去年のシルバーウィークに江戸城へ夕方4時くらいに行った時は、最終入城時間を過ぎて中に入れなかった。さすがは江戸城だ。
それが悲しくてもう一度江戸城へ行く機会を狙っていたら、幸運にも仕事で江戸出張の機会がめぐってきて、ホテル代さえ補充すれば会社のお金で江戸に行くことができることになった。
前回、江戸城で一緒に貴重な門前払い体験をした森家好きの愛平さんとは今回も一緒に回れることになり、さらに嬉しい。
で、私は仕事を金曜日に済ませ、真の目的である史跡めぐりを森忠政屋敷跡からスタートさせた。忠政は江戸城からさほど遠くない丸の内ポジションに屋敷を許されたが、その敷地はほぼ東京駅。ありし日の忠政の大事な思い出がいっぱいつまっているだろう場所に、今は容赦なく電車が通過する。
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森忠政屋敷跡周辺(丸の内1丁目)
東京駅は工事中で、もはや「これは東京駅で
すから。」と念を押さないと何を撮影したのか
わからないかんじ。 |
愛平さんと合流して江戸城散策開始。
しかし、まずは大手門に入る手前の和田倉門の休憩所で百名城スタンプを押す。今までたくさん押されすぎてスタンプ面が摩耗していたのだろう。なんかえらくダークな押し味になった。
江戸城へは、大手門から入った。
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江戸城大手門
諸大名はここから登城した。 |
入るのは無料だけど、入り口で一人一人に札を渡される。この札を出る時に返却して、もし閉門時に返却枚数が足りなければ、「まだ城内に人がいる!」と、警察官に捜査されるようだ。
今となってはこの江戸城も宮内庁の管轄で皇居外苑であるから、ほかの城とまるで勝手が違う。警察官が城内でパトロールして厳しく見張っているのだ。城内をパトカーが走ったりもする。
これは、某宗教施設となっていた丹波亀山城(本丸は聖域)訪問の時よりも高いハードルを感じる…。
そんな江戸城は、森忠政も普請手伝いをしているので、石垣の所々で森家を示す刻印が見受けられるのである…と、本に書いてあった。
江戸城ビギナーの私にとっては、持ってきた
◆『石垣が語る江戸城 (ものが語る歴史12)
』野中 和夫 同成社 2007年3月
だけが頼りだ。
これには、どのゾーンにどんな刻印があるのか書いている。
今日の目標は、忠政を偲びつつ、江戸城の石垣に目を凝らして各ゾーンにある森家刻印を自分の眼で確認するに尽きる。
と、いうことで早速、大手三の門あたりの石垣を間近で見ていたら、豊富な種類の刻印が山のように刻まれている。この中に森家のものもあるのだ!探せ!
と、石垣めがけて直行した15分後くらいには、警察官に駆けつけられた。
…(思い出したくないので中略)…
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大手三の門に連なる石垣
非常に沢山の刻印があった。
「△坂」(右上画像)や加藤清正のハンマー(右
画像)、「さら川」などの刻印は次々と見いだせ
たものの、肝心の森忠政の刻印が見極めきれ
ず、その前に警(後略) |
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色々と動揺し、何を見てもビクビクしながら再び城内を散策をする。
梅林坂に伸びる石垣にも森家の刻印があるらしいので、青く茂る梅の木に頭を突っ込みつつ石垣の様子を探る。この季節、梅の実がいい感じになっている。
警察に梅の実ドロボーと思われてしまったら嫌なので、目線は常に梅ではなく、さらにその奥にある石垣たちに向け、本当に石垣が大好きな人のリアクションをあらゆる所作に組みこみつつデジカメで撮りまくる。
結局、刻印は色々と見つけたが、またしても森家の刻印としてはっきりと判るものを見つけ出せなかった。森家が使っている「十」の刻印はあったけど、森家が商標登録していなかったようで他家もこの刻印を使っているらしく、森家のものという決め手がない。
もっと見たかったけど、どうにも茂った梅の木が邪魔だ。木が葉っぱを落とした季節に双眼鏡持参で見にくるといいのかもしれない。その時は『アイラブ江戸城』『江戸爆風』と書いたTシャツを素敵に着こなして、頭にシャチホコを搭載するくらいの演出をして、警察から見ても「あれは城好きさんだから怪しい動きをしていても安心ね。」と、丸わかりの状態にしておきたい。
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梅林坂
太田道灌が天神様を祀って梅を植えたという。 |
場所を移動して天守台を見た時はナニコレ?
だった。一言で言えば、あまりにも巨大すぎて呆気にとられてしまうのだ。しかも焦げてる。
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天守台跡
油断のない石垣の精密さと巨大さに驚かされ
るばかり。
家康が作った最初の天守閣から場所が移動
しているとのこと。 |
本丸御殿跡の芝生
本丸の中は、身分や格式で入っていい部屋が
厳格に分けられていた。
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本丸跡は広場になっていた。
大名たちが極度の緊張を強いられたこの場所が、今は何もない憩いの草原広場。今日はどんよりとした時々雨の天気なれど、草原に腰をおろして、在りし日の森忠政を忍んだ。
ところで、そんな草原にあった「もぐら塚」の意味がわからず、その時は、しばしこれが史跡かどうかで悩んだ。
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モグラ塚
モグラが土を掘り排出した土の山で,周辺には
通路があり,陥没する可能性がありますので,ご
注意ください。 |
お昼ご飯には、丸の内のどこかで一風堂博多ラーメンを食べた。さすが東京のラーメンはとんこつ味で美味しい。
雨模様になったが後半も、江戸城探検の続きをした。
実は私は、江戸城に対してもっと大いなる野望がある。
森忠政が寛永5(1628)年にお茶した場所、西城に入りたい。
しかし、西城と呼ばれる江戸城の西側の領域は現在、思いっきり皇居なのである。中に入るには皇族になるとか、宮内庁職員になるとか、総理大臣になるとか、国民栄誉賞を取るとか…どうすればいいのだろう。
私でも可能な無難なチョイスでいくと、お正月と天皇誕生日の一般参賀を狙うしかないのだろう。
と、いうわけで西城については今回は、外から眺めて雰囲気を感じるだけで我慢せねばならない。
ちなみに、西城の入り口の西の丸大手門の石垣にも森家の刻印があるという。しかし、やっぱりそこはTVでもよくお目にかかる皇居の入り口なのであり警備が厳重だった。
やっぱり江戸城の石垣を楽しむには双眼鏡が不可欠である。次回は持参しよう(結論)。
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江戸城西の丸大手門(皇居)
TVでこの石垣を見るたび、別の意味でキュンと
なる我。 |
場所を移動して清水門へ行った。ここにも森家の刻印があると本に書いてある。
ここは江戸城中心部から離れていて、出入り自由でもはや警察も立っていない。ようやく江戸城に安住の地を見つけた気がする。ここで暮らそう。
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清水門・忠政刻印のあった石垣面
建物については1658年の再建。
肝心なのは牛ケ渕に面した石垣にある
森家の刻印である。 |
緊張感から解放されて、愛平さんと思うままに森家の刻印探しに没頭した。
石垣に近寄っても叱られない。刻印を指でなぞっても警官に射殺されない。
しかし、見ればみるほど、石垣には色々な刻印があっちこっちにあって面白い。UFOの刻印は誰に帰属するものだろうか。
清水門周辺の石垣の刻印 |
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UFO発見! |
何のマーク? |
1つの石に3つも刻印 |
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前田家 |
浅野家 |
加藤嘉明 |
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東京の街で、石垣を見つめて「ない、ない!なんで?」と朝から探し続けた森家のかさね山の刻印。一つでも見ないことには、私は国に帰れないよ…。
しばらく手分けして石垣をめぐっていたが、ついに愛平さんが牛ケ渕のお堀の面の石垣から探し出してくれた。
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森忠政の「∧」2つのかさね山と「十」 |
一度見たらもう目が離せなくなるようなかさね山。
津山城でも、大阪城でも、篠山城でも市ヶ谷でも目にした刻印がここにある。
でかした!愛平さん!
ようやく見たいものを見た安堵感を覚えて、後は森家の刻印が無いらしい田安門などを見学しに歩いたが、また、石垣を見ていて若いお兄さんに立ち塞がられた。
警察ならまだしも、普通の人が私達を阻むのか!君たちは、一体何を守ろうとしているのだ!
Σ(゜□゜
直後に理解した事だが、田安門近くの武道館でミッチーがコンサートを催していたらしく、石垣側の武道館へ侵入する細い道に入るなと通せんぼしていたようで、石垣にしか興味がない私には、なんじゃそりゃ!と…警察じゃないから内心強気である。
徒歩でぷらぷらと丸の内に向かって歩いた。
途中、平将門の首塚にもお参りした。
何というか、心霊特集なんかでよくこの首塚の映像、画像が取り上げられているのを見るが、実際に行くと、高層ビルの間の狭い狭い空間に首塚があって、気の毒感たっぷりだった。
そして首塚の周辺にカエルの像がたくさんある。森忠政と一緒で、平将門もカエル大好きなのだろうか。
後で調べると、転勤などで東京を都落ちするサラリーマンなどが「また東京にカエル!」という願いをこめて将門の首塚にカエルの像をお供えするそうだ。
…今日は東京で石ばっかり見ていたよ。
高層ビルなんて目に入らなかった感じだ。
夜は憧れの八重洲ブックセンターへ。
本好きならシビれてしまいそうなビルまるごと本棚の超・大型書店だ。
そこで森忠政の江戸屋敷も載っている『寛永江戸図』を見つけた♪『戦国武将兜百撰』にも森可成と長可の兜が載っていたので買った。
我ながら東京で何とよい買い物をしたのだろうか。
愛平さん、まる一日、歩きっぱなしでつき合ってくれた上に待望の森忠政の刻印を見つけてくれて、どうもありがとう!m(_
_)m
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