奥 | 村又八郎元広 |
大森城主
●人名
/
奥村又八郎元広(おくむら またはちろう もとひろ)
●出身 / 美濃国
●生没年
/ 未確認
●法名
/ 未確認
●墓所
/ 未確認
永禄年間(1560年代)に大森城を築城した奥村又八郎元広は久々利土岐三河守の家老奥村元信の子であった。 天正10年(1582年)本能寺の変の混乱に乗じて諸将と語らい、金山城主・森長可に謀反を企てたが、これが長可の知るところとなり 逆に攻撃を受けた。長可の家臣林長兵衛・各務勘由ら300余人の金山勢が、大森城を攻撃した。又八郎はオメオメと城を明渡すもの かとよく奮戦したが、第二陣の伴藤右衛門ら200余人の攻撃に支えきれず、城中残らず敗北したので、ついに城に火を放ち煙にまぎ れて落ち延び、加賀の前田利家に縁をたよったという。 以後大森城は廃城となった 。 |
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■ 現在この地には大森神社が建つ。城址は神社の裏手にあり、遺構もよく残っている。 ■ 奥村又八郎は後に前田家より立ち帰り、犬山に住んだ。ご子孫は江戸時代には犬山で呉服商をなさり、その奥村氏の屋敷は、奥村邸 として現存・公開されている。中庭には織田信長や森蘭丸も立ちより森長可も飲んだ銀明水の井戸があり、蔵は資料館として開放されて いる。不思議なご縁で金山城ゆかりの天目茶碗などもこちらに展示されている。母屋は現在隣接するフレンチ創作料理『なり多』ご利用の お客様に開放とのこと。(愛知県犬山市余坂町天神社前) |