あの世まで森家を追いかけて行く。
〜大名墓デパート物語〜
2008年3月8日 in 高野山
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これが鰯の頭も信心というシロモノ!!! |
■ 高野山・森家マンダラ ■ |
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夜行バスの大阪着予定時間が一時間遅れた。高野山までの乗り継ぎや時刻をちゃんと調べて来たのに、さっそく役に立たない(涙)。 朝7:00に南海電車の難波駅に着く。駅員さんに「高野山行きはどれに乗ればいいですか?」と尋ねると「7:48発が一番便利ですよ。」と、ケロリと言われた。ほぼ、50分近く寒いホームで待たなくちゃいけないなんて、何という悲劇!!!Σ(゚□゚; と…いうことで、底冷えのするホームで丸くなって銀河鉄道999「惑星・高野山行き」を待っていたけれど、途中、お手洗いに行ってみると、思いがけずもそこは暖房が効いて地上の楽園。何より、すがりつきたくなるほど便座シートが暖かい。この場所をわが安住の地と定める。
極楽駅からケーブルに乗って、高野山にたどり着く。寒いのは覚悟の上だったけど、雪景色じゃないかッ!!!これはヤバイ。と、腰カイロを貼っていたせいで、バスに乗り遅れ、さっそく世の無常を思い知らされる。 観光協会中央案内所で森忠政の墓の場所を尋ねると、地図を出された。
でも、その前に、案内所からも近い森家の菩提寺・釈迦文院を訪問することにした。雪道をサクサク歩き、釈迦文院と書かれた入り口を発見。いきなりドキドキが満ちてくる。境内に入ると、お寺には鶴丸紋。
残る目標物は森家の墓地のお参りとなった。私はそんな森家ストーカーではあるが、せっかく世界遺産の高野山に来たことでもあるので、普通の観光や参拝もしてみようと思う。そのように普通の観光&参拝も挿入してみて森忠政の墓参りを自らじらすことにより、墓クライマックスの気分を最高潮に高めて一人で盛りあがってみようというなかなかのテクニックである。 普通の行動をさらっと紹介。
高野山入り口の大門の全体をデジカメに収めようとバックする。大門の前の車道を渡ってバックしても、巨大な門はデジカメに収まりきれない。夢中になってさらにバックしてみると、背後のガケに落ちそうになった。 |
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■ あの世で忠政に逢える場所 ■ |
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いよいよ墓クライマックス!!!おど川にかかる一の橋を渡ると、そこからは奥の院への聖域。入って間もなく視界いっぱいにおびただしい数の墓が飛びこんでくる。奥の院には平安時代から現代まで身分の分け隔てなく20万〜30万基くらいの墓があるそうだ。事前に場所も確認できたこともあって、森家の墓はすんなりとたどり着くことができた。墓所は上の段と下の段の2箇所に別れていて、「森中将忠政墓所」、「岡山津山森家墓所」と書いてある。忠政の墓は、頼もしいほどに大きい。若くして亡くなったひ孫さんの墓に左右を挟まれていた。 「一の橋を渡って奥の院に入るということは、あの世に足を踏み入れるということなのです。お参りする人は一度死んで煩悩を払い、お大師様に新しい命をいただいて帰ってくるのです。」と、午前中にお寺で出会ったアルプスおんじが教えてくれた。 私は今、既に一の橋を渡り終えて死んでいるのだ。私がいるのはあの世。黄泉の国にいる森忠政と隔てのない世界に立つことができているのだ、ステキ(煩悩のカタマリ)!! 森家の墓には雪が積もっていて、墓所に踏み込めば足がズボッと雪にはまる。 「今日、ここに来させてくださってありがとうございます。」と忠政にお礼の気持ちをこめて手を合わせ、何だか離れがたくて1時間近く森家の墓所にいた。私の一番の浄土(あの世)はやはり森家のそばなのだ。忠政の墓石に刻まれた文字を読んでいたら、裏面に「石」と書いてあった。石!!Σ(゚□゚;
弘法大師の御廟のある一番奥地に向かって墓道を歩く。織田信長、明智光秀、上杉謙信、武田信玄…全国の大名達の墓がこれでもカッ!と言わんばかりに所狭しと並んでいる。
ここから先は、聖域中の聖域で、写真撮影も禁止、脱帽して身なりを糺す。 こうして私は、煩悩のまったく無い人間に生まれ変わって帰りのバス停に向かう。 夜。大阪に戻ってから、また楽しい時間が始まる。 |