森忠政の美作国で調子づく旅
2007年 in
津山
かっこいいアングルありなん我はまた 君の姿に足止めを食う |
3月9日(金) 美作や、久米の皿に、葬式パンが。 | ||||||||||||||
恐ろしくもこの度、私が講師として津山で森忠政を語らせていただける事になった…。 自分なんかに務まるものなのかと不安に思いながらも、津山に行く度にお世話になっているメンバーにカッコイイ私の一面を見せて『今までうききの面倒を見た甲斐があった。』と思ってもらいたく、お引き受けした。 なのに津山行きの前に私ときたら、ワードの原稿保存に失敗して16ページの文章を文字化けさせて今までの努力を一瞬にしてパァにするという妙技をやってのけた。意味をなしていた活字が、目の前ですべて「劫」と「□」に変わっていく光景を目にする驚きは、いるはずのない明智軍を本能寺で見てしまった時の驚きに似ている。
文字化けした次の瞬間に
そして、ホテルの部屋で、明日の練習。直前の原稿の書きなおしもしたのだけど、夜中の冴えない頭ではうまくゆかず、時間がないのにどうしようかと困惑している時に、兼山の師匠から不意に携帯メールが届いた。
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3月10日(土) 津山で講師の日(かっこよくデビュー予定)。 | ||||||||||||||
いよいよ講演会当日。 だけどやっぱり津山城跡に登らない事には津山に来た気がしないので、朝は団地猫さんに雑学(全部受け売り)を披露しながら津山城の中を散策した。 久しぶりのダイナマイトボディ忠政像にご挨拶。ドングリがお供えされていた。
以前、津山城で教えていただいて感動したのは、石垣に掘られし軍配マーク(下の画像にあり)。築城当時のものだ。団地猫さんにもその感動を味わってもらおうと探したのに、軍配マークが見つからない!確かにここあったと記憶している場所にない!あまりのオシャレさに、誰かこの貴重な石を石垣から抜き取ったのでは…探し回る間にお迎えが来るお時間が迫って来たので、軍配を諦め城を下り、ホテルに帰ってスーツ姿に変身する。
講演会の後にサイン会をしましょうと、主催者側よりのお話が。昨日もご提案いただいたものの、お断りしていた。…だって…もし、サイン会と言いつつ、誰も私に寄ってくる事なく終わってしまえば、これほどいたたまれない事はない。あまりの恥ずかしさに、泣きながら久米ガンダムに乗り込んで九州に逃げ帰ることになるだろう。いや、足パタ蘭丸にオンブしてもらって、あやされながら九州に帰る!!! |
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3月11日(日) あなたと~越えたい、杉坂越え~♪ | ||||||||||||||
津山最終日。今日はなごり雪も降っている。 「円明寺に再チャレンジしよう。」 …もう、あんな遠方までわざわざ足を伸ばすチャンスはもう無いかもしれない。ゆっきいさんの計らいで、ご住職にも会っていただける事になり、初日に留守で踵を返したあの円明寺へ再び。 その前に、ちょっと津山市内を観光。美作二宮の高野神社。2代目藩主の森長継が再建したという。津山の史跡に行くと、どこにでも森長継の名がでてくる。あちこちの寺社仏閣に何か建てまくっているそのマニアックぶりに驚かされる。 続いて院庄。太平記で名高い作楽(さくら)神社には、森家の家老である長尾隼人が建てた院庄碑が残り、漢字ばっかでよくわかんないけど、配流の身の後醍醐天皇を支えた備前の住人・児島高徳を称える。
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