蘭流ツアー2004

 
10月15日(金) 老人ホームに入ろう。

14日(木)の夜から夜行バスで京都へ向った。

京都駅で、八重どのと落ち合って、今日の旅行がスタートした。

恒例の本能寺跡に行くと、そこは蘭丸ファンにとっては、涙涙の場所のはずが、かの地は鉄

の壁に囲まれて、囲いの中には巨大なクレーン車があって、本能老人ホーム建設中。きっと

紹介パンフには”素敵な環境””快適な住み心地”と歌われているのね。痛いわ。とっても痛い

わ。気持ばかり小さな石碑が角に置いてある。

織田信長の悲劇も、蘭丸の死も、その死により人生を変えることを余儀なくされた多くの人々

の深い嘆きも悲しみも、この京都にとっては、些細な歴史のヒトコマにすぎないんだ。すごい

町だ、巨大都市京都。

 バスに乗って阿弥陀寺跡を目指していたら、晴明神社があったので、急遽バスを降

りてお参りした。陰陽師で知られる安倍清明の住居があった場所に神社が造られた。

まだブームではなかった昔と比べると、今は大繁盛している。式神の石像みたいに余計な物

まで造ってみたりする余裕さえ見せたりしている。く・・・兼山町の蘭丸はプラスチックでできて

いるのに・・・。式神は一条戻り橋に埋めましょう。

境内にある晴明井で曇っていたコンタクトを洗った。病気平癒の水としてご利益がある水が湧

き出ているのだ。どうぞ眼がよくなりますように・・。

 それから、阿弥陀寺跡へ。伝承では、阿弥陀寺は、かつては町名になるほどに大規模寺院

だった。本能寺の変の時には時の住職 清玉上人がいち早く信長の首を隠し持って帰り、後

日、またやってきて森蘭丸ら近習の遺体を集めて寺に持ち帰り埋葬したという。

後に、秀吉に「上様の首くれ。」といわれても、信長の首が秀吉のPR行為になることを恐れ、上

人は首を渡さなかった。ウッキー!!!と怒った秀吉は信長の木像を作り、それを遺体だとい

うことにして大徳寺で一大法要セレモニーを執り行い、更に後年、区画整理をおこないまーす、

ウッキャキャ。とか言って、阿弥陀寺の土地を大幅に縮小させて現在の場所に移した。

そのため、信長の菩提寺としての阿弥陀寺の存在は薄らいでいったのだ。

その、猿害に遭う前に阿弥陀寺があった場所に行った。蘭丸が最初に埋められた場所だ。

西陣小学校跡周辺がそこだった。・・・・・・・・でも、周囲をうろついたけど、何もないのね。

阿弥陀寺町というかろうじて残っていた町名も、最近なくなったという。結局祠のひとつも

なかった些細な歴史の一コマ。_| ̄|○

そのまま歩いて今の阿弥陀寺へ。信長や蘭丸ら討死衆の墓参りを済ませて、お庫裏さんと小一

時間ほど歴史とは全然関係無い話で盛りあがった。

阿弥陀寺前のお蕎麦屋で昼食を済ませ、東山へ移動。まずは大雲院へ。織田信長、信忠父子

の菩提を弔うために天正年間中に創建されたその寺院で、織田信長と、信忠父子の供養墓を

お参りした。泥棒の石川五右衛門のお墓もあった。

それから、建仁寺へ。信長の弟・有楽斎が建てた信長の供養塔を拝観。白い州浜の庭園の中

にナチュラルな形で信長供養塔があって、境内から供養塔を眺める形だけど、その庭園に若

いお坊さんが入りこんでゴソゴソと土を掘り返していた。ふ、・・・美しい庭だ。

中村甲刀修史館では、展示品の武具の説明をしていただきながら、森家の甲冑を拝見。

普段わからない戦国時代の色々な事を教わった。

◆ 女は男の髪にさわっちゃだめ。

◆ 男は病気になっても、女に看病をさせないし近づけない。(江戸時代後期にはその風習は乱

  れた。)未練があると思われるから。

う〜。蘭丸の仕事が増えるぅ・・・。

◆ 兜のテッペンにある穴ポコ(八幡座)には、八幡神が降りてくる神聖な場所だから触っ

   ちゃだめよ。

◆ 鎧の重みは肩でなくて、腰で受ける。

◆ 刀は研ぐと逆に切れなくなるので、砂山(何と言う砂山か名前忘れた)に刀を2、3度突っ込

  んで刃をノコギリ状にして切れるようにする。武士のおうちには、そんな砂山が必ずあった。

・・・みーんなで刀をシャキシャキ砂山に突っ込んでいたのね♪

◆ 髪の毛を剃って頭が青々としているのが、かっこいい♪時代だった。

◆ 光秀のヅラは永遠の謎。

◆ 蘭丸の髪型も永遠の謎。黒澤明の「影武者」にでてくる髪型が近いんじゃない? (却下)

 京都のグランドフィナーレは見性寺。夕方で門を閉めてあったのを、お願いして開けてもら

った。織田信長の長男(信忠の兄だけど庶子)の織田信正。そして信長の側室であり、信正

の母である直子の菩提寺。直子の一族・原田家の墓もあった。原田家の墓はかなり風化し

てボロボロになり、誰が誰だか区別ができない。実は、系図を書いていて、ここに眠る人々

は、森蘭丸の親戚なのだと知ったのだ。(話せば長い話なのでこんど整理して別記します)

またひとつ、蘭丸の切ない人生の一面を垣間見た気がした・・・。

その後は、古本屋に寄ったりしながら、ホテル本能寺で夕食。その後は新幹線で名古屋へ行き。

10月16日(土) ”しんちゃん”と”らんわん”

 旅行中に会おうと言っていたサイトによく遊びに来てくれる由利どのは、今朝帰るとおっしゃる

し、台湾から来るはずのamemuraさんは昨日からまったくの行方不明だし、2人とも会えないの

かと嘆いていたけど、嬉しいことに、由利どのが帰る前に、可児で会えることになった。

 どう見ても東海地方は連日快晴なのに、長傘を持って行動していたのが笑えた。しかも、兼山

町で蘭丸の森で連日アスレチックしてきたらしい。電車に乗り損ねないように新可児駅を見張り

ながら喫茶店で楽しくそんな話をした。

由利どのと別れて、他の兼山訪問者のお方2人と蘭丸亭でお昼ご飯を食べた。その後は、兼山

町内の古文書の師匠の家に出かけた。

テーブルに古文書を広げて「先生、それは絶対に瓜!瓜は譲りませぬ!瓜!長可は瓜・・!」

「ぎゃー!兵庫どのぉ!!」と、客観的に聞いても意味がわからないことを、ぎゃーぎゃー言いな

がらしまいには八重どのと2人、寿司をご馳走になった。丁度食事をおえた時に行方不明だった

amemuraさんから電話が入った。よ・・・よかった生きていたらしい。

夜は、amemuraさんを連れて3人で喫茶店へ。amemuraさんも私も日本語がペラペラなので、意

志疎通には困らない。意志疎通に困らなさすぎて、なんか八重どのとamemuraさん2人でヒートア

ップして”エクソシスト”や”リング”で盛りあがっていたけどな・・・。

ちなみに、信長は中国語で”しんちゃん”、蘭丸は”らんわん”と発音する。

信長はなんか可愛いい。

「この後、古本屋でも行く?」と言うと、amemuraさん大喜びで、ブックオフでマンガを買いまくって

いた。それ抱えて帰国しなくちゃなんないの、わかっているのだろうか・・・。と、いう私の心配も

いらないようで、前回来日した時には、数十キロのマンガを買いこんだそうだ。

歴史好きは、なぜかマンガも大好き♪という法則は、日本以外でも通用することが判明。

10月17日(日) 武者行列とスシ

 朝、再びの兼山。八重どのとamemuraさんの3人で金山城跡を登った。amemuraさんが、カメラ

が動かないと言い出したので、どうして?あ、でも、お寺とかでよく、カメラが変になることある

のよねー。と言いながら見たところ、単に電池切れだった。

私は以前、本能寺跡でシャッターを切った時に、フラッシュが「プス。」と言ったのを最後に、カメラ

が修理不可能な壊れ方をしたことがある。結局カメラ屋に買いなおしたほうが安いと言われた。

まぁ、母親がお米屋さんでクジを引いて当てたカメラなので金銭的痛手はなかったけど。

自分の知っている歴史研究家も、小早川秀秋のお墓の前でだけ、どうしてもシャッターが下りな

かったことがあるそうだ。秀秋さんに悪用しないし、軽々しく扱わないから、と、一生懸命お願いし

たら、やっと撮らせてくれたらしい。世の中には哲学では理解し切れない事があるのだホレーシ

ョ。でも、amemuraさんのは単に電池切れだった。

 今日はお祭りが行なわれる。城を降りて兼山町歴史民俗資料館を見た後、武者行列の準備会

場へ行った。会場に行くと久々に会う知人たちもいた。参加者の皆々がわさわさ着付けをしてい

る間、刀を借りたり兜を拝借して、かっこつけたり、切腹したりしていると、半年ぶりにあった友人

が「介錯してあげるー!!」というのでお言葉に甘えて、ぶしゅ。パタッ。

 行列がスタートするまで、森一族の眠る可成寺や妙向尼の菩提寺の常照寺にお参りに行き、

屋台で銘酒「蘭丸」を呑みながらお昼ご飯を食べた。氷のカップに豚汁が・・・・。

今日は、本当にいい天気。だけど、武者行列を見ると「あんなに着込んで暑そう・・・・。

この画像以外はほとんど逆光・・・・・・・・_| ̄|○

行列の後をずっとついて行った。

その後は、師匠から、うききに会いたがっている人がいるので彼のお宅に会いに行ってくれ。

と電話があったので、みんなと別れて私だけ歴史をやっているその方のおうちへ。家にお

邪魔すると、自己紹介いただいて、「今から用事があるので、じゃ。」と、10分で話が終ってしま

った。Σ(゚□゚;

時間が余ったので師匠の家に行くと、師匠まで「じゃ。」と20分でどっかに行ってしまった。奥さん

にお土産をもらって家を出た。

他のメンバーはどこへ行ったんだー。と八重どのに電話するけど、出てくれない。何度してもでな

い。捨てられた・・・・・。

兼山の町をとぼとぼ歩いていたら、「うききさん、どうしたのー?」と今朝、私を介錯してくれた知

人に見つけられてて、「あー、捨てられたね。」「きっと今ごろ、うききさんがいなくなって、みんなで

せいせいして美味しいものを食べてるのよ。」

ふん!いいもん!蘭丸のとこにいくもん!

可成寺に行って、一人で森家の墓の前で森家の家族団欒の仲間入りをさせてもらった。

ふふ、ひんやりとした墓場って妙に落ちつくな・・。ふふふふふ・・・・。( ̄ー ̄)

さっき先生の奥さんがくれた包みは何なのかしら?と墓の前で包みを開けてみると、寿司が30

個くらい並んでいた。Σ(T□T; 奥タン!いれすぎ!

ひとりでは食べきれないので、あとでみんなで分けて食べよう。

・・・と、後でみんなと再び合流できた時にこの寿司を出そうとしたら、いきなり寿司を差し出され

た。いや、この場で寿司を差し出すのは、私なんだけど。

みんなニコニコしながら、「兼山でお寿司をもらっちゃった。うききさんの分もあるよ

ー。」と寿司を沢山車に積んでいた。

寿司の町、兼山!!!!!Σ(゚□゚;