京都、旅行

       

京都イラストまっぷにあった本能寺の悲劇
たしかに殺されたのは本能寺だけれども…


           
 2011年3月5日(土) in 京都 

 
だんだん、タイトルネタが尽きてきた…。梅がうめー。

日の行程
京都:妙心寺(玉鳳院・退蔵院・慈雲院・寿聖院)北野天満宮(梅苑、御土居)二条城(旧二条城の石垣)旧二条城跡阿弥陀寺本能寺田丸印房永楽屋細辻伊兵衛商店
大阪:一鶴

 またいつものごとく夜行バスで朝、京都駅に着いた。予定より早く着いたため、この私ごときが、お洒落にもドトールで「朝カフェ」してみた。
 そして”石田三成を日本一愛する男”という肩書とお持ちの しん様さん と京都駅前で合流。車に乗せていただいた。
 今回もこうしてお世話になりながらも、本能寺の変について語らうとすぐ「光秀はそんな人じゃないですけん!いい人ぶって性格悪いですから!ムキーッ!」となって、雲行きが怪しくなる。

妙心寺
ここに眠る戦国セレブたちの関係を紐解けば、
もっと見えてくる歴史の真実があるだろう。
だ、そうだ。

 最初に訪問したのは臨済宗の総本山である妙心寺
信長のお墓がある玉鳳院は非公開でまず拝観できないのを承知の上で、とりあえず訪問してみる。表門の扉が開いていたので、かろうじて外から垣間見る事ができる牛伏石をそっと拝観。
信長のお墓については、いつかまた特別拝観にめぐりあえる幸運を祈ろう。

玉鳳院の牛伏石

 続いて同じ妙心寺内の退蔵院へ。妙心寺は広いから坊がいっぱいあるのだ。
 瓢箪で鯰をおさえとることができるかというテーマを高僧たちが宇宙意識レベルでなぞ解きする(←だったっけ?)国宝『瓢鮎図』があることでも有名な退蔵院。ここには森長可・忠政も懇意にしていた京都の豪商・大文字屋宗味らの墓がある。私たちの今回の目的はそこで、墓所まっしぐら。
 森長可も名物「さわひめの壺」を買う為に大文字屋に借金し、森忠政も上洛の際は大文字屋宗味に招かれてご馳走を振る舞われている。そして忠政は苦しみはじめて死んだ。

 この大文字屋は犬山城主となる石河(いしこ)家とも血縁関係があり、森家を含む大物大名たちとも商人として以上の大きな関わりがある。
いきなり知らない人が訪問して大金を預けてゆくほどに大文字屋は人間的にも信頼されているようで、(この一件についてはどうやら”西軍がまさかのために一方的に自分たちの財産を黙って大文字屋に預けたものらしい”という大文字屋の結論。)
 大文字屋の遺す『先祖記』には森忠政(古美作)が食後に苦しみ始めてから死に至る様子がつぶさに記述されており、眼前に忠政を見る思いがする。
そして、忠政の死について『(大文字屋)宗味も迷惑すれども』と思いっきり本音を書かれてますますリアルだ。
この大文字屋と大名達の関係についてもっと調べれば森家の位置づけも、もっと判るに違いない。

 墓所には屋根のある霊屋が2つあって、それが大文字屋と一族の墓だった。宗味夫妻の墓前で手を合わせた。
 ところで、この退蔵院には本堂がないのだろうか。『瓢鮎図』も見たい。と、入口に戻って「本堂はどこですか?」と、お尋ねしたところ、「順路どおりにおいでいただければ本堂がございますが。」と、少々驚かれた。
よく見れば、順路の表札がある。最初からそれを無視して墓所に真っ先に行ってしまったのは私たちだった…。大文字屋の強い磁石に引き寄せられてしまったのだ。
本堂には『瓢鮎図』の複製があった。この『瓢鮎図』も、一説には大文字屋が大金つんで手に入れたものと伺う。

参考:
・『野村美術館紀要 第9号』:『先祖記』と大文字屋−京都の豪商大文字屋の盛衰− / 『先祖記』 
野村美術館様サイト 史料紹介『先祖記』翻刻 (『一御上洛の時、森古美作殿…)
退蔵院
森家と交流のあった京都の豪商・大文字屋の
菩提寺でもある。


大文字屋宗味の墓 
この霊屋の中に宗味と奥方のお墓があり、宗味
の墓石には
「寛永十六己卯 雪嚴宗味居士 十一月六日」
と刻まれていた。

 次も、同じ妙心寺内にある慈雲院へ訪れた。ここは池田家菩提寺となっている。
境内は非公開なので入れないものの、ちょうど私達がお寺の入り口にいた時にお寺の方が出てこられたので、森長可に嫁いだ池田恒興娘のことを尋ねてみる。
 詳しく説明すれば、『森家先代実録』には、妙心寺盛丘院に森長可妻のご位牌があったという記述がある。この盛丘院は明治初期に廃寺になり、その後の弔いをこの慈雲院が引き受けたとの事なのでもしやご位牌もこちらに引き取られてあるのではないかというのがあって、それをお話ししたところ、ご親切にもご位牌を探してくださった(その節は本当にありがとうございました)。
 でも、その時に見ていただいた限りでは、盛岳院から引き取られたご位牌の中に長可の妻を示す「安養院」の名のつくものがなかったとのこと。残念だけど、長年気がかりにしていた事を知ってホッとした。
将来、もっと多くの事がわかるよう期待している。

 妙心寺をあとにして次に訪問した北野天満宮ではちょうどこの時期、梅苑(梅園)の公開をしており、梅の一番よい時期というのもあり、人が格別に多かった。

北野大茶湯之址石碑
北野天満宮の松原で豊臣秀吉が大茶会を催し
た。森忠政も大茶会に参加。
北野天満宮 太閤井戸
その茶会で茶の湯を汲んだと伝わる井戸。
「三斎(細川忠興)井戸」もあるけど非公開。


 しかし私たちは北野天満宮の梅に用があるのではなく、梅苑に入らない限りは見る事の出来ない御土居とその排水口を見学した。
秀吉が京都の防衛と防水の為に築いた大きな土の堤(御土居)が、当時は洛中を一周グルリと囲んでいたので、人々は京の中心部にはおいそれと入れなかった。
 そのお土居のほとんどは江戸時代にあっさり破壊されたが、当時の名残は分断されつつも町中にいくつか取り残されているらしい。その一つがここ北野天満宮に残る御土居。
梅苑の梅は所狭しと咲き、皆が思い思いに梅を愛でている時に、私達は盛り土のみをガン見していた。

北野御土居(北野天満宮梅園内)
秀吉によって京に造営された人口の土居。
北野御土居の排水口(北野天満宮梅園内)
当時はここから水が配水されていた!!!

京の御土居を示す図

平野鳥居前御土居
天満宮から歩いた先にも御土居が良好に残って
いた。でも、手前でザックリ切断されている。


 その次の訪問先である二条城の第一目的は、その敷地内に移設された信長が築城の旧・二条城の石垣遺構だった。
 しかし、目の前にあるのはせっかくの世界遺産だし、徳川時代の二条城二の丸御殿を中にも入って他の観光客と一緒に流れて見てみたら、欄間で羽根を広げる孔雀の彫り物一つにしても、釘隠しの細工の細かさにしても、豪華絢爛、美しさと仕事の丁寧さが半端なかった。さすがは当時の最高水準の仕事。(+_+;)
そして、いつも前をサッとしか通らなかった二条城にかなりの奥行きがあるとは今まで気づかずにいたが、奥に入ればフツーにお堀と石垣と天守台があるのね…。びっくりした。

二条城二の丸御殿
世界遺産。
100名城スタンプを押してきた。
信長築城の(旧)二条城の遺構
違う場所にあったのを現・二条城のこの場所に
移動させたもの。さみしくてはかない…。

 信長時代の旧二条城が存在した場所にも訪問した。
当時の二条城があった場所は今は京都国際マンガミュージアムとなっていて、私たちが訪問したこの日はルフィのコスプレした人とか綾波レイが庭に出て交流していた。
信忠が亡くなった悲劇の場所に、海賊がいる!!!みなさん、海賊ですよー!Σ(゜□゜;
 以前、この二条城跡の石碑を探し求めて歩いたことがあったが、その時は通りを一本間違えてしまい、さまようだけさまよってたどり着けなかったので、今回、この石碑だけでも目にすることができて嬉しい。
嬉しいとは言っても悲劇の場所なんだけど。ああ、でも、みなさん、海賊ですよー!Σ(゜□゜;

「此付近 二條殿址」石碑
京都国際マンガミュージアムの門
そばにひっそりとあった。

 そして、本能寺で討死した森家三兄弟の墓がある阿弥陀寺にお参り。
すると、いつもの場所にあるはずの森家の墓がごっそりと無くなっていて腰とかいろんなものが抜けそうになる。
 森家の墓の行方不明を慌てて探せば信長・信忠父子の墓の囲いの反対側に移設されていたので慌てて回ってみると、三兄弟の墓石にはガムテープが一周していた。
以前から割れて針金が巻かれていたのは知っていたけども、こうして墓石にダイナミックにガムテープを巻かれる日がきてしまうなんて。

織田信長公・信忠公父子の墓
左の塀沿いに森家三兄弟の墓があったはず。
森家三兄弟の墓(移動後)
ご遺骨は…
 
  森蘭丸の墓石
よく見ると、うっすら文字が見える。
左のほうは『六月二日』と刻んであるのでは?


 その後、現・本能寺で車を降ろしてもらい、天下一・石田三成を愛する男、しん様さんと別れる。

 一人になった私ときたら、まだいろいろと動揺が尾を引いていて、ケータイGPSゲーム「発見!ニッポンの城めぐり」で「本能寺」を攻略するのを忘れていた。アホー!!(´Д`。)
 そして本能寺の宝物館「大寶殿」の企画展「信長と本能寺文化」を見ようとすると既に4時で閉館していて入れなかった。(ノД`)・゜・。
 さらに本能寺オリジナルの信長お菓子MIKASAを買おうとしたら「あいにく品切れです。」と言われた。。゜゜(´□`。)°゜。
 だから信長の宴(純米酒) 700円を買った。・°°・(((p(≧□≦)q)))・°°・

 ともかくも、旅の結びに本能寺の変戦死者の御霊に手を合わせる。
 

信長公廟

織田信長公供養塔
供養塔内には刀が納められている
と言う伝説があるらしい。
 
  本能寺変戦死陣没之諸霊
森三兄弟の名もここに連なる。



 この後、私は京都より大阪に移動しなくてはならなかったのだが、しん様さんの
「京都駅に戻るより阪急電車で行った方が早いよ。」というアドバイスに従い本能寺を出てより、所在のよく分からぬ阪急電車を探して歩くこと1時間近く。まだ電車は見つからない。

 途中、新京極(だったのか?)の商店街ではんこ屋を見つけて、その中に「信長」や「鶴」「鶴丸紋」「鳳凰紋」などオリジナルスタンプがあったものだから、驚きとストレスからスタンプをガッツリと7,000円近く購入した。
夜行バス片道分より高くついたじゃないか…。

田丸印房[URL]
信長・鶴2種・マンボウ・織田木瓜・
鶴丸・鳳凰丸スタンプ


 阪急電車捜索途中に遭遇した矢田寺(森家とは関係ありません)の絵馬が大迫力すぎておののいた。
恋のお願いとかではなく、何かもっと底知れぬ重いお願いをしなくてはならない気持ちになってくる。

矢田寺の絵馬(森家とは関係ありませんが…)
鬼が罪人を左から痛めつける一方で、右から
地蔵様が救済中。


 続いてiPhoneの地図で見つけた永楽屋(由緒に信長も関係あるみたいなんで)でハンカチを買い、ようやく店と店の間の割れ目からわずかに阪急電車の駅を発見する!!!
阪急電車は、こんなところにあったのかぁああああ!地下鉄とは思ってなかったので上ばかり見てたし、駅のホームとかが見えると思っていたのでまったく気づかなかったよ(涙目)。
 
 歩き疲れつつ無事に阪急電車に乗って遅刻し、大阪駅で関西のお城仲間さんズと落ちあってお薦めのお店「一鶴」で飲む。
 鶏肉のお店であるこの店のメニューには「おやどり」「ひなどり」という選択肢がある。すてきな…メニューですな。
「ひなどりください。」
と注文して、皿にずしりと盛られてやってきた鶏肉の肉片に原始人のようにガブリとかぶりつく。お腹も空いていたので美味しい。
しかし、これが非常にスパイシーな味付けで、私は帰りの夜行バスの中で「水…水…」と何度もうなされることになるのであった。
お蔭で夜行バスで就寝中に、子供産んだ夢見た。

一鶴のひなどり
スパイシーで美味しかった。

 
 しん様さん、NACKさん、摂津守さん、この度の旅もお世話になりました。m(__)m
関西にはまだまだ見ぬ森家がいっぱいつまっているので、今度また参ります。

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