津山の重箱の隅をつつく旅 2005

                   (^^ゞ

4月1日(金)うきき、会社で暴れる

今日は、経理の締めがある上に、5時30分で帰りますよ!とあれだけ言ったのにぃぃぃぃぃ!!!
印鑑を押すべき管理職が泊まりでどっかに行ってらぁ!ボカぁ、びっくりしたね!
結局、管理職を出先から呼び戻して、死に物狂いで書類を仕上げて、後のことは上司に押しつけて
任せて、私は旅にでる。
天神バスセンターから岡山行き夜行バスに乗車しようとしたとたん、地震が起こった。バスセンターは
総ガラス張りで、グワワワワーーン!!と鈍いガラスの音が揺れとともに建物中に響いた。ぎやふん!
無事、岡山にたどりつけますように!!バスの中でニュースを見たけど、岡山の天気、明日は雷雨。
ぎゃふん!明後日は雨。ぎゃふん!!地震速報よりも、岡山の天気にショック。

4月2日(土) 稲葉ママンは商売上手  

津山の朝、くもり。ハナちゃんとしまちゃん、そして森家にお詳しい”ゆうさん”が特別出演で出迎えてくだ
さった。
久々の再会!そしてその感動も覚めないうちに、ハナちゃんが
「私、春のソナタ(ミニコンサート)を聴きにいくので
抜けます♪」
と、いうことで残された3人で本屋の旅。
私が『美作太平記』が欲しいと言ったから、今日は私の美作記念日。
3件の本屋を回って、しまちゃんがどんどん郷土史本を掘ってきてくれるものの、お目当ての本が見つか
らないので、ミニコンサート会場で酔いしれていたハナちゃんを連れ戻しに行って、車で遠方の本屋へ。
出雲街道を抜けてもらった。昔懐かしい風景が続く。道がかぎ形になった「まがり」もある。おお、津山藩
主森忠政もこの道を通ったのね!!

街道沿いの津山洋学資料館なる建物に寄った。いきなり宇田川玄真先生の上半身像が迎えてくれるナ
イスな場所だ。そこで津山の洋学関係の資料を見学。ゆうさんの非常に濃厚な学術的説明に耳を傾け
つつ、「わぁ、この絵、おたまじゃくしみたいでカワイイ♪」と、私は美術的な観点でも、展示物を見ていた。

その後、玉琳塚がこの近くにあると聴いたので足を伸ばしてみた。森忠政が津山城を築城している時に、
色々と異変が起き、それをお告げを以って助けたのが、河内玉琳という修験者だという。その彼の塚が
小高い場所にひっそりとあった・・・と思ったら、そう、ひっそりでもなく、なぜか畳敷きの小屋の奥にいき
なり塚があり、その小屋の天井には、お祭りで使ったと思われる用具が隠してあった。ここで何が行なわ
れるのか?
    玉琳塚は畳敷きの建物の中に。
写真手前にある塚も古い時代のものという。


そこを下ってちょっと行った所に、森家には関係ないけど、B'zの稲葉浩志さんの生家と母上のお店イナ
バ化粧品店
があったりする。予想通りに、店内は稲葉ファンでごった返していた。店内の商品を見ると、
化粧品に稲葉さんのプリクラや生写真がついている。抱き合わせですか!ママン!Σ(゚□゚;
稲葉浩志さんがもらった津山市民栄誉賞のたてが飾ってあった。しっかりと、津山城と鶴がデザインされ
ているぞ!
もし、稲葉さんご本人に会う機会があれば、じもてぃーとして森忠政をどう思われておいでかお話ししてみ
たい。
先ほどまでは私は修験者の塚に感激し、津山初代藩主に胸キュンしてしまう歴史ファンだけど、しばし
稲葉ファンの女性達と溶けこんでみた。その後、本屋で念願の『美作太平記』を入手。

その後、定期的に燃えるという弥生式住居で遊び、お昼には「みぃ」さんと合流してお昼ご飯。
みぃさんは、津山市民ミュージカル「石の記憶」で妙向尼役を演じていらっしゃった方で
「今日のミュージカルでは、忠政の妻、”お以和(於岩)”の役です♪」との事。

午後は美作一宮(いちのみや)の中山神社へ。この聖地は杜(もり)に囲まれ厳かな雰囲気の・・・
「あーっ!台風で杜が全然なくなってる!!!この辺暗かったのに!!!」・・・・らしい。
津山城から移築された四脚門と二代目津山藩主の森長継寄進の石燈篭を拝観。

中山神社  
柵があり傍では見れない森長継寄進の石燈篭 津山城門より移築の四脚門



その後、ゆうさんオススメの
本光禅寺に行った。私の虚言ナビでハナちゃんの運転を惑わしながら・・・・。
本光禅寺は門前にオタマジャクシの生息する池を構え、風光明媚な感じであった。
長継お手植えのギンモクセイもある。松とかじゃなく、ギンモクセイというのがおシャレじゃないか!それ
から、津山の中心街へ戻り、森可政(忠政叔父)の菩提寺・寿光寺や、可政の妻の墓があるという妙法
へお参りした(現在墓石不明)。
その後、今日の寺ハイライトとして、妙向尼のゆかりの妙願寺へお参りした。

そんなこんなで寺めぐりをしていたら、今日の野外”みゅーじかる”の時間になった!!遅れじ、と津山城の
石段をかけ登った。今は津山の桜まつり期間である。
そのイベントのひとつ、みゅーじかる「今宵お城は四百年目の星まつり」を観劇するのだ。
桜まつりだけど、桜は咲いていなくてまだつぼみ、星まつりというのに、星はでていない。
どういうことだ!!!ショック!ショック!!
それでも、昨日の「雷雨」の天気予報を思えば、屋外”みゅーじかる”を観ることができるのも奇跡。
それにつけても、ホッカイロが要るほど寒いとは思わなかった。寒いとは聴いていたので、福岡から張り
切ってセーターを着て出発し「でも、暑いや失敗した・・。」と汗ばみつつ津山に来てみれば、津山寒すぎ!
夜の石垣に囲まれて、ライトに浮かび上がる子供たちや森忠政や、妻のいわ、の演技を堪能している間
私の心はホットなのだけど、身体は寒いので、ごそごそ上着をまさぐり、しまちゃん寄進のカイロを腰にさ
しこんで貼る作業をしながら観劇。

前回の”みゅーじかる”では、「眠れ〜♪」と優しく歌い、蘭丸や坊丸、力丸、そしてハナちゃんを眠らせてい
た妙向尼役のみぃさんも、今日は忠政妻として、ラブラブアベックで、最後は、出演者みんなでグルグル
と輪になって踊っていた。ああ、あの中にさしこんででもらえたら、暖かいだろうに。
公演が終って、城内に完成したばかりの備中櫓に走ったけど、石垣から明かに私を警戒した警備員が出
てきたのでUターン。明日の朝に出なおしだぃっ!みゅーじかるの出演者の方々と記念撮影に及んだ。
その後、出演者も交えて、「うききを囲む会」を催してもらい、濃い人々に囲まれながら、夜は
更けて行った。

4月3日(日) 君は、こんな厳しい時代に生きた

天気・晴れ。今朝は、8:30に森忠政前に集合だった。1番のりがしまちゃん。2番のりが私、3番、ゆうさん。
・・・・・・・・・ハナちゃん!!!!!(うきき疲れ?)
でも、とっとと3人で津山城へ入城した。入り口から、既にゆうさんは、歴史スイッチオンで、プロフェッショナ
ルに城の説明をしてくださっている。ここに番所の屋根の跡が!ここは日本一大きな表門!ここは兵を裏
からまわせるように道が走っていて・・・・そういった城の防備などの解説を聴きながらゆっくりと進み、そし
て我らは ひとつひとつの幅も高さも違う城の石段を登る。この均等性のなさは、ワザとなのだそうだ。
ゆうさん:「この石段は敵が攻めてきても、かけあがればつまづくように計算されているのですよ。」
その石の配置ひとつひとつからも、忠政の生きた時代がいかに生き残るに厳しい時代だったかを感じさせ
られる。
そして、忠政の命を守らんとしたその石は、今なお、私達を転がそうとしながら見守っているのだ。
私達が石段をのぼりつめた頃に「遅れてごめんなさい。」と、ハナちゃん登場。急げ、ハナちゃん!石段を
かけあがってみそ!!(そのうち、津山城の詳細ページつくります。)

今年、復元完成したばかりの備中櫓へ入った。備中櫓の名は、忠政の娘聟、池田備中守長幸にちなんだ
と言われている。木の匂いも新しく、嬉しいほど新品である。
この建物は石垣の形にあわせて建物が造られたため、直角な場所がなく、たとえば柱や畳もイビツな台形
に切ったりしなくてはならず、完成までに相当なご苦労があったそうだ。昔の大工も大変だな・・・。そして、
新品のはずの木の柱は、ヒビが入り縦割れしている。Σ(゚□゚;
ゆうさん曰く、当時は背割り技術(柱が乾燥で割れるのを防ぐために、あらかじめノコギリで裏に割れ目を
入れておく)に気づいていなかったらしく、ワザとそうしているそうだ。では、昔の津山城や金山城、安土城
の柱も、ビキビキッと縦割れしていたのだろうか・・・。信長は柱の縦割れを全然気に留めず、
「安土城は天下一の城じゃ。」とか言っていたのか。
復元された備中櫓 2階部分、壁の模様は鶴丸


そして、お昼時、私の心は桜まつりのヤマメの塩焼きにむく。われは海の子なので、川魚が珍しくて仕方
がない。どんなにか大名刺しのヤマメの塩焼きに憧れをいだいたことであろうか・・・・・・。結局、山菜おこ
わを買ったりして、そのままお昼ご飯に突入。ポカポカ陽気の津山城跡での楽しいひととき。
「これで、桜の花が咲いていれば・・・。」
「おとっつぁん、それは言わない約束でしょ!!!」
「桜が満開の時、ここから櫓を撮るのがベスト・ショットなんですよ。」
「おとっつぁん!それも言わない約束でしょ!!」

それから城下にくだり、歴史民俗館「目で見る津山藩の隠された歴史と文化」展で森家関係の展示を見
て、津山郷土博物館「津山松平藩とその系譜」と、特別展を渡り歩く。松平家の熊毛の大身槍は、黒毛と
白毛が対だったのだけど、白い毛はシロクマだという話になった。シロクマ?!あの時代の日本にシロク
マ!ツキノワグマの胸元の白い部分の毛を集めて作ったんじゃないの?!ええっ?!シロクマですか?
!と私は言っていたけど、よく考えると、織田信長が、いつか馬揃えで、しっかりシロクマの腰蓑巻いてい
た。どこで仕入れた、シロクマ〜!!!九州ではかき氷の事です!!
驚いたことに、博物館入り口で、しまちゃんが森家関係の書籍を捜してくれていた時に、いきなり激しい雨。
Σ(゚□゚; あわわわわ!まだ津山城跡にいたら、雨宿りする場所もなく、腰蓑の中までズブ濡れになるとこ
ろだった!!
ハナちゃんが折りたたみ傘で豪雨の中をダッシュして車をとりに行ってくれ、博物館前につけてくれたの
で乗りこんだ。すると、雨は上がってきた。今日の登城を案内してくれたゆうさまとは途中でお別れして、
残った3人、旬菓匠くらや(B'z稲葉さん兄の店)でパフェタイム♪
「これからどうしようか?」と相談していると、外は再び稲光が走る。雷鳴轟く中でパッフェを食べつつスケ
ジュール相談していたところ、奥津へのドライブに決定♪

走行中の車の窓より、黒澤山の看板発見。「黒澤山ってこの辺なのね・・・。」とつぶやいていたら、ハナち
ゃんが急に笑い出して、黒澤山の山頂の萬福寺へ連れて行ってくれた。軽自動車がウンウン頑張ってく
れて急高配の山を登る、下天を見渡せば、雲海が出てる。あの・・ガードレール、ないよ。いいの?!!ど
こまでも上!!!
寺では、ご住職と奥様が優しくお出迎えくださり、森家との関わりや、周辺の森家関係の史跡と言い伝え
など、色々とお話くださった。今は博物館に保管されているが、このお寺宛てへの森長継の書状が現存
する。
ご住職:「元寇の時にですね、」ターイムアップ!!!!!もう、うききは地震の続く福岡県へ帰らねばな
らないので、悔しいながらも、数十分で下山することになった。
突然手ぶらで現れて、もう時間ですから、と帰っていく無礼な私にもかかわらず、お寺さまは手土産を持た
せてくださった。
そしてハナちゃん号、津山駅へ向ってまっしぐら。
速い車にのつけられても急にスピンかけられても恐くなかつた〜♪

桜はつぼみでしたが、心が満開になるようなみなさまのおもてなしでした。津山のみなさま、本当にどうも
ありがとうございます。
また、津山へ遊びに行った時はよろしくお願いいたします。
今度こそは、桜の花の満開の下で星祭り!!m(_ _)m

HOME