美作みまさかの中心で愛を叫ぶ

 5月22日(土) 忠政公が主役!400年祭! 

1泊旅行のはずが、荷物がバカ重い。荷物をカバンから出して、いれて、また出して、ついに

余計な物は入れていないという結論を出して、そのまま旅行に出発した。

夜行バスで岡山へ行き、旅仲間の八重さんと合流。彼女は4つくらい荷物を抱えていた。

Σ(゚□゚; 何泊する気だ、八重!!!

1時間30分くらいローカル線の津山線にゆられて、津山へ行った。

森蘭丸の末の弟・森忠政が築いた津山藩。今年は津山城築城400年祭で大盛りあがりな

ので、イベントにあわせて来てしまったのだ。

津山では、地元のハナちゃんとしまちゃんが迎えてくだって、久々の再会。

今日は大名行列もあるので、その着付けをやっている会場の小学校体育館へ連れていって

もらった。車の中で、シナリオを見せてもらったけど、

『ここで忠政、おもむろに書状をだす。』

の注意書きに、おもむろにしなきゃいけないんだ。おもむろねぇ。と語ったものだった。

「今日は行きたいところ、なんでも言ってね。」とハナちゃんが言ってくれた矢先に、大名墓を

通過したので、「あれ!あれがみたい!!!!」と叫んだ。

そこは宗永寺というお寺で、21歳で亡くなった忠政の娘をはじめとする、森家の女性の方々

の菩提寺だった。忠政は19万石の大身の身でありながらも、人間が一番求めてやまない家

族との縁があまりにも薄かった。父は忠政が生まれた頃に死に、兄は全員若くして死に、息

子や娘たちにも先立たれた。それでも忠政は精神を奮い立たせて森家を守っていったのだと

思うと涙がでてくる。お墓参りの後は、いよいよ着付け会場へ。

そこでお世話になっていた400年祭担当の方とも直接お話できて嬉しかった。

津山城DVDの製作秘話も聴かせていただいた。お城のCGは石垣ひとつひとつの細部にま

でこだわって作ったそうなのだ。

でも、今日の石曳きの石(当時切り出された石)は重いのでぶった切ったとしまちゃんに聞い

ている。

運動場へ出ると、忠政役の方が、朝礼台の上で書状を練習していた。練習しすぎて声がかれ

ていた。そして私達は、忠政公にヴィックスドロップを買ってきてと所望される。

ハナちゃんがノド飴やお菓子を献上すると、ご満悦の由。

リクエストして練習を聴かせてもらった。

「おもむろに書状を出して。」(タメグチ)

「もっと、おもむろに。」(タメグチ)

「もっと、おもむろに。」(タメグチ)

みんなでよってたかってツッコミいれてごめんね忠政役どの。ステキでした。

それから森忠政の菩提寺である本源寺へお参り。行くなりお手洗いを借りてすみません。

しかも、トイレのフタを開けると、水洗ではなく”ぽっちゃんトイレ”だったので、懐かしくて懐かし

くて(・o・)「小さい頃、おばあちゃん家でここに色々落としてみたなぁ。」と思わずセンチメンタル

ジャーニー。

お寺ではちょうど、特別展があっていて、若いご住職がひとつひとつ説明くださった。

忠政公木像にも久々の再会。ご住職のお話では、この木像の頭部は脱着式で、身体部分に

差しこむようになっているらしく、そのつなぎ部分が月日を経て磨耗して首がなくなってしまわれ

たとの事だ。これで謎はとけた!(何の?)

お寺からお昼へ向う時、また車で叫んでしまった。車窓から、天守閣が見えるのだ。

津山城は城跡だけで、天守閣はない。Σ(゚□゚; ユメカ、マボロシカ!!!!

「アドバルーンだと思う。」としまちゃん、あっさり。中は子供用トランポリンとかになっているの

だろうか。それとも、CGでみたような、「皇帝の間」なんかが・・・・。

※あのお城はベニヤ製だったそうです。(しまちゃん後日談)

 

お昼ご飯は、ハナちゃん紹介のお店の個室で和食をいただいた。

お店の方が部屋に入ってきた時、私の頭上で目線をとめて 

「暑ければクーラー・・あ、ムカデ。」

私の背面の壁にムカデが貼りついていた。

ムカデは決して後ろには引かない習性ゆえに武士には愛された。

でも、私たちは嫌い(補足トリビア)

そのムカデさんは3分後にはガムテープにべったり貼られて固まったままの退場となった。

すごいものにお出迎えされたものだ。(汗)

蘭丸や忠政の母・妙向尼をおまつりする妙願寺にお参りした。大名行列にあわせて、お寺でも

講話や昔話の催しがあっていた。妙願寺ご住職による森忠政のお話や、地元の方の、”どうし

てミミズは地面で干からびて死んでいるのか”という、血沸き、肉おどる昔話を聞いていたところ

大名行列がやってきた。先ほどは私服の忠政公も、殿様衣装を身につけ、りりしい姿で登場。

カメラ目線、ありがとうございます。

それから、石曳きがあるのでわらわらと会場を移動。津山城築城の時の石垣の石の運搬の再

現だ。16トンもあるという。南斗白鷺拳の使い手のシュウなら一人でピラミッドの上まで運んでく

れそうだが、一般の人間の力ではなかなかそういうわけにもいかない。

大石を、修羅(しゅら)という運搬道具に載せて、石にぐるぐる巻きにしたロ

ープを、大勢の男性が歯をくいしばって引っ張って、400mの道のりを見事

動かした。練習ではうまくいかなかったと聴いていたので、見る方もハラハラ

だったけど、巨大な石が勢い良く動く姿には感動するものがあった。

明日は曳き手は全員筋肉痛が確定だろうな。

ハナちゃん:「香ばしいにおいがすると思ったら、燃えてるよ。」

石を動かす摩擦で石が動くたびに煙が上がっているのだ。す、、すごすぎる。(゚□゚;

最後、400mを終わった時に勢い良くしゅぱーん!!!と石から花火があがった。

花火だよね・・・。摩擦のはずないよな。

ゴールがちょうど津山城前だったので、そのまま、観光になった。歴史民俗館は、空調がな

いのか蒸し蒸ししていたけど、しまちゃんに解説してもらいながら、蒸れつつ展示物見学。な

ぜか(岐阜県)金山城跡の発掘品が並んでいるのだな。

ちなみに、この博物館を創設した方は、現在津山科学教育博物館に展示されているとの事だ。

折角、津山城の下にいたので、みんなで入り口まで登ってみた。入城口には、忠政公の銅像が

ある。心配になるくらいに肩に頭がめりこんでいる。初めて津山に来た八重殿は初対面だ。

うきき:「八重どの、忠政公だよ。美少年蘭丸の弟だよ。もっとハイテンションになってよ。」

八重殿は、重々しい顔つきでハイテンションにならなかった・・・・・。

それから町を散歩して、フランス料理を食べた。

夜はフランス料理というので、このためにいつもジーンズな我らが朝か

らドレッシィにめかしこんできたのに、なんか、ハナちゃんはいつのまにかサンダルに履き替

えてるし、しまちゃんとかジーンズでもっとラフだし。 逆に、今日みたいに歩き回る日にパンプ

スはきついっしょ、と私達が不思議がられ、2人で爆死。

その後、他の知人とも合流して楽しく2度めしだった。

夜の津山城天守閣は、ライトアップされていたけど、左に傾いていた。

深夜まで、森家の話に花が咲いた。

ホテルに戻ったら、八重殿と一緒に爆睡。

 5月23日(日) 津山城下の博物館に○○が展示されています。   

今日は、八重どのと2人で行動した。

津山城に登ってみたら、昨日の天守閣がなかった。どこへ飛んでいったのか・・・。もしくはあれ

はかなり激しい目の錯覚だったのか・・・・。

ともかくもでかい津山城跡に登って、のんびり遺構見物。登れるものには、みんな登ってみた。

その後は、津山科学教育博物館に入った。津山は三度目だけど、いつも気になってしかたの

なかったところだ。入り口に動物の剥製が並んでいるんだもの・・・。

中へ入ると、すごい・・・・・・の一言。世界中の動物、鳥類、人類、昆虫、貝の剥製や

化石がところせましと並んでいる。ええ、昨日話していた館長様も展示されていらっしゃいまし

た。ただ、あまりにすごすぎて、私は使用してはいけない脳内のツボをつかれたらしく、ずっと

「あんなでかい鳥いていいはずない!」「あんなでかい蛾がこの世にいるわけがない!」

「ひぃぃキメラ〜!!!」と動物に対する不信感を募らせながら、クマに食べられた子供をクマ

の胃から出してみた写真でノックアウトされてしまった。しまいには、八重どのをほおって、いろ

んな壁にぶつかりながら逃げてしまった・・。マンボウがいないというシビアな問題。

その後、お昼を食べるためにお店に入ると、店員が全員、背中を向けてTVを見ながら食事中

だった。私達が入っても、気付いてくれもしない。「・・・・。」

すみませーん。と声をかけるとラーメンを作ってくれたけど、また、店員が全員、背中を向けて

TVを見ながら食事をはじめた。他のお客が入っても、気付いてもくれないので私が応対。

その後、バスかタクシーで森家の庭園の衆楽園に行くつもりだったけど、レジで店員が「ここか

ら歩いて10分くらいで着くよ。」と教えてくれたので、「じゃあ、歩いて行こうか。」ということにな

った。10分の道のりを30分かかって(!!!)衆楽園へ。(道に迷ったわけではない)

あの店員のおばちゃん、高橋尚子の走りで衆楽園で行っているのさ。それで10分、まーちがい

ない。この庭園は無料開放していた。

2人で、カモや睡蓮の写真を撮りながら、のんびり過ごした。

グランドフィナーレは石山寺。山の上にあった。津山城の石垣を切り出した跡がある。

すごい!素敵だぁ、とかウキウキしていたけど、よく考えると、このお山のどこかの石の切りだ

し現場で森家の家臣の流血事件があったのよね。家老とかがケンカになって、お互いが腕を

切り落として、それぞれの家来があわてて飛んだ腕を持って医者に行ったところ、

「これはあなたの腕じゃないですね。」お互いがお互いの腕を取り間違え医者に持っていって

いたという。

”これが本当の手違いであった。”

と文献に・・・・・・・。

岩清水流れるところまで降りて、山を散策した。手すりを握ったら、そこにいた毛虫まで握ってし

まったのが問題だったけど、涼しくて気持よかった。

津山に別れを告げ、岡山駅で夕ご飯を食べて、八重どのとお別れ。

今回もいい思い出だらけの旅行だった。