端から端までづくしの  2006年

                                        (^。^)

 6月3日(土) 観音畑でつかまえて
 
 朝から師匠と車に乗って上恵土城跡に行く。城主の長谷川五郎右衛門が森長可に反旗を翻したため、長可に攻め滅ぼされた城だ。城というより多分、館(やかた)規模の建物だったろう。今回の旅はここにスタートした。

 「ここら辺です、先生。」
と、事前にチェックした地図でたどり着いたところは、普通の住宅街だった。この区画が城跡と思うけれど、それを示す看板も何もない。ちょうどその区画で農作業しているおばあちゃんに尋ねると、「城跡なんてこの辺にはにゃ〜よ。」と言われた。
 周辺を歩くと、土塁のようなものはある。が、これが戦国期に作られたものか判らない。あるいは、現在の住人が敵から家を守るために作っただけかも知れない。
 師匠が「あっ!」と長谷川五郎右衛門の供養塔を見つけた(看板なし)。氏神様と一緒にコラボして祀られていたのだった…。
 先ほど尋ねたおばあちゃんはああ言ったものの、ここら辺が上恵土城跡で間違いないようだ。3年前に区画内の本郷公民館建設の為に上恵土城の発掘調査が行なわれたというし、おばあちゃんはそれを見ていないはず無かっただろうに…うーん、興味がない人は、発掘調査を見ても、潮干狩りしているのだとしか思わないのかも。
上恵土城跡
の一角に建ってしまった公民館。発掘調査で柱
や茶碗が出土した。
実際には城跡の区画はまだはっきり特定できて
いないらしい。


 30分を予定していた史跡が3分で終わり、次の目的地・駄知へ向う。
「この分だと、午前中で史跡めぐり全部終わっちゃいますね。」と笑った1分後くらいに長保禅寺という看板が見えて叫んでしまった。
車を止めさせたものの、その寺が何に関係あるお寺だったのか思いだせなかった。ここをどこかと尋ねると、久々利だと言うのでようやく、自分たちが久々利城下にいて、ここは長可に攻め込まれた久々利城主・土岐悪五郎の菩提寺なのだと悟った。それでお寺に行って見たものの、お墓らしきものは無く、ご住職もいらっしゃらなかったので詳しいところはわからなかった。残念!
 近くに可児郷土歴史館があったので資料が無いかと師匠を駐車場に残して短時間のつもりで立寄ったら、伝・土岐悪五郎の兜があった。欲しい資料が色々とあって、コピーで1時間くらい粘ろうと思ったけど、今日は師匠と一緒、お待たせするなんてそんなワガママが…きっと許されるような気がする。
 コピーの間、師匠に館内で待っていてもらおうとすると歴史館の方々が「あれ、先生じゃないですか?」「あ、あぁ。」とみんな知り合いで久々に再会したらしく、歓談し始めた。よかった!間がもった!!神様ありがとう!心置きなくジャーコジャーコとコピーさせてもらった。
 

 予定外だった久々利を去り、今度こそ駄知へ。前回見つけ出すことができなかった、瀧ケ洞にある森長可の観音様(瀧ケ洞観音)を探しに行くのだ。加藤彦右衛門という家臣に長可がプレゼントした霊験あらたかな観音様が安置されている、これが見たいのだ(森家史跡参照)。今回は、教育委員会に地図ももらったし、写真ももらった。『可児のむかしばなし』コピーももらった。完璧だね!と意気揚揚、瀧ケ洞の山に登ったら、観音様の石像が100体くらいあった。江戸時代にどんどん追加されたみたいだ。余計なことを…。
師匠、数えてる場合じゃないです!!! 
 しかし、眼前にある観音様はどれも写真のそれとは符合しない。さまざまな形の観音様が山中の色々な場所にある。岩に穴を穿って安置されていたり、登れないような巨石のてっぺんに安置されていたり。長可の観音様がすぐに見つかれば何とも思わなかったのだろうけど、配置が自由気まますぎやしないか…。しかも、やっかいなことに、数年間人の足が途絶えていると見え、道がなくなっている上に草が繁り、クモの巣ばっかり。それをかき分けながら山中を歩くのは大変困難だった。
 左手の奥に何かあると見つけて進むと、大きな洞穴があり、暗いけど確実に奥に観音様がいらっしゃる!この価値観!これか??!と、喜び勇んで穴の中に足を踏み込んだら、闇に隠れて生きていた沢山のコオロギが一斉にはねあがり、私の肌にガンガンぶつかってきた!
「ギャアアアアアアアアア!!!」
当たった!頬に当たった!ゴキブリの親戚に触ってしまった!!!最悪だ!!
師匠の所へ泣き戻ったら、師匠はミツバチに囲まれている。うう…蟲は怖いけど、あの観音様が長可の観音様であれば、私はきっと逃げたことを後悔する。勇気をふりしぼって洞穴に戻り、デジカメのフラッシュをたいた。撮影画像で観音様の姿をチェックしたところ、赤ちゃんを抱えた観音様が写っていた。
「み、水子観音!!!!!水子観音を撮影してしまった!!!Σ(゚□゚; (震)」
 この時点でかなりダークブルーだったけど、先生を八十八ケ所観音に残し、私はもっと山の上のほうに登った。さらにスゴイ竹やぶの世界。竹やぶを肘で押しのけ、しならせたその竹が反動で戻ってきてビンタを食らわされつつ、負けるものかと道を進んでいくと、やがて見上げるほどの巨石に彫りあげられた磨崖仏が姿を現した。大ボスの登場である。この大ボスはレベル490もあり、ギラ系最大の呪文ベギラゴンでもダメージを与えることができないので注意が必要だ。
…って、その背後にある寺のような建物も崩壊してペチャンコになっているよ…。結局、肝心要の長可の観音様をどこにも見つけ出せずにボロぞうきんのようになって山を下りた。車の中でお茶を飲もうとバッグを開けるとクモが入っているし!!!ベギラゴン!!!

瀧ケ洞観音磨崖仏
東美濃一の大きさを誇るらしい。


 最終目的地の兼山へ。兼山最古の寺と言われる大通寺へ行く。森家が金山に入る前から存在した寺、でも本堂は最近の建築でピカピカだった。実は兼山の端にあるこの寺には私はいつも素通りするだけだったので、今日こそは、と立寄ってもらったのだ。斎藤正義や森家のことを描いた古文書『金山記全集大成』もこの大通寺にある。その寺の向かいには戸立観音というお堂があって、観音様の石像が何体も安置されていた。
今日、あれだけ多くの観音様を見ておきながら、また更に追加されることになるとは…。
 

大通寺 戸立観音


 蘭丸振興会の方々が可成寺で明日の供養祭の準備中というのででかけてみた。
森家のお墓参りをすませた後、本堂へあがらせてもらい、振興会の皆さんが働くスキに森家のご位牌をじっくりと拝見させていただいた。

 そして今回、私も参加させていだただいた蘭丸イラスト展の会場へ。壁にある画像がすべて森蘭丸というのもすごいものだ。種種多様な森蘭丸。みんなの心の中には、それぞれに美しく、それぞれにステキな蘭丸が住んでいるのだろう。自分の絵を蘭丸の故郷へ飾ってもらえるなんて、ファンにとってはとても嬉しいことだ。
私、大きな絵になってしまったので、ひとり張りきりすぎて恥ずかしいやと思いきや、皆々並々ならぬ気合が入っていてすごかった。こんなにも愛されているんだね、蘭丸!

 それから師匠の家で最近発見された古文書や、研究成果を拝見した。

 ホテルへ帰る前に金山城の展望台から夜景を楽しむ。前回登った時は霧がかって真っ白で、それはそれで幻想的だったけど、この夜はこの夜で、美しい夜の街あかりの風景が望めた。
お金で買えない贅沢がここにある。

蘭丸イラスト展
愛がいっぱいのテリトリー。
 6月4日(日) 日本のゴミ問題とともに長久手方面へ進軍

 早朝の兼山に降り立つ。兼山湊で「つぶつぶぎっしりグレープフルーツゼリー」を食べようと石の坂を下りていたら、濡れた石で足を滑らせおケツを打ちつける。でも、「つぶつぶぎっしりグレープフルーツゼリー」絶対には手放さない!!
木曽川の流れを眺めつつ デザートを食べ、いざ、出発。

  町を歩いていると、朝7時になるかならないかの時間なのに早起きな兼山の知り合い2人にも会い、何してるのかと尋ねられた。どう見たって私は楽しく観光中であります。さて、大手道を登って金山城へ向う。
 誰もいない城への山道をたまにムーンウォークしながら登っていたら、黒い影が「ギャー。」と言いながら崖の草むらを揺らしてどこかへ去って行った…。
この思いがけぬものにびっくりしてしばらく突っ立っていたけど…何だったんだろう。去年の秋にはガケからシイタケ採りのスーパーマリオ親父が登場したけど、今日のはどうもマリオ親父ではなさそうだ。
 爽やかな汗をかきながら金山城の山頂でくつろぐ。これから可児市が発掘調査を行なうというから、ずっと見なれたこの場所も、また来るたびごとに変わっていくのだろう。

 山をおりて林家の菩提寺の常照寺へお参りをした後、蘭丸供養祭の開催される可成寺へ。RANMARU!でもお馴染みの団地猫さまや、関東から無理矢理車を飛ばしてきた瀬田(子連れ)さまと再会。イベントで顔なじみの方々ともお会いできた。
 今回の目玉は何と言っても、筑前琵琶の奉納演奏が聴けたこと。
題名は「森蘭丸」と「本能寺」。

嗚呼 我君已(すで)に失せ給ふ 我も又数ヶ所の痛手身に負いて

万身の紅血(こうけつ)流れて止まず

玉骨(ぎょくこつ)遂に砕く奮戦場

憐れむべし紅顔の美少年

遥かに拝せば本能寺は煙となる

涙潜々(さんさん)我が事終わる


 私の好きな頼山陽の詩(アレンジされてたけど)にのせて揺さぶるような歌声と琵琶の音を間近で聴けてしばし想像の世界に浸ったひととき。

ああ豪邁(ごうまい)の信長が 空をも覆はん大鵬(たいほう)

図南(となん)の翼の中空(なかぞら)に 燕雀(えんじゃく)のため悩まされ

終世の望み絶えたるは 獅子身中の蟲に斃れたる

 それから、歴史講演会を聴き、”いかだ屋は儲かる”、”道一本で名古屋の街は変わる”という知識を蓄え、締めの烏峰太鼓でグランドフィナーレ♪

 団地猫さんの車に乗せてもらって、隣町でお昼ご飯をご一緒した。お店のメニューに”インディアンスパゲッティー”というのがあったので、カレーだろうか、と言いつつ頼んだら、やっぱりスパゲッチーにカレーがのってやってきた。食事をしながら今後の予定を話し合う。

団地猫さん:「車では行けない所にいきましょう!」
うきき:「車で行けないところといえば、……瀧ケ洞の山の中で長可の観音様とか…」
団地猫さん:「車でしか行けない所にいきましょう!!」

 皆にお別れを言うために一旦、兼山に寄ってもらった。供養祭の間、甲冑の着つけサービスで頑張っていた じーやさんと、うーろんさんが後片付け中だったので、お疲れ様と声をかけた所、「うききさんも着ます?」とのこと。
いいの?いいの?と言いつつも「とがったの、とかったの!」と、兜がとがった可成甲冑を着せてもらい、団地猫さんは森蘭丸の甲冑を着せてもらった。だけど、可成の甲冑は男用だから、女の私には兜がブカブカ。その上飾りものが大きいので、頭のバランスをとるのに必死。しかも甲冑は初めてでどうにも自由がきかない。わ、隣を見ると団地猫さんも身動き取れてない(笑)!そしてさらに団地猫さんはその手にお饅頭を握りこまされていた。
抜刀の仕方を教わったり、太刀と刀の違いも聴いて、色々とよい事を知って兼山を去る。

 団地猫さんに小牧城へ連れて行ってもらった。織田信長が築城し、小牧長久手では徳川家康がいらんこと占拠した小牧城。かなり昔に一度訪れた時と違って小牧山の麓はしっかり整備されて、曲輪や土塁に囲まれた憩いの広場になっている。まずはそこをのんびりと散歩していると、小牧城の入城時間は16:30までという表示を発見。そして時計を見ると、現在16時。
 それからは2人、もう大急ぎで山城ダッシュ!!!うききさん、そっちじゃない、と言われながら大ダッシュ!途中、遊園地の話をして場を和ますことも忘れずに階段を駆け上がり、汗だくになって天守に到着。残り時間はあとちょっと。小牧長久手合戦関係の展示だけを見ることにし、2階へ登ると、あら嬉しや、森長可のケツアゴ肖像画が目の前にあった。「非常に美男子だった」という説明がなされていて満足である。
 更に面白そうな小牧長久手の合戦ビデオがあるけど、ラブラブカップルが長椅子に身体を寄せ合い見ていたので、ビデオを見るのは後回しにして、他の展示を先に見てもう一度ビデオのところに戻っていくと、ラブラブカップルが身体を寄せ合いもう一回ビデオの上映ボタンをポチットな。お嬢ちゃん、あんまり見すぎると長可に惚れて、隣にいる男なんてどうでもよくなるぞ……。
 私達はカップルの背後霊と化して一緒にビデオを見た。閉館のお知らせが流れて、さらに館の人がやってきても、団地猫さんが「アニキの眉間に弾が当たるまでは」と粘ったので(どんな区切りだ)、私も粘った。ついでに言えば、ラブラブバカップルもよくわからん健闘を見せて粘りに粘ってビデオに張りついていた。
 うききさん、そっちじゃない、と言われながら、再び城の麓まで戻って広場を見学した。信長時代の井戸跡や、土塁の断面カットがあった。

小牧城 黒いブツブツを放出中。

小牧城井戸跡
今は、なみなみと砂利をたたえている。
 
  小牧城土塁地層
あなたはどの層がお気に入り?
 

 もうすっかり夕方だけど、森長可が陣を張った小松寺に連れて行ってもらった。とても大きなお寺らしいけど、すでに門が閉ざされている。諦めきれずに寺の石垣に駆け上がったり(よい大人はマネをしないでね)していた。門の横の通用口があったので恐る恐る開けてみたら、カギがかかっておらず、何だか入ろうと思えば入れるようであったし、たとえセコムが駆けつけて来ても、昨日見た100体の観音様が私を守ってくれそうな気もしたので、許しておくれよとドキドキしながら通用口をくぐったところ、何故か寺の中には参拝客がいた。寺の入り口の門戸は固く閉ざされつつも、境内の中には普通の一般道から道が伸びてきており、24時間・超出入り自由なのだった。 先ほどの門前での葛藤は何だったのだろうか…。

小松寺
小松寺砦に陣を敷いた長可が小松寺に宛てた
軍陣制札が残っている。


 しかし、寺の境内には本堂や文化財の説明書きはあれど、長可については何も触れられていない。隣にも神社があるようだから、と団地猫さんが先に神社に行き、私は小松寺の写真を撮りながらのんびりと後から神社へ向って行った。そして寺の出口にふとゴミ箱が沢山並んでいるのが目に付いた。

小松寺ゴミ箱@
マナーは大切。骨つぼはきちんと
このゴミ箱へ捨てましょう。
となりは容赦なく空き缶ゴミ専用。
小松寺ゴミ箱A
古い卒塔婆、遺骨の木箱用ゴミ箱。

!!!!!!!!!!!!!

 神社から団地猫さんが満面の笑みで手招きしている。さては長可に関する何かを見つけたのだろう。それももちろん気になるけれど、しかし、私は私でゴミ箱に目が釘付けだ。これは夢か…?団地猫さんにも見せておかねばと、彼女をゴミ箱にいざなった。

 神社の境内には小松寺砦跡の看板があり、ちゃんと長可のことにも触れていた。さっそくそれをデジカメにおさめようと思うけれど、ゴミ箱のことが頭から離れず、笑って手が震えてしまう。

小松寺砦跡
砦は二ヶ所あったそうな。


 それから、森長可が長久手へと至る進軍コースを車で走ってもらった。更には長可の通った庄内川大日の渡し大留城跡に連れて行ってくれるとこのことでウキウキしていたのだけど、私は今日、福岡に帰らなくてはいけないので、帰りのチェックも怠ってはならない。これ、旅の常識。

「私、7:30の新幹線に乗らなくてはいけないけど、大丈夫よね?」
「え?」

 尋ねている時点でもうアウトだった。高蔵寺駅に走ってもらって駅の構内を大ダッシュで8:30の最終の新幹線の切符を買いに行く。切符は買っておいて、夕闇迫るなか、団地猫さんがギリギリの時間を使って庄内川まで車を飛ばしてくれた!!!時間との戦い。ああ、長可もここを通ったのねーーーーーー(とか考える暇なかった〜)!!!
「あれが大日の渡し。」
パシャ!パシャ!
「撮った!(撮れてませんでした。)
車を飛ばして再び高蔵寺駅へ!!お世話になった団地猫さんに別れを告げて大ダッシュで駅の改札口へ!!何とか最終の新幹線に間に合うように名古屋駅へたどり着くことが出来た。

 ようやくひと息ついて、帰りの新幹線の待合室で駅弁を買っていたら、傍に大きなTV画面があって「そちが、いつ骨を折った?」「骨を折ったのはこのワシじゃ!」と、何だか骨折の話をしている。…この聴き慣れし声は…と画面を見ると、NHK大河。舘信長が光秀を蹴飛ばして光秀が転がっていた!!!!大スクリーンの迫力!!!森蘭丸(渡辺大)の視線が痛い!!
 
 …端から端まで、森家いっぱい。どうもありがとう。