忠政公ご命日だけど…を訪ねて 地図
                                    

                                 2007年7月7日 in 近江 

戦ってます。姉川。
地元ネタを繰り広げるフィギャたち。
(in海洋堂ミュージアム・長浜)
■ 長浜:蘭丸(9)が戦うの図。
 朝。夜行バスは京都駅に到着。そこから全力疾走でJR琵琶湖線に駆け込む。
 安心したのもつかの間、この列車は米原駅にて「近江塩津行き」と「米原止まり」に切り離されるという。慌てて乗りこんだ自分のいる車両はどっち?…私は無事に目的地の長浜にたどり着けるのか、それとも米原で切り離されていらなくなった車両ごと琵琶湖に捨てられてしまうのか…。ドキドキして挙動不審。
でも、安土山を車窓から眺めることだけは忘れずに。
 ようやく米原駅手前の能登川駅に着く頃に車掌が現れた。
「この車両は切り離されますね。前の車両からが近江塩津行きです。」
やっぱりそんな展開カッ!!Σ(゚皿゚;
でも、佐和山を車窓から眺めることだけは忘れずに。
 連結器で繋がれた前の車両へ通りぬけができなかったので、能登川駅でいったんホームに出て、前の車両に乗り換えて無事、長浜駅へたどり着く。
長浜城歴史博物館
企画展『戦国大名浅井氏と姉川合戦』
平成19年6月16日〜7月17日

 長浜城歴史博物館では企画展『戦国大名浅井氏と姉川合戦』開催中で、安土浄厳院の織田信長公肖像画もお目見えしていた。
 一方、敵チームからの出品であるが、朝倉義景の家臣・真柄十郎左衛門が扇風機のように振り回して敵を薙ぎ倒したという全長282cmの大太刀が目を見張った。たとえこれが282cmのストローであってもびっくりするのに、太刀だ。太刀。普通の人なら、こんなデカイ刀を持った時点で自爆。
 


真柄十郎左衛門
バッター大太刀を構えた!!
敵が、槍でツンツンしようとしているから
気をつけろ!

各資料で見かける森可成の文字に心踊らせつつ、展示を見続けて有り得ないものを目にする。

『丁野山城図』
 丁野(ようの)山城は、浅井の支城で天正元年8月12日に織田信長に攻め落とされた。その布陣図らしい。山脇村に陣を構えて森蘭丸(当時9歳)がシレーッと参加している。子供にこんな恐ろしいマネさせるとは戦国とは何と厳しい時代なのであろうか。しかし、まさかここで森蘭丸に会おうとは。
天正19年の作図を、江戸後期に模写したものらしいが…。学芸員さんもお尋ねすると、「蘭丸が戦するのは無茶ですね…。」と、いう話になり、何かの間違えだろうということで治まった。

 次はいよいよメインディッシュの姉川古戦場めぐり。しかしバスの時間までにまだ余裕があるので、海洋堂フィギャミュージアムに行った。お菓子のおまけでおなじみの海洋堂フィギャが勢ぞろい。しかも、等身大ケンシロウや、でっかい恐竜フィギャまであって、もはや、アートを感じさせられる。

信長の馬揃え 
この画像が心霊写真風味なのは、ガラス越しに
後ろの景色が映りこんでいるせい。
信長は御所の階段にドカリと座って、ヤバイ
ことこの上ない。
乱世の泰平
かつて敵同士だった武将たちもあの世で楽しく
酒を酌み交わす。
 「あ、なんだぁ。ソレ、白髪じゃなかったのか。」
とかいう会話を想像。


 商店街には屋台が出ていたのでりんご飴をかじりながら町を抜け、いよいよバスに乗りこみ姉川古戦場を目指す。

 ■ 姉川古戦場・父を訪ねて3時間
 姉川古戦場の碑は野村橋という橋に近い。と、いうことで、「野村橋」というバス停で下車。運転手さんにも「降りるんですね?」と確認されたけど、ええ、降りるんです。
 と、降ろされた場所は田んぼのど真ん中。民家ナッシング!!
それはともかく、下車してまず視界に入ってこなくてはならないはずの碑がどこにも無い。碑どころか、姉川リバーは?と、いうか、野村橋そのものが風景に無いのだけど?手にした地図と照合しても、自分の現在地がわからない。いきなり道を失う。

 とりあえず、360度パノラマな景色を見渡せば、遠景に、ちょこっとした石が刺さっている。よく見る姉川の合戦の風景写真とは異なるけど、何となく森可成の華麗臭がする。森家ストーカーの勘だ(ちなみに、この勘のせいでよく道に迷う)。とりあえず、その石を目指した。
 歩いていくと、そこには「陣杭の柳」の説明と、傍には柳の大木があった。
織田家本陣に立てられた陣杭の柳から芽が出て育ってしまいました〜(拍手)。というもの。ここが信長本陣か、と、更に近くの山を見れば、茶臼山古墳の看板。茶臼山古墳と言うが、あそこは龍ケ鼻砦だ!織田信長はまさしくあそこから姉川を睨んでいたのだ!!うっきゃぁ〜♪
龍ケ鼻砦(遠方の山)
 織田信長の本陣。山中、奥へ奥へひたすら歩
けば、横山城へ行けるというスグレもの。
But、夏場はアタマムシの楽園。
  陣杭の柳 W世
信長本陣にぶっ刺されていた陣杭
から芽が出て、今4代目。
てか、これ、柳?


 龍ケ鼻砦は山の端の突き出したモコモコ感が本当に龍の鼻先の形そのもので嬉しくなっていく。きゃ〜!!!!もはや入り口も夏草の藪になっているが、看板を見ると、まさしく龍ケ鼻砦。ストーカーの習性で、とりあえず山に入る。

 夏草をなぎ払いながら奥へ奥へと登ってゆくと、アタマムシや蚊が飛んでくる。
(※アタマムシとは、一度目をつけられたら最後、しつこく人の頭を追ってくる小さな虫軍団。本名:ユスリカ)。そして、私が足を踏み出すたびに黒い羽のトンボが、ブワワワ〜ンと不気味に飛んで行く。Σ(゚□゚; ひぃいい!!!
地図で虫をバッサバッサあおぎながら進むけど、ついに、アタマムシが両眼に入る。
もしここで更に”おしりかじり虫”が食いついてきたら、私は骨だけになってガケから転落してしまう…思えば、真柄十郎左衛門も、きっとアタマムシを寄りつかせぬように、奮う大太刀の回転も速くなったに違いない。
進めど進めど、葉が生い茂っているせいで道がわからない。砦の特徴もわからず。ただ、このままでは虫のエサになるだけなので、今回は素直に引きあげた。

 信長の本陣近くにあった遠藤直経の墓
 遠藤直経は浅井長政の武将だけど、味方の首を持ち、織田方に成りすまして信長に近づき暗殺を企てるも、かねて遠藤を討つんだと言っていた竹中半兵衛の弟・重矩にバレて殺されてしまう。
からくも敵陣に潜りこんで「え?でも、お前、遠藤だよね?」と言われた瞬間のショック。

 ようやく国道365号がどこなのか判明して、地図の向きが判る。浅井の居城のあった小谷山や、小谷城攻めで信長が布陣した虎御前山も、どれなのかわかって嬉しい。国道に沿って、いよいよ野村橋のそばにある姉川戦死者の碑目指して歩く。と、言っても、目指す場所は敵・浅井長政本陣があったところ、道のりは長い。信長の本陣からたった徒歩3分で浅井本陣だったら、かえってショックだ。森可成がカップラーメンにお湯を入れ始めたとたん、敵が箸を持って襲ってくるに違いない。

 すでに龍ケ鼻砦で体力を消耗していた上、アスファルト道路を歩き渇しゆく。持っていた水は既に底をついていた。2Lペットの水を抱えてくるべきだったと後悔。 
ようやく姉川の澄んだ水を目にできた時は、ホッとした(飲んでないよ)。
 現地には戦死者の供養碑とともに、姉川の合戦の説明の看板もあり森可成の文字もあった。可成…あなたを慕う余りにここへ来てしまいました。
砦で見た黒い羽根のトンボがここにも沢山いてびっくりする。

姉川合戦各軍配陣図
クリックすると、いつか拡大するかも。
(この布陣は説のひとつとのこと。)
森可成の名も見える。

 森可成も奮闘したこの歴史舞台も今は田園風景の中にあり。
 森可成の娘聟になるはずだった坂井政尚の嫡男・久蔵は、当時16歳の美少年。父が退却しようとも己は踏みとどまって勇敢に戦い続け、この姉川の地で壮烈な戦死を遂げた。みんながそんな久蔵にあやかろうと記念に戦没地の土を採ったので、大きな穴ができたという戦国甲子園。それも、この田園風景のどこかに。

それにしても…次回は車で来よう…と思う(さすがに)。
 そこから、姉川沿いに歩いていく。もう一つあるという姉川古戦場の碑へ向うのだ。その先には、徳川家康も陣を敷いた勝山がある。そして、歩きまくった末に、だんだんと、嫌な予感がしはじめた。
いらんこと歩きやすい対岸を選んだけど、この先、姉川に橋がかかってないようなので、碑のあるほうに渡れない罠Σ(゚□゚; !!!!
「どうしよう、明日を信じて歩きつづけるか、それとも今のうちに手前の橋に戻っておくのか…。」って、また野村橋まで戻ったよ…トホホ…。次は車で、来るんじゃなかったのか、私。

 血原という地名が、戦の凄惨さを物語る。激戦地であった千人斬りの岡を歩み、もうひとつの碑にたどり着く。そしてまた黒い羽根トンボがしつこく飛び交う風景!!!!

 姉川で歩き倒すこと3時間。姉川の合戦がどんな規模の戦いだったか見えて来たのは収穫であったが、かなりのロスタイムで、本数の少ない貴重なバスを逃してしまった、いきなり帰れない。どうするのだ私。姉川で黒羽根トンボの研究をしながら余生を過ごすしかないのだろうか。
 とりあえず、最終目的地である朝倉軍本陣のあった三田村城跡に向かってから、帰る方法を考えることにする。

姉川古戦場石碑(三田バージョン)
探してみれば結局、何箇所にも生えていた
古戦場を示す石碑。
あなたのお好みはどれ?
三田村城跡
朝倉本陣があったといわれる城跡。
こんもり土塁っぽいのが残っていた。
今は伝生寺という寺院になっている。


 姉川へ来て、ようやく、人家の中にある場所を歩くことになった。目の前には自動販売機があり、涼を得るため抱きつきたい衝動にかられつつ(販売機自体は冷たくない)、ビタミンウォーターを買って一気飲み!!!ああ、生き返る!!この暑さに行き倒れかけているけど、今歩いているのはもう二度とは歩めない道かも知れない。最後の力を振り絞って歩め!
 と、再び歩きはじめたら、家の中から外を眺めていた方と目が合い、反射的にお互いに挨拶。よそ者の私がこんな所で何徘徊しているんだろうかと思われたに違いない。結局、そんな会話になった。私が「茶臼山古墳(龍ケ鼻砦)から歩いてきました。」と言うと「は?!」と言われて、福岡県から歩きに来たと言うと「ええっ?!!」
 交通の便が無いかと訪ねると
「無いから長浜駅まで送っていきますよ。帰りに寄ってください。」
と超・親切なことを申し出てもらえた。いきなり、こんなに話が上手く進んでよいのか?
 朝倉(景健)本陣跡は、土手の盛りあがりが城跡の雰囲気を残していた。それとは関係無いけど、その時気づいたこと。私は、龍ケ鼻砦で潰したアタマムシの死骸を、ずっと顔に張りつけたまま古戦場を巡っていたらしい。カガミを見れば、目頭にブチュっと潰れたアタマムシが!!!
 
 道の途中で”お市ちゃんタクシー”乗り場は途中で見つけたけど、行き先は決まっており、かつ、ジモティーにしか使用が許されない感じだった。
 都会では絶対に知らない人にお菓子をあげると言われても決してついていかない私だけど、先ほど出会った・ピー子さん(仮名)にお世話になった。会話をしているうちに、ピー子さんも戦国大好きなのだと知った。
 「虎御前山と小谷山を走って駅にお送りしましょう。」
Σ(゚□゚;
今回は、時間の都合で諦めていた虎御前山と小谷山。そこに車で向かってる私。こんなに話が上手く進んでよいの??この人、使者?ロマンスの神様が私に遣わしてくれた使者? 

それなのに「…雲雀山はどれですか!!!」と、自分の思いのあまりにまた変なインデックスを引き出してしまった…。

 雲雀(ひばり)山は、姉川の戦いになる前、森可成らが登って小谷山を睨んでいた場所。森家ストーカーの私にとっては、まず訪れたい場所、わがヒバリーヒルズ青春白書である。
でも、神様の使者に対して遠慮と謙虚さがないと嫌な人になってしまう。

うきき:「いえ、ご存知なければまた探しに来るので別に大丈夫です…すみません。」
でも、ピー子さんは道脇に車を止めて、友達に電話してくれようとした。
しかし、その車を止めた場所がまさに雲雀山の麓だった奇跡。

雲雀山
 
小谷城から間近な砦。古墳もある。可成らが
ここに陣取ると、敵が攻めてきたものの、その敵
を城に追いこみ、町を焼き払った。


 『信長公記』によれば、この雲雀山に織田の武将たちがゾロゾロ登っていたけど、そんなに大きな山ではなかった。ここいらでちょっとした戦いはあったものの、浅井長政は朝倉の援軍待ちでじっと城に籠っていた。つまんないので(?)、織田軍が姉川に陣を移すと、それに答えるかのように、ついに浅井・朝倉が姉川にやって来て決戦となる。雲雀山、今度来たら登ってみよう♪
 今日は時間が無いので、虎姫山も小谷山も麓の説明看板の写真を撮るだけ。
小谷山城跡の入り口には「熊に注意」って書いてあるけど。でるんかい!!そして、どう注意しろと言うのだ!!!(とりあえず、熊が追ってこないように、白い貝殻の小さなイヤリングだけは落とさないように要注意のこと!)Σ(゚□゚; ノノ

 熊出没看板を見た後に、腕のちぎれた人と、下敷きになった人の遺体が城の麓で重なって転がっていているのを発見してしまう。(゚□゚;
ピー子さん:「いや、自分もさっき見つけてかなりびっくりしたけど、あれマネキンだね。消防署が救助訓練しているみたい。」
怖いよ小谷城!!!

 

小谷城入り口で
いきなりコレ
あなたの愛が
今、試される!!


話が弾みまくって
「ついでに、山本山城跡も見て行きますか?」
山本山!!Σ(゚□゚;
 上から読んでも「山本山」、下から読んでも「まやともまや」。
この名前からして超・気にならずにはおれない山本山城は浅井の武将・阿閉(あつじ)氏の居城だ。お碗を逆さまにしたような形の山本山。ここに来る日が来ようとは(登ってはない)。強い人が大好きな城主阿閉貞征は、浅井を裏切って、織田についちゃうけどね!!

 どこまでも親切なピー子さんは「時間的に変わらないので、彦根城までお送りしますよ。」と、私の次の目的地・彦根まで琵琶湖沿いのドライブをしてくれた。その間にお互いの身の上話して、いよいよ彦根に入る。
うきき:「ひこにゃんに会えますかね。ひこにゃんに会いたいんです。」
ピー子さん:「黒くて目つきの悪い”しまさこにゃん”もいるよ。」
しまさこにゃん!!!!Σ(゚□゚;
 彦根城で降ろしてもらう。また、この湖北に来た時にピー子さんと再会を約束。
森家の旅路でまたよい人に巡り会った。

 ■彦根:ひこにゃんのエサ

 そして彦根城の城内に入ると、ちょうど、ひこにゃん登場終了との事。登場時間があるんだ。Σ(T□T; 400年祭は1年だけなんだ、もっと働け、ひこにゃん!!!!
私は博多からエサを持ってきたのに、ひこにゃんに手渡す事ができなかった。
ああ、その前に、このエサ(博多・二○加煎餅)を、ぴー子さんにあげればよかった…。…何で気が回らない私。しかも、よく考えれば、ひこにゃんは、井伊家のネコ。森家からすれば敵ではないか。それなのに、何をのぼせていたのか、私。


 400年祭で櫓の内部などを特別公開してあったのは嬉しかったけど、資料展示は大老・井伊直弼ばっかりだった。森長可を撃ち殺した井伊家には、何かその関連のトキメキ資料が展示してないかと思っていたのに、今は、彦根城は開国の嵐。
400年祭だから、もっと初代・井伊直政を出してぇ〜(TT)。
エサを「ひこにゃんにあげてください。」と、スタッフに渡して天守閣にあがる。さすがはリアルに階段が急だ。そして、出る道を間違えて、意図せず城周りの土手をぐるっと回ってしまった。
一番期待していた馬小屋は閉まってた。お城でスタッフに確認したら、「馬小屋だけは、城外にあるのでいつでも見れます。」とのことだったので、時間いっぱいに城の中を見たのに、馬小屋の扉が閉まって、肝心の中がどうなっているのか判らなかった〜!!(TへT)

 多賀神社(たぶん、森忠政と関わりがある。)と宗安寺(木村重成の首塚)も回ろうと思っていたけど、もう帰途につかねばならない時間。JRに乗りこむ。

彦根城
ひこにゃんがビリーズ・ブートキャンプを披露して
いた(実話)という、国宝・彦根城。
城の壁は赤くないね!!!
井伊直政像
森長可とも戦火を交えた男。
長可の眉間を貫いたのは、井伊家の鉄砲だった。
しかし、今は”ひこにゃん”に人気を奪われてしま
っている。

 揺れる電車の中で、ゆがみ文字で友に便りを書きつつ、今日もよい旅でしたとこの喜びを書き記した。ひこにゃんに会えずとも、森家があれば私は幸せ♪