丸紋

源氏の流れを組む森家を象徴する美しき家紋。

鶴丸紋(つるまるもん)


(T-T)          悲しいことに私は森家が鶴丸紋を使うようになった決定的ないわれを知らないのでどなたかご教示下さい。

 

鶴は、日本に稲作をもたらした瑞兆の鳥として、またその優美な姿を古代よりこよなく愛されてきた。

今は特定の場所にしか来てくれなくなったけど、昔は全国どこにでも飛来してくる身近な生き物だったらしい。

また、中国より不老不死の仙人に侍する鳥としての思想が輸入されてからは、長寿の象徴としても好まれ、家紋や人名、

城名に専ら引用されるようになった。

源氏の源頼朝は、天下統一を祝して足に金の短冊をつけた千羽の鶴を放った。動物虐待。グリンピースが黙ってはおる

まい。鶴にとっては迷惑はなはだしいが、これが鎌倉の鶴岡八幡宮のご神紋が鶴である由来となっている。そして源氏が

刀などに鶴の文様をつけていたこと、また源氏の流れを組む島津氏が鎌倉時代においては鶴の紋を使っていたことなどを

考えると、清和源氏の子孫を誇る森家がこの源氏にゆかりの深い鶴丸紋を家紋にしていたことも、何の不自然もない。

森家の氏は”源”。

森家発祥のルーツをたどると、源義家の六男の可隆が相模国(神奈川県)の森に屋敷を構えたことで、「森」に姓を改めた

ことからはじまる。ここで注意したいのは、氏名と姓名は違うということ。大事な先祖の家柄を示す”氏”は決してその時点で

放棄されていたわけではない。

森家の氏(うじ)は戦国時代も江戸時代も、もちろん源(みなもと)のまま。森蘭丸も氏は”源”で、姓が”森”。氏は氏、姓は姓

として名乗る。昔から上流階級の人は氏名と姓名の両方を持っていた。というか、中世すぎると世の中が「藤橘源平」ばっか

りになっちゃってワケわかんなくなったので、細分化した姓を新たに名乗り、使い始めた。彼らは自分の所有する荘園などに

自分の姓を名づけて”名田”とし、ビッグな土地を領する者が”大名”と呼ばれた。

逆に言うと、大名にもなると、どうにでもこうにでも、朝廷ゆかりのかっこいい由緒ある自出がないと話にならない。

ということで、ひとかどの武将は、姓とは別に「藤橘源平」などいずれかの”氏”を示すこととなる。中には眉つばな大名もいる

が、誰だって見栄は張りたいものさ。織田信長は最初は「藤原」其の後「平」を名乗っている。

明智光秀も「私は土岐源氏〜♪土岐源氏〜♪」と小うるさかったはずだ。

だから、我々の想像する以上に「源」という言葉は森家で多用されていたし、文章などで都合により位署名を書く必要がある

場合には、蘭丸も「源長定」とか「源成利」と書いていたはず。

森忠政は「源」と「藤原」を使っている。(※将軍家が源姓だったので憚ったか、憚らされたか・・・。拝領文章は「藤原」となって

いる。)

森家は源氏の流れを証明する鶴丸紋を、森家の由来を語る紋として何よりも大事にしていたはずだ。


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■ 蒲生家が同じく鶴丸紋を使っているが、これは、先祖の蒲生秀綱が合戦中に道に迷ってしまった時、鶴が蒲生氏の旗をくわえて飛びたっ

  て秀綱を窮地から救い出してくれた故事に由来する。昔の鶴は何と親切だったのだ。それに比べ後楽園の鶴は・・・・。

■ 昔から将軍家(源家)が宮中に鶴を献上する習わしもあった。

 最高の膳には鶴肉の料理が供されていたが、鶴を家紋にしていた森家は鶴を神聖視して食べれなかったかもしれない。戦国時代、大隈

  (鹿児島)の肝付家(家紋:鶴の丸)主催の宴で「鶴の羹がないね。」と、招待を受けていた島津家臣が言った事で、「わが家の家紋の

  鶴を食べたいだなんて、肝付家を侮辱したわね!」という騒ぎになり結局戦にまで展開した例がある。

■ 大石神社にある森可成着用の具足や忠政着用の具足には、佩楯(はいだて。膝を守る前掛けみたいな部分)に2羽の向かい合わせの鶴

   丸があしらわれてあって、一方がパカッと口を開け、一方がムム、と口を閉じていて、「あうん」の呼吸の可愛らしい仕上がりになっている。

■ 江戸時代、徳川家に生まれた姫が”鶴姫”と名づけられた時期、森家が遠慮して鶴丸紋を使わなかった時期がある。


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