三桐紋

皇室にルーツを持つスーパーブランド紋

五三桐(ごさんのきり)


森家の替紋の一つ。家紋は一家に一紋であるべきだが、長い間に、主君からもらったり、敵から分捕ったりしていくつかの

家紋が増えた家は多い。これは、朝廷から豊臣秀吉へ下賜された五三桐紋がさらに森忠政に分与された由来を持つ。

本来は、菊紋と同じく権威ある皇室の紋章。織田信長や豊臣秀吉もこの桐紋を拝領している。厳密に言えば、信長は足利義

昭から将軍職につかせてもらえたお礼としてもらっている。この頃は、義昭さんも後に信長にケチョンケチョンにされるとは露

知らず「ほらよ。」というタカビーな気持ちで与えたに違いない。そして、秀吉となると、その信長からも五三桐紋をもらい、後に

天皇家からも下賜されて、厳密にはこの人はこの五三桐紋を二重取りしている。このように、桐紋は広まって行く。

ことに秀吉は、この紋を”羽柴姓”とともに多くの配下に配ってまわった。いつぞやのブランド米とタイ米との抱き合わせ商法の

走りのような気がしないでもないが、ともかくも気前のよいことである。皇室の紋を駅前のティッシュ配りのように配ってしまった。

しかも、その大名がまた自分の配下に下賜したりしてと、初めは天皇家の副紋だったものが、実にこの五三桐紋を有する家は

鼠算式に増えてしまい、今ではかなりなじみの深い家紋の1つとなってしまった。

この紋を忠政がいただいたのは天正13年のことであるという。一説には文禄三年の春とも、秀吉の姪(大和大納言息女として

実は名古屋氏の息女)お岩の方との結婚の際にいただいたとも言われる。

桐の葉と花とに形作られたこの紋は、鳳凰が唯一止まる神聖な木・聖なる王の出現のめでたい木であるという中国の伝説に

なぞらえて、王者の紋とされた。

やがて、秀吉が逝去すると、それまで羽柴右近を名乗っていた忠政も、「やめやめー!」という感じで森姓に戻している。しかし、

この五三桐紋は江戸時代を通じて森家で使用されつづけた。それは、秀吉から拝領した、という感覚よりも、秀吉を飛び越えて、

天皇家や官位との結びつきいう意味合いで、森家がこの家紋をとらえていたからだろうことが伺える。

ちなみに、この紋の存在で、森家に相続される事物が忠政以降のものか、それ以前の可能性もあるのかという時代特定できる

一応の目安ともなっている。


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