*君は、森忠政に逢えるだろうか?*
(・o・)津山ツアー(゚-゚)
2004年10月30日(土) 初日、ほぼ筋トレ | ||
余りのひとけの無さに、自分の知らない間に日本列島に何か大変な事がおきて、みなみな 家を閉ざして息を潜める中、私だけ何も知らずに表を徘徊しているではないかと思うことが ある。 JR誕生寺駅を降りてから、そんな気分にさせられた。更に誕生寺駅は無人駅どころか、 切符が売ってない不思議。切符が欲しければ●●さんの家に行って買わなくてはいけない のだ。 ましてや、コインロッカーなんてこの町には存在しない!!旅行の荷物をすべて抱えて行動 しなくてはならなかった。誰もいない町。私は重い荷物を赤ちゃん抱えしつつ・・・ 今回の津山旅行の始めは誕生寺だった。 法然上人が生まれた場所に、弟子の熊谷直実がこの寺を建立した。後年、森忠政の長男・ 重政と、養母・大野木さまが埋葬され、森家の菩提寺ともなっている。 忠政がこの誕生寺内に大野木様の為に建立した生光院御霊屋は、何故か八百屋お七の絵 がバーンとつけてある観音堂に変更されていた。 (ご縁あって八百屋お七を供養なさっているそう。) 津山駅に着くと、津山在住のハナちゃんとしまちゃんがお迎えに来てくれた。お昼を食べた 後は津山城石垣の石を切り出した石山山頂の石山寺へ連れて行ってもらうことに。 なーんか、車で道を横一本間違えて民家に到着。それでも、誰も引き返そうとせずに山道を 登った。山道といいつつ、先の台風のすさまじき爪あとが見受けられ、木々がなぎ倒され、えら いこっちゃ、という事になっている。ヘビもいたよ。これを進むことは、スーパーマリオみたいだ。 しかも4面。
そのえらいこっちゃをくぐり抜け、飛び越え、潜り、のぼり詰めたらなんか燃えていた。 そこがすでに石山寺の境内だったのだけど、あまりにも木々に覆いかぶさられて寺に到着して いることがわからなかった。私たちは裏道を上ってきたようだ。 寺に登る階段も倒れた大木でポッキーのように折れ、ガチャガチャ。 この寺の見所は石垣を切り出した跡を見れるところのはずが、裏道がブチ壊れている事のほ うが圧巻だった。 山を足で降りて、車を放置しておいた民家へ戻った。そこから寿光寺へ。赤い山門の目立つ そのお寺は森忠政のおじさん・森可政の菩提寺。可政おじさんは、昔、森長可(忠政兄)にブ チ切れることがあって一時期は森家を離れたものの、後年、忠政に呼ばれて津山へやってき て家老として余生を送っている。これが墓?あれかも?と話して判らずご住職に尋ねたところ、 ご位牌と子孫の墓は残っているものの、可政ご本人の墓はないとのこと。(京都の建仁寺に お墓がある)(:_;)でも、色々とお話が聞けてよかった。 その後、門戸に建てばそこは線路というスリリングなお宅へ連れて行ってもらって、その後にス フレの専門店に連れて行ってもらい、石山寺参拝でカロリー減らした分、カロリーを補給。 残りの時間は津山市立図書館でしまちゃんに郷土史料を探してもらいながら、コピーコピー で時を過ごした。 夕食はお客様も呼んで、みなさんで和食をいただいて、その後はわざわざ宿泊先まで送っても らった。 ホテルで心地よい疲れをお風呂でとるべく、お風呂セットを出して気づいたこと。 Σ(゚□゚; け、化粧落とし忘れた!!!しかも、ホテルにはボディーソープしか置いていない罠。 是非に及ばず・・・ボディーソープで顔を洗い続けた。ガシガシガシガシガシガシガシ・・・・・・。 さすがにボディーソープでは顔がバリバリになって突っ張ってしまい、乳液をタプタプにつけて 就寝。 |
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10月31日(日) 森家のミュージカルだっ! | ||
朝早起きして、どっかの喫茶店でモーニングを食べて、ひとり朝の津山をうろついた。特別展 の「森忠政」展を見るべく、開館前の津山郷土博物館の前で、超ハリキリながら、今か今かと扉 が開くのを待った。フロアいっぱいに広がる森家の展示!!森可成の甲冑から、長可の遺言状 から、忠政の楯〜!!!!もういっかい、忠政の楯〜!久々に拝見したものも、初めて拝見した ものも、もう、360度森家という幸せ。誰もいない館内、いつまでもここに暮らそう、と嬉しかったの に、途中で恐怖のおばちゃん軍団がやってきて、展示を見るのはよいけど、おしゃべりのけたた ましいこと。 「うわー!この人死んだんやて!」 「うわー!この人も死んだんやて!!」 「うわー死んだんやて!!墓があるんやてよ!ところでミヤコちゃん家にはバスで行くん?!」 ・・・400年たっているんだから戦国森家みんな死んでいるだろう・・・・・。そんなに元気なら、ミヤコち ゃんの家には歩いて行くがよい。 いいものを見たという神妙な気持を削がれたくなくって、私は止む無く図録を4冊購入して、表へダ ーッシュ!! 津山城跡へ行くと、石垣になんか垂れていた。城内でアート展があっているらしい。
いつものように、巨大な石垣の群れの中、石段を登っていくと、ここにも台風の爪あとが・・・・。 台風の被害で半分を見学できなかった!ショック!(TT)櫓の石段も『はしっこをふまないで。』 みたいな注意書きが。はしっこを踏むと面白いことが起きそうな気がしつつも、石段の真ん中 を踏みしめて櫓に登り、お茶をのみのみ、津山の下界を見下ろしていると、俺の方が上にいる ぞと、トビがピーヒョロロ♪♪と頭上を旋回。 そのうちに、しまちゃんから電話がかかってきて、城下で、ハナちゃんとしまちゃんと合流。 今日も厚かましさの限りを尽くしてお世話になる。 中華のランチを食べて、久米町のガンダムを車窓に観ながら、鏡野町へ向った。町内の真 経(さねつね)という場所には、森忠政の長男・重政が療養の末、26歳で亡くなり火葬された 場所がある。祠があって森大膳亮重政にちなんで”大膳さま”と呼ばれているらしい。 (墓は昨日訪れた誕生寺にある。) 雨が車窓を打ち始めた。このあたり・・・という所までやって来たけど、ショッキングな事に、あ っちにもこっちにも祠だらけ。大膳様って、どれですかー?!Σ(゚□゚; 地元の方に聞いても、 大膳さまをご存知無い。雨の中、傘をさして、あちこちにある古い石を見て回ったけど、祠に 「大膳」と書いてあるわけではなく、断定できる決定的証拠がない。 雨の中、どこにあるのか判らぬものを、いつまでもさまよっても、埒があかないし、この家に聞 いて判らなかったら諦めるべきだろうかと、迷いつつ車を降りたら、その家の前に実に立派な 看板があって、「町指定史跡 森大膳亮重政の墓」と書かれていた。わ、わかりやす過ぎっ! Σ(゚□゚; ハナちゃん!しまちゃん!ブツ発見しましたぜ!!車の中にいた2人を手招きして、 3人で看板の説明を読んだ。看板の横には苔むす重政の供養塔。目の前の家の方に出て きていただいて話を伺うと、供養塔は、あっちの小高いところにあったのを降ろしてきた、との こと。あっちの小高い所で、重政は火葬された。 忠政は、父親の顔も知らず、長兄の顔も知らず、可愛がってもらった4人の兄とも死別し、母 の死の後に津山へやって来た。そして新天地で息子たちや娘、姉妹に先立たれた。 忠政は、生まれて死ぬまで、いかに人生堪え忍ぶ事の多かったことか______。 しんみりしつつ小高い丘に上ると、火葬跡に、超デラックスな石碑が建っていた。安らかにお 眠りください。 その後はケーキを食べ、更に”旬菓匠くらや”さんへ連れて行ってもらった。 そして、ミュージカルを観に行った。私はこのミュージカルに逢わせて訪津したのだから楽しみも ひとしお。 「石の記憶」〜君は忠政に逢えるだろうか〜のコメントつき という市民の手でつくられたミュージカル。知り合いも役者として登場していたのでワクワク度も 大きい。蘭丸もでる。なんと、いつもは忘れられている(もしくは果てしなくチョイ役の)坊丸 も、力丸も出る。我らが母なる妙向尼も出る。長可アニキは出してもらえない。という、森家ファン 垂涎のミュージカル! ・・・・・・・って、予想以上に衣装も舞台も本格的なのでびっくりしてしまった!劇団四季より大掛か りじゃないか!Σ(゚□゚; 市民が役者との事だったので、棒読み軍団とかがいるだろうかとも思って いたのに、みんな役者バリで、こちらが眼が点になるくらいに演技も踊りもうまい。パンフを読むと、 オーディションとかまであったのね。1年半の練習期間。まいりました。森忠政の生まれ変わりの 主人公ケンちゃんが、森蘭丸たちと出会い、津山城の魑魅魍魎を退治して、後は忠政と妙向尼が 登場して、おいしいとこどり、といった笑いあり、涙ありのストーリーだ。 最後は森兄弟の前に妙向尼が出てきて「ねむれ〜ねむれ〜。」と優しく歌い、蘭丸ら子供達を カクッと寝かせていた。 「くぅ。」 ハナちゃんが寝てどうする!ゲシッ! ミュージカルの後は、ハナちゃんが交流会を催してくださって、色々な方々と勿体無いくらいの時 間を過ごした。若いと驚かれたのに、「当然ご結婚はまだですよね。」と”当然”をつけて言われた。 夜がふけるまで森家の歴史やミュージカルのお話しをば伺いました。( ̄ー ̄) テンション高くワイワイ騒いだだけに、みなさんと別れて、最後にハナちゃんにホテルまで送っても らう時には、迫る別れに寂しさが広がった。 夜はホテルで独り、ボディーソープで顔面をガシガシガシガシガシ・・・・・・。 ハナちゃんやしまちゃんやみなさまにワガママ放題やらせてもらって、 墓を見たり、火葬場を見たり、忠政展を見たり、ミュージカルを観たりと、夢みたいな2日間だった。 翌朝に津山を去らねばならないので、荷物を詰めなおしていると、カバンの底に、化粧落とし洗顔 料発見! |