津山城を鳴らしに行く
                                    

                                 2007年11月24日 in 彦根・大阪 

森家の敵クリップ・クリップ・
クリップ・クリップ〜♪
 ■ 彦根 ■  森忠政レッド VS. 井伊の赤備え
 旅に出る前に腰をやってしまった私。
痛みが楽になるように整骨院でテーピングをしてもらって、夜行バスに乗りこみ京都駅に降り立つ。そこからJR琵琶湖腺に乗って彦根駅へ向かう。行きがけの車窓から見える安土山を恋しく思いながらも下車することなく一路彦根へ。
 
 彦根駅に着くと井伊直政ブロンズ像が馬上から迎えてくれる。
井伊直政ブロンズ像
兜についているフォークでデザートを
天衝脇立は、井伊家の歴代藩
主だけに継承されるカタチ。
井伊直政
森長可と闘った男「
 Ii 」直政。



 まずは彦根観光協会へ足を運ぶ。滋賀県観光ファンクラブ会員の私は、特典クーポンでオリジナルひこにゃんグッズ(クリップ)をゲット!!

 彦根城四百年祭のグランドフィナーレを翌日に控えて彦根城はすごい人。
 私は彦根は今年で三度目。それなのに、まだまみえることのない彦根の妖精「ひこにゃん」。今日がラストチャンスかもしれない…だから今回は絶対にひこにゃんに会うのだ!!

ひこにゃん。

 もうひとつの念願だった彦根城の馬屋(この前は見ることができなかった)の中にも入ることができた。城内に入ってひこにゃんの登場時間をチェックしておいてから合間に彦根城博物館の特別展「戦国から泰平の世へ −井伊直政から直孝の時代−」を見て過ごす。井伊家と言えば、若くて美しい森長可を撃ち殺した事で大変有名な名家である(私の脳内環境)。
 長久手の合戦で長可の眼前を赤く染めた井伊の赤備え。展示品の真っ赤な甲冑を見つめていると、私の世界も赤くなる。
 特別展示の数々を観賞しながら、とある書状の前に来た。
「織田信雄等28名連署血判起請文」(大阪城天守閣所蔵)
豊臣秀次追放事件の後に、諸大名が神さま仏様にかけて豊臣秀吉への忠誠を誓わされた血判つきの署名がある。なんか、秀吉、ものすごく必死だね…相当、必死だね!
その起請文には井伊直政の署名もあるというので今回、展示されていたのだ。解説には「井伊直政は秀吉の陪臣(家臣の家臣)であるにもかかわらず、他の大名連中と同じレベルで扱われてるのよ。すごいでしょ?」みたいな事が書いてある。ふーん、と書面を見ていると井伊直政のサインの隣の隣の隣の隣の隣の隣に、

羽柴金山侍従(花押)←血がブチュ

こっ、この肩書きは金山城主時代の若き森忠政のことではござらぬか?(゜□゜;)ノノ
 初めてみる起請文だった。署名とともにある花押も若き頃の忠政が使っていたカタチをしている。そこにあわせて血判がブチュ。
森忠政の血????????????
井伊家の城で森家スイッチが入って、もうムッキャーーーーーーー!!!ε(*゚□゚*;
(興奮中につきエサを与えないでください。)
井伊家に来て、森家に遭遇できるとは、ロマンスの神様どうもありがとう!
そして私は彦根猫登場時間のことはすっかり忘れてしまっていた。

 しばらくして「Σ(゚□゚; あ、ひこにゃん!!!!」と思いだし、あとの展示はすっ飛ばして本丸前に走って行く。すでに登場時間を過ぎたあいつの周りは物凄い人だかりで真っ黒になって、まったく見えず。
…ああ、既にひこにゃんは皆に猫鍋にされて食べられてしまっているカモ…。と、群集の間を縫って確認しようとしている時、スタッフさんが人だかりの総入れ替えをしてくれて、ついに眼前にプリプリとはじけるひこにゃんを見る事ができた。

お! おっ??
おおおっ!!動いてる!!
ピチピチしてるぅう!!

思いっきり童心に帰って子供たちと一緒に「ひこにゃん、ひこにゃああん〜!!!」

欽ちゃん走り! 後ろ姿はちょっと…。

あまりの可愛らしさに、シャッター切りっぱなし。

「お疲れさま、ひこにゃん!」
の歓声に、思わずツノで威嚇
深々とお辞儀。


 本丸は長い行列で90分待ちなので、今回は諦めた。
 お次は井伊家の庭園・玄宮園に向かいつつ、森忠政に詳しい津山市の学芸員さんに先ほどの血判を通報。
井伊家の秋の美しい紅葉を見ながら、森忠政の話。
井伊家に来て、森家に遭遇できるとは、ロマンスの神様どうもありがとう(しつこい)!

彦根城天守
この城の栄光の歴史に、彦根猫も加えられる
のか。
玄宮園
水と緑の癒しの空間。
紅葉している木々もあって美しかった。

 玄宮園を去って城下町を歩く。お腹を空かせつつも、史跡めぐりの時間を惜しんでそのまま歩き続ける。戦国グッズ専門店の「しょうぶ屋」さんに行った時に、津山から折り返しの電話が入って、起請文の詳しい内容を説明する。
「忠政の血ですよ!血!!」
 幸い、図録にその部分が掲載してあったのでそれを送って確認していただく事になった。この際、図録を何冊か買い足しておこうと彦根城博物館にダッシュで引き返す。本日二度目だ、彦根城!!!
 思わぬことで、彦根で予定以上に時間を費やした私。早くJRに乗って次の目的地に行きたいのだけど、やっぱりお腹が空いてたまらない。お店に入る暇は無いけど、出店のおだんご屋があったので、歩き食いしながら駅へ向かえばいいと「1本ください。」
出店の人:「どこからおいでですか?」
うきき:「福岡です。」
出店の人:「あのね彦根城はね、この店の前から見た風景が一番キレイなんですよ。」
うきき:「そうですか。」
出店の人:「向こうで、ひこにゃんのぬいぐるみを売っていますよね。でも、あれはね、」
うきき:「キイーーーーーーッ!!!!キーーーーーッ!(はよダンゴよこせ!)」(゚皿゚;)
出店の人:「あ、ごめんなさい。急いでいたの?おだんご(1本)、はい。」
ダンゴを食べつつ足早に彦根駅に向かったけど、JRに乗り遅れた。次のJRは30分後。
時間つぶしに結局、お昼ご飯を摂取することになりコンビニで中華まんを買って、井伊直政像の前のベンチで食べた。
 
後日談:起請文にあった「羽柴金山侍従」は、森忠政のことでまず間違いないと確認がとれました。(しかしあの起請文自体は有名なものらしいです。)

 ■ 大阪 ■ あの鐘を鳴らすのは、あなーたー♪

 JRに乗って、ほどなく爆睡してしまっていた。運良く、次の目的地の大阪に近づいた頃に目が覚め、寝ぼけつつ、車内アナウンスを聴く。

裏声アナウンス:「次は、新大阪、新大阪です。新幹線・阪急電車にお乗り換えの…あ!…………お客様は次でお降りください。ブチッ!」

Σ(゚□゚; 何?ちょ!!!
 阪急電車ってJR大阪駅ではなくてJR新大阪駅で乗り換えするの?阪急電車に乗り換えなくてはならない私はアナウンスに混乱。新大阪駅に着くと慌てて降りてしまった。
改札口の駅員:「いや、阪急電車でしたら、大阪駅まで出たほうがいいですよ。」
(ー皿ー;) くっ…あのアナウンスの人を恨む。

 JR大阪駅に出て、阪急電車に乗りかえる。中津駅を降りるとすぐに目的地の「南蛮文化館」が見えてくるハズが、高層ビルの数々に圧倒されて地図を持っていながらも道に迷う。閉館時間(4:00pm)が押し迫っているので焦る焦る…。
 南蛮文化館は工事中のトラックに入り口を塞がれていた形になって完全に死角になっていた。ここは年に5月と11月の各10日間しか開館しないという大変レアな個人のミュージアムだ。ここには何と、森忠政の築いた津山城に吊るしてあった鐘が所蔵してある。私は今年5月に行こうと思って行けずじまいだったので、この数ヵ月、実にこの日が待ち長かった。
 ワクワクしながらエントランスに入った瞬間、眼前に津山城の鐘が吊るしてあった。いきなりかい!!!しかも、解説無しかい!!!抱きしめっ!!!
 森忠政は美作国に津山城を築城するにあたり、豊前国小倉城の縄張りをパクろうとしてあっさり細川家(小倉城主)にバレたのだが、許してもらえたらしく、津山城完成の折には細川家からこの鐘をお祝いにもらった。そしてこの鐘は忠政の時代からずっと津山城の天守閣の最上階に吊るされていた。最上階は四方の戸が開け放たれて、この鐘が見えるようにしてあったという。
カーーーーン。
カーーーーーン。 
カーーーーーーーンン。
津山城の鐘を鳴らして、忠政が聴いた音色を私も聴くことができたこの幸せ。
かぶってみても楽しいだろう。
カーン。
カーーーーーンン。
カーーーーーーーーーーンン。
南蛮文化館
5月と11月の各10日間、抜き打ち開館中。
展示品の解説もほとんどない不思議な世界を
味わおう。
津山城の南蛮鐘
津山城の鐘(wav.)の音(←クリック!!)
鐘の模様の丸いポチポチは細川家家紋の九曜
紋。下方には唐草文様がぐるりと一周。

 文化館の閉館後に、再び阪急電車に乗り、服部駅に移動。
服部駅を降りると、某マンガ家の著作物をパクったっぽい忍者キャラの看板に出迎えられる。水路をなぞり、今西家の菩提寺である松林寺に向かって歩く。
 今西氏は、中世より春日大社摂津領の荘官として勢力を保っていた一族。
 戦国の世には森長可の娘(エッ?!)や明智光秀の娘(エエッ?!!)が今西家に嫁いでおり、更に森忠政は今西家の大蔵姫と婚姻関係を結んでいる。
(頂戴した資料のままを言ってみただけなので…詳細をもっとよく調べてみます。)
 松林寺に森忠政夫人である大蔵姫の墓が確実にあることは事前確認できていたけど、今西家墓地の敷地内には入らないでくださいとお願いされていたので、柵の外からお参りさせていただいた。どれが誰のお墓かよくわからないので全体的に手を合わせる。

松林寺
今西家の菩提寺(現地に解説看板あり)。
「今西家石造五輪塔群」の敷地は囲いで守られ
ていたので、外側より撮影。

 そこから徒歩で近所の今西氏屋敷に。大変に立派な門構えだった。戦国時代にはお堀もめぐらしてあったようだ。そしてなんと中にはまだ江戸期の屋敷が現存しているらしい。屋敷と一緒に南郷春日神社までもあるとのこと。門は閉ざされていたので入り口が他にないかと裏に回ってみたところ、内部にいた犬(複数)にものすごく吠え立てられて、ビビって逃げ出した。
…その時に初めて気づいたけれど、ここにはまだ今西さんが住んでいらっしゃるっぽい!!!!(驚愕)

今西氏屋敷門構え(ナナメから撮影の図)
春日大社南郷目代の今西氏のお屋敷。
今西氏屋敷の門構え(正面から撮影の図)
屋敷が一般公開させる事もあったそうです。

 日没までをこの界隈で過ごしてから大阪駅に戻る。
帰りの夜行バスは夜の10時だというのに、ご飯を食べて7時には既にすることが無くなり、駅周辺の店を徘徊。古本屋街やドトールでひたすら時間をつぶして、それでも暇を持てあまして、「うっきゃーーー!!」と、腰のテーピングをはがしてみる。