面は鉄柵に囲まれて中には入れなかった。
 この周辺は戦国末期においては木下勝俊の側近が住んでいただろうエリアだとか。木下勝俊と梅さまは日常生活をこの小浜のどこで過ごしていたのだろう。そっちが知りたいのだが。
若狭守護居館跡
1辺役100mで周囲に堀をめぐらせた方形居館だ
ったらしい。
若狭守護居館跡
柵から手を突っこんで撮影。
京極高次とお初もここで生活していたことがある。

 余った時間で江戸期の小浜城跡に向かった(こちらは木下勝俊と関係ない)。
城址は今は小浜神社となっているが、残る石垣はまだまだ当時の面影を見せてくれていた。

 そうしているうちに中途半端な時間になり、ダッシュで駅に戻って1時間に1本のバスに乗るか、どこか予定外の場所を散策して1時間後のバスに乗るか悩んだ。
悩んで海を見た。雨のせいで濁ってる…。
 梅の目にした小浜の海。兼山では海などない生活だったが、ここ小浜には迫ってくるような場所に海の水面がきらめいている。梅さまも海魚に夢中になっただろうな。
小浜神社
ここが当時の小浜城跡(木下勝俊とは関係ない)
小浜神社にあった看板
小浜城の案内図。
京極高次
優しそう!すごく優しそう!!!

絶対に子供好きそう!!
小浜城石垣
左奥の石垣が天守台。
小浜城石垣
海側から見る。当時の壮観さが伺える。
小浜城跡から眺める海
テトラポットばっかりであった。

 残るあと1時間は「御食国若狭おばま食文化館」を見学することにした。
地図を見て目に着くところがここだっただけなのだけど。(^_^;)
 それでまた雨の中チャリンコダッシュになった訳だが、今更ながらサドルがお尻に食いこみすぎで痛いことに気づいた。サドルが硬すぎなんだ。
 それはともかく濡れながら御食国若狭おばま食文化館に行けば、不思議なことにこの施設にはお風呂がついている。
入りたい。ものすごく入りたい。海を見ながら入浴したい。
 京都で銭湯に入る予定をくりあげてここで入ろうかという考えも浮かんだが、呪いのサドル付きレンタサイクルの返却が遅れて追加料金を支払うのもなんだか嫌だ。
 しかし、そういう場合でもなかったのだ。時計をよく逆算すれ見ればその文化館ですら見る時間がほとんどなく、次のバス時刻にまでかなりヤバいことに気づく。
文化館は流し見してまわり、お土産に若狭塗りのお箸を買った後はわき目もふらずに雨のチャリンコダッシュ(ターボ)!雨粒を弾き飛ばせ!(なんでいつもギリギリになるオチなんだろう)
 バス発車時刻の5分前に小浜駅の観光案内所に帰りつき、慌てて自転車を返して近江今津駅行きのバスに乗りこむ。ぐったりして小浜の地をあとにする。
ありがとう、小浜シティ。
■ 本能寺を攻略するエンディング
 
 京都に帰りついたら、まず本能寺に行ってケータイGPSゲーム「発見!ニッポン城めぐり」「城攻めボタン」を押した。でも、本能寺が攻略できない。
 Σ(゜□゜;はぅううう!!!
地図を見ればまさかのリアル本能寺址に行かねばならなかったのか!!!Σ(゜□゜;
予定時刻をくだっていたけど、そのまま徒歩でリアル本能寺に向かって「本能寺」をゲト。安心して京都駅に戻った。
本能寺
「ホテル本能寺の変」のポスターがすごく気になっ
た。あれは何だったのか…

 京都タワーの地下にある銭湯で汗を流してスッキリ!(^O^)
で、夜行バスの時間までに夕食にパパッとそばでも食べるか!と、目にした食堂に入る。

教訓:「外から中の見えない店に安易に入るな。」

透けないガラス張りのお店の中に入れば客はおらず、店のおじさん一人が驚いたように私を見る。
「…えと、おそばをください…」
冷房の効いていない感じの食堂の席に腰かける。すぐに汗が出てくる出てくる…。自然と厨房に目がいくがΣ(゜□゜;うわ!スーパーで売ってるような乾麺をパッケージごと私の目の前に出してきて茹でてる!せめてソバのパッケージが見えないとこでやって!!!
そのそばがやってくる頃には私はかなり汗だく。
おじさんは厨房に戻って沈黙している。私も沈黙…。しばらくすると、おじさんは米を研ぎ始める。
あああ、居づらい!!!汗をかくけど早くソバを流しこまなきゃ!!!!

そして予定通りの夜行バスに乗りこむ。
帰りは途中のサービスエリア休憩にも気づかないほどに熟睡していた。
小浜という新しい土地(そして福岡から行きにくい場所)に森家ストーキングすることができて何よりの旅だった。
出会った皆さまに感謝(ソバ屋以外)♪
小浜では想像でカバーする場面が多かったが、もっと梅さまの事を知りたい。 
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