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■ 竹田城跡でマチュピチュ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
下の画像は但馬の竹田城跡です。 豊臣秀吉がウッキキと但馬攻めした時にはまだこんな立派な石垣はなかった竹田城跡です。 映画「天と地と」のロケ地になった竹田城跡です。 森家とは深くは関係ない城モノですけど、これが「天空の城」「日本のマチュピチュ」として名高い竹田城跡です。 下の画像はクリックすると、さらに大きくて美しい画像を見ることができる竹田城跡です。 こんなに美しいものを見れば、「もう死んだっていい!」と思うだろう。私は思わないけど。
でも、よいのだ。
初めての竹田城跡! |
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■ 黒井城でズンドコベロンチョ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
それから再び車に乗って丹波の黒井城跡へ。 『森家先代実録』によれば、天正二(1574)年の丹波攻めには、明智光秀、柴田勝家、滝川一益、丹羽長秀とともに、森長可も加わっていた。 多くの小城の主などは逃げ出したり、降参したりで、丹波攻めもうまいこといっていたのだけど、黒井城の城主・赤井悪右衛門直正は降参しようとしなかった。 黒井城なのに、城主が赤井というのは当時より数百年間、何度となくツッコマれたであろうから敢えて深く掘り下げないが、それはともかくも、黒井城が粘っている間に勝家一益、長秀、長可にはご帰陣の命令が出たので丹波を去らねばならなかった。そして光秀だけが残って、丹波平定を成し遂げる(赤井は病気で亡くなってしまった)。 そう。 この黒井城の事は『森家先代実録』にもちょっぴり登場するので、行きたいと思っていたのだ。森長可とは実際にはかすってないかもしれないけど、かすってたらいけないので、私は黒井城跡に登らねばならない。森長可は、黒井城をチラ見ぐらいはしたかもしれない。 いや、黒井城という単語が森長可の頭をかすめただけでも、登ってみる価値はあるのではないだろうか。 とりあえず黒井城跡の山の麓に車を停めようとすると、交通整理してる人に付近の駐車場は満車と言われて遠い場所にある駐車場を案内された。 Σ(゜□゜;なんで! なんで黒井城跡にそんなに人来るの?! 黒井城跡のために、交通整理があるの?! 竹田城跡にもぶたれたことなかったのに! 不思議すぎるので、交通整理の人に尋ねたところ、「黒井城まつりです。」とのこと。予期せずにお祭り当日に春日町に来ちゃったようだ。 黒井城の麓は、春日町という住所。 明智光秀が黒井城を攻め落とした後は、家臣の斎藤利三がこの地にいた。その娘、春日局(お福)の生誕地でもあるらしい。 まずは、赤井悪右衛門直正が開基の興禅寺へお参りする。 お寺で買い求めた本の情報では、打倒信長に燃える武田勝頼から赤井直正に宛てた書状も残っているらしい。甲斐と丹波との遠距離挟み打ち。
獣避けの金網の扉を開けてあとはひたすらに傾斜のすごい坂道を本丸めざして登る。キツイと聞かされていたけど、坂の勾配よりも、コンパスの短い私にとっては足場の幅が広さがどうにもキツイかった。
下りは滑りやすくて登りよりも気を遣う。しん様さんやNACKさんがいきなり視界から消えたかと思うと、坂道で滑ったり転んだりしていた。
突然どこからか歩いて来たゆるキャラにも不意をつかれたが、このピンクは両ワキを見せているだけですぐに子供達に寄ってこられて、たかられて、叩かれていた。
武者行列もあった(10人くらいの列)。時代考証ひっちゃかめっちゃかの武者達が車輪のついた手作り大砲を押して、たまに前の人から遅れて「待って〜」と小走りしながら会場へ入り、あとは校庭のトラックに沿って歩いていた。
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■ 寄り道の柏原で織田信長に出会う。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
そして念願の篠山城跡(今回こそ刻印探し!)に行くはずが、車内から「柏原の太鼓櫓」コールが…。謀反だ。陰謀だ。 結局は柏原の太鼓櫓なるものに寄ってくことになった。 この地のかつての栢原藩は織田信長の弟の信包の系統の藩だ。 太鼓櫓に行くのに駐車場を探していたら道の案内に「建勲神社」と書いてあるのを見つけて「えええ!」と、私が騒いだ。 建勲神社といえば、織田信長が神様の神社だ。兵庫県にあるなんて思いもよらずに感激した。
建物は平成18年に再建。
戦国森家から離れてしまうけど、せっかくなので江戸期織田家の柏原の史跡を掲載。
柏原歴史民俗資料館には織田信長ゆかりの品々も展示してあった。
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■ 篠山城で刻印探し |
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篠山城跡にたどり着くも、もう大書院には入らない。 レッツ石垣!レッツ森家の刻印! と、大手から堀下に華麗に飛び降りようとしたところ(←本当)、みんなに止められた。 そしてそれはいけない事だと言われた。 いや…私はこの為に丹波に来たのだけど……(汗)。 前回来た時は築城400年祭に向けての工事中で「立入禁止」バーが立てられていたものの、今日はそれがないのだ。工事も終わっている。だから大丈夫と言うのに、止められる。 私はこの為に篠山城跡に来たのに、堀下に降りて石垣が見れないなら意味がない。 「大丈夫だ!」「ダメだ!」「お前の血は何色だ!」と、大手側でもめてグダグダやりあった後に、人の少ない反対側の搦手側に回ればあっさり普通に石垣をめぐる犬走りに入ることができた…。 ようやく、石垣を間近で見あげる事ができたのだ。
これで森家に関係ある刻印じゃなかったら、かなり切ないな(撮影しまくった)。
日没まで森家を愛し、森家の刻印を探してくれて、みなさんありがとう。 |
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■ 花隈城は眠らない。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
これで全ての旅程を終えたので、私が帰国する為に三ノ宮に向かってもらい、途中、花隈城跡に寄り道してもらう。森長可の岳父(妻の父親)の池田恒興が一時この城を持っていたのだ、なのでやはりここは一目見ておきたいのだ。 花隈城跡は町のど真ん中にあった。 聴くところによれば、この城は近代化の波に飲みこまれて当時の遺構は何もないようだ。でも、城跡には純正のインチキ嘘石垣がめぐっているのだ。 嘘石垣の上に嘘石垣が積み上げられて、その上には鉄の手すりが刺さって一丁あがり。 なんか…ショック…。
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